YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson888  キライと好きの間に


気がつくと頭の中が、
いま自分を苦しめている悩みの種の嫌いな人間のことか、
いまの憧れや興味の的の好きな人間のことで埋まりがち。

好きな人間のことか、嫌いな人間のことか。

ほんとは、この間に、たくさんの大切な人がいる。

その人たちのことに想いを馳せると、
心にいい風が吹き始める。


夜中にネットで、

興味の向くまま、動画なり、SNSなり、
次々追っていくと、
思わぬひらけがあって楽しいこともほとんどだが、

その日は、なぜか満たされず、
なんか漁って(あさって)いるような感覚がある。

「どうしてかな?」

と、立ち止まって、胸に手をあてた。

さっきから、ずっとキライな人の情報を見てるな、私。

これはあくまでたとえだけど、
ドラマならドラマを見て、「キライだ」と思ったとする。

だったらキライなものは、見なければいい。

なのに、ついついネットで、
そのキライなものなり、作った人なり、
検索してしまうのはなぜだろう?

気がつくと、相当な時間、そこを追っていたりする。

キライから出発した情報は、
どこまで見て行っても気持ちがいいものでなく、
どこか心がすさむ。

そこで、その反動のように、
いま大ファンだったり、興味と憧れの的だったりする人の
情報で気分転換しようとするも、
出発点がよくないせいか、気が晴れない。

超あこがれの人か、超キライな人か。

この両極端にとらわれてるな、私、
と自覚した次の瞬間、ふと気づいた。

「きっと自分が最も大切にすべき人は、この間にいる。」

目を閉じて、

じっと、

「いま自分が本当に大切にすべき人はだれか?」

夜中に想い浮かべたら、
すぐ浮かんでくる存在がいて、

すると、次、また次、と
私にとってかけがえのない存在が浮かんできて、

すーっと心が安らいで、

その人たちのことを想い浮かべるだけで、
もうなにかすでに満たされた想いがした。

「よし、明日は早く起きて、あれをやろう!」

明日すべきことも見つかって、
そこからぐっすり眠れた。

「好きな人間のことか、嫌いな人間のことか。」

ネットの中では、ふと、この両極端の迷路に
とらわれてしまうことがある。

この両極端にとらわれているとき、
やはり現実逃避なのだろう、私の場合。
自分自身を見なくて済む。

見なきゃいけない現実、やるべきことは、
きっと、この両極端の人との間に無く、

自分と、いま自分が本当に大切にすべき人との間にある。


文章表現でも、主題は、

いまとらわれているものにない。
自分にとって、もうあたりまえすぎて
見過ごすようなところにある。


「いま、あなたが本当に大切にすべき人は誰ですか?」

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2018-08-22-WED

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