YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson845  きりぬける言葉


ひどいことを言われた時に、
たとえばIKKOさんの「どんだけー」のように
暴言を吸収・無効化し、場を明るく笑いさえ生む

「返し言葉」ってすごいな。

「このタコー」としいたげられたとき、
私たちは、弱るか、怒るか、あとから糾弾するか、
しかないのだろうか?

それ以外の選択肢を創れたら面白いな。

笑いまでもっていくのは高度でも、
せめて攻撃を無効化する言葉を。

先日、
ある高齢の女性から、
ぐさっと、ものすごいことを言われた。

たとえば容姿のこととか、
女が子を生む・生まないみたいなこことか、
いま「コンプライアンス」という言葉がとびかう界隈では
信じられないないようなデリケートなことを、

みんなの前でズケッと、
何度も何度も大声で言って酒のさかなにする、
みたいなことは私の育った田舎でもよくあった。

育った時代が違うのだ、恨むつもりはサラサラない。

にもかかわらず、けっこう痛手を負ったことに驚き、
いや、そんなことよりなにより、

「きりぬける言葉の1つも出せなかったのか、私。」

言葉の仕事をしているのに、オモロうないぞ。
ひきつったうすら笑いをうかべ、へらへらと
あたりまえの返答がやっと。

あれじゃあ、やられっぱなし。

あれじゃあ、相手は傷つけたことにさえ気づかない。

相手は「これくらい言っても平気なんだ」と思ったよ、
次また会ったら同じことを言ってくるよ、
いいのか、私?

「それってかえって相手に不誠実では?」

いま世の中では、その場で話し合わず、
あとからブログで公にうったえるとか、
録音してマスメディアにうったえるとかが、相次いでる。

その風潮を責めるでも、誰をかばうわけでもない。
その場で逆らえない事情も、言えない弱さも、
言ったら大変なことになる場合もわかる。
でもそれひっくるめて私たちは、

その場で言う選択も、潜在力も、カードとして持ってる。

もしも、氷の国に、鈍感な女王がいて、

毎日、ハイヒールのとがった踵で
人の心を踏んづけてるのに気がつかない。

まわりは恐れて「踏んでる」と言えない。

踏んづけられてる人も、威圧におののき、
「痛い」とも、「踏まれてる」とさえも、言えない。

それどころか、みんな恐れと保身で、

「女王様に言われた言葉がためになりました!」、
「さすが女王様ありがとうございます!」と、

踏まれれば踏まれるほどよけい女王を持ち上げる。

女王は、
「もしかしてひどいことを言ったかも、
と一瞬よぎったけど、
人って案外平気ね、それどころか喜ぶのね」と、
持ち上げられれば嬉しいので、どんどん踏んづける。

まわりはさらに恐れ、必死で女王を持ち上げ、ほめそやし、
つくり笑顔でごまをすり‥‥、この繰り返しで女王は、

「どうやって、人を傷つけてることに気づくのだろう?」

そして女王は孤立する。

ツイッターでIKKOさんのことをつぶやいたら、
「はるな愛さんの“言うよねー”」
「FUJIWARAの死ねブス → “生きる!美人!”」
の返しもスゴイと反響がかえってきた。

以前、ここで紹介した新米編集者さんの
「会議にバカという言葉はいりません。」
というのも見事な切り返しだ。

だれも攻撃せず、それでいて、
それ以上相手を、自分の陣地へ踏み込ませない。

そんな自分なりのきりぬける言葉を、
日常の試行錯誤をとおして編み出していくチカラは、

あなたにもある! 私にもある!

と信じたい。
まずは、ごく身近な気の許せる人との小さないさかいから、
自分なりの言葉を繰り出し、試し、創意工夫していきたい。

間も大事! スベッてもめげない!

「場の緊張が一瞬ゆるむ、どこかやさしさのある言葉」

をイメージし、
次は、もうちょっとオモロくきりかえそう!

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2017-09-27-WED

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