YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson857
      公にする勇気、公にしない勇気



「自分は本当はどうしたいのか?」

個人がひろく社会に発信できる今だからこそ、
まず自分の想いに問いたい。

自分は本当にこれを公(おおやけ)にしたいのか?
どこまで公にしたいのか?

公にして、どうしたいのか?

責任や批判を引き受ける覚悟はあるか?

理想の人生が歩めるなら
自分はどこへ進んで行きたいか?

「自分が理想に想う人生に進むことと、
これを公にすることは、どんな関係があるか?」

だれでも「報道」ができる時代になった。

新聞社に持ち込まなくても、
テレビ局が取り上げてくれなくても、
巨大マスコミに頼らなくても、

Twitter、ブログ、YouTube……などなど、

だれでも即日、日本中に、いや海外まで、
ひろく報道できるようになった。

社会を揺るがすスクープは、かつては、
スキルを積んだ記者しかできない技だったが、

自分の目の前の人がスマホでしれっとやってしまう、
そんな時代が来た。

悪いことをしている誰かを報道することも、
個人の報道が大会社を揺るがすことも、
可能になったいまだからこそ、

「公にする勇気と、公にしない勇気がある。」

このことを
私自身が胸に刻んでおこうと思う。

「人の望みは多様」だからだ。

文章表現インストラクターとして、
たくさんの人々の想いに触れて私は痛感する。

例えば、傷つけられた事実があったとして、
そこからどうしたいか?
人によって「望み」はまるで違う。

出るとこに出て白黒はっきりさせたい人、

より多くの人々に事実を知ってもらいたい人、

心からの謝罪をしてもらえればそれで済む人、

自分の損失を過不足なく償ってほしい人、

早く忘れたい人、

当事者間で納得いくまで話し合いたい人、

このことにとらわれず前に進みたい人、

このことが解決しなければ前に進めない人、

前に進むための具体的な支援がほしい人、

だれか1人でいい傷ついた自分の想いを
理解してくれる人がほしい人、

傷つけられても、
そこでどうしたいか、何を欲しているかは
人によって驚くほど違う。そして、

「自分の想いに沿った選択をしなければ、
たとえ勝っても空しい。」

心から公にしたいと願い、
自分の想いに忠実に勇気を出して、
ひろく社会に知らせた人の姿はとても尊い。
その勇気で少しずつ社会が動いていると思うと、
私は、深い敬意と感謝を抱かずにはおられない。

そうであればこそ、

公にしたがらない人に、
勇気がないと決めつけたり、
勇気を出せとあおったり、
ましてや本人の想いを無視して他人が公にするなど、
してはいけない。私も胸に刻んでおこう。

本人も、
公にした人の輝く勇姿と比べて、
自分はいくじなしと決めつけたり、劣等感をもったり、
公にするしないの問いのみにとらわれてはいけない。

「自分は人と違う。
私には、私だけの想いがある。
私の人生だ、この想いに忠実に選択をする。」

そこをさまたげてはいけない。

公にする勇気が尊いのと同じくらい、
公にしない勇気も尊い、と私は思う。

※「おとなの小論文教室。」次回更新は2018年1月10日(水)の予定です。

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2017-12-27-WED

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