YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson841
        止まる言葉



「さいきん年のせいで‥‥」、

と私たちは、つい言う。
でも、言ったとたんに、見えなくなるものもある。

生まれて初めて「不眠」を経験した。

2〜3ヵ月まえのことだ。
寝つきがどんどん悪くなる。
夜中の2時になっても、3時になっても、4時になっても、
眠れない。
やっと眠れても、2時間くらいで目が覚めてしまう。
私はなぜかこう思った。

「これが年をとるっていうことか。」

あとから考えると、
年長者たちから、
「年とると寝つきが悪くて‥‥」、
「夜中に起きて眠れない‥‥」、
「年だから朝はやく目が覚めてしまって‥‥」
と、さいさん聞いて刷り込まれてもいた。

「とうとう私にも来たか。」
と妙に受け入れようとする一方で、

「いや、ちがうちがう、私はまだまだ若いんだ。」
と、あらがう心も強く働いた。

眠れる方法をあれこれ試すも、
どんどん寝つきは悪くなり、
明け方の5時になっても、6時になっても、
7時になっても、8時になっても、9時になっても、
眠れないようになると、さすがに焦った。

焦りがピークに達したある日、

平らな道をただ歩いていて、ハデに転んだ!

「これはカラダに異変が起きているに違いない!」

不眠×平らな道で転ぶ原因を
調べて、調べて、ピーン!ときて、推理したのが、

「冷え」だった。

熱中症を恐れエアコンで冷やし過ぎていた。

さっそく冷え対策をし、
日中の体温をあげるように工夫をし、
うっすら汗もかくようにしたら、

なんとその日から、ぐっすり眠れるようになった。

あの不眠はなんだったのか、
以来ずっと、よく眠れているし、転ぶこともない。

「今回のこの件は、年のせいではなかった。」

「年のせいだ‥‥」とお年寄りに言われたら、
妙に納得してしまう自分もいる。

去年のお盆、

母と、姉と、買い物に出たとき、
母は、疲れたと言い、
ショッピングモールのイスに横になってしまった。

「もう年だから、
こうしてしばらく休んだらよくなるから。」

と母に言われ、私も姉も、
「母は80歳を越えているのだから
疲れるのも当たり前なんだろう、
年が寄るとそういうもんなんだろう」と、

なにもせず見守り、しばらくたって、
なにもなかったように母と映画や食事に行った。

ところが、「年のせい」ではすまされなかった。

母は心臓の冠動脈の1本がふさがりかけていたのだ。

今年、
母が、見舞いのために、たまたま病院に行っていたとき、
母は、疲れたと言い、
見舞っている人のベッドに上半身だけ横になった。

「もう年だから、
こうしてしばらく休んだらよくなるから。」

と母は言ったが、
看護師さんも、お医者さんも、見過ごさなかった。

すぐさま適切な質問をし、
「大丈夫です、すぐよくなりますから」と言い続ける母を、
診察をし、90数%ふさがりかけた冠動脈を見つけ、
適切な処置をした。

もしも、そこが病院でなかったら、
もしも、100%冠動脈がふさがってたら、
と考えると恐ろしい。

「年のせい」とやり過ごさず、

「どこが、どういうふうに、どうなっているのか?」

見極めてくれた看護師さん、お医者さんに
本当に感謝だ。プロはすごい。

そう言えば、昨年のお盆ごろ、
母が「もう年だ」と後ろ向きなことをたくさん言うので、
私は嫌だったことを思い出す。

あとからあの時はもう、母は、
カラダに大きな不調があったのだと考えると、
「もう年だ」と弱音を吐くのも無理もなかったと思える。

人が言えば不快に思う「もう年だ」という言葉を、
気がつけば自分も言っていたのはなぜか。

めったに言わない「年のせい」という言葉が
自分の口から出てきた背景には、
睡眠不足つづきでカラダが弱っていた面もある。

人がことさらに、「もう年だ」とか、「年のせいで」とか
口にするとき、

そういうネガティブな言葉を口にするから、
カラダが弱っていくんだ、という見方もできるが、

何らかの原因でカラダが弱っているから、
「年のせい」というような弱った言葉が出てしまうんだ
とも言える。

「言葉が先か? カラダが先か?」

たぶんその両方なのだろう。

いずれにしても、
「年のせい」「もう年」を声高に言うとき、
人は「止まりたいのだな」、と思う。

止まることが良いとか、悪いとか、言いたいのではなく。

考え続けることも、
進み続けることも、
緊張の連続。
なかなか苦しいことだから、

いったん止まりたいこときに、
これを言うと、そんなに自分からも、人からも、
責められない
そんな停留所のような言葉、

「年のせい」。

そんな折も折、久々に話した姉が、
別人かと思うほどに弱って、
「さいきん年のせいで」を連発していた。
めっきり老け込んでいた。

よくよく話を聞いてみると、
人前で、想う表現ができなかったと、
それで来てくださった皆さんに迷惑をかけたと、
志の高い姉は、自分で自分を許せなくて、
寝込んでしまっていた。

しかし、話して、話して、
しだいに、次どうするべきか自分で気づいて、
姉はみるみる元気を取り戻していった。

「次は自分の想うベストでやりとげたい。
だからがんばる!」

進み始めた姉からのメールに、
もう、「年のせいで」という言葉は一切なかった。

私も、快眠になり、体調も良くなり、進み始めたら
「年のせいで」を一切言わなくなっていた。

「さいきん年のせいで‥‥」

と言うとき、
人は、心か、カラダか、思考か、ちょっと疲れている。
ちょっと止まりたいと思っている。
あるいはそこで止まっている。

「でも、そこで止めてはいけない思考もある」

と私は思う。


ツイートするFacebookでシェアする


山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2017-08-30-WED

YAMADA
戻る