YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson837
    より切実な何かがみつかったとき



「自己肯定感がほしい」という人は、

そこだけ切り取って欲しがると、
ねじれやすいのかもな。

お金がほしい、とそこだけ求めるとあやういように。

すごくいいもの作ったから見合う対価がほしいとか、
留学して見聞を広げる資金がほしいとか、
金より大事な何かとセットだ。

求めるなら、それより大事な何かとセットだ。

「いま苦しくてたまらないことをのりこえる」にも、
おなじことが言えるのではないだろうか。

学生の表現を通じて「イップス」という病気を知った。

イップスとは、一例をあげると
スポーツ選手が、手が動かなくなり、
それまでのようなプレーができなくなる、
医者にみてもらっても手に異常はない、

例えばそうした症状が起きる「心の病気」だ。

私が尊敬する学生も、この病気になった。

どんなに悲しく辛く苦しかったか、
私が想像しても、想像しても、まだ足りない。

それでも、この学生は
「この苦しみをのり越えた先に
どんな景色が待っているのだろう」と希望を描き、
現実に立ち向かい、コツコツコツ症状を改善していった。

そればかりか、これまで手つかずだった
苦手部分まで、今がチャンスと合わせて改善し、
試合で、かつてない快挙をなしとげた。

私はこの学生の、

「イップスは治っていません。
でも、イップスはもう恐くありません。」

という発信に驚き、ものすごく揺さぶられた。

病気に苦しんでいる人にとって、
「病気が治るか、治らないか」は死活問題だ。
どんなに切実か、どんなに大切か。
治るためには何だってする、全てをなげうってもいいと、
思い詰めても当然だ。

でも、この学生には、その切実な問題より、
もっと大事な何かが見えている。

「より切実な何かがみつかったとき、人は強い。」

お子さんが授からない、ということを
ずいぶん悩んでおられた
文章講座の社会人の生徒さんが、

書くことを通して自己理解を深め、

本当にやりたいことが見つかって、
最終課題にはもう、お子さんが授かるかどうかではなく
自分らしく働いて生きていくことを主題に
文章を書かれた。

その直後にこの方は妊娠されたのだ。

ずっとずっと自分をとらえて苦しめ続けていたものが、
小さく見えるほど、大事な何かをとらえ直した人は、
心に余裕ができる!

私にも思いあたることがある。

「居場所があろうが、なかろうが、
そんなことどうでもいい!
目の前にいるひとりの表現力を伸ばす!
これが私だ!」

と思えた日のことだ。

当時、たった今日一日の居場所さえない私にとって、
居場所があるか、ないか?
これからどうやって働いて生きていくのか?
自分の居場所をどう見つけるのか?

は、まさに死活問題だった。

でも、生まれて初めての本の最後の最後に
読者に何が言いたいかを考え抜いて、

「あなたには書く力がある。」

と書けたとき、無限の勇気が湧いてきた。
それまでの死活問題がどうでもよくなった。

それを支えに、いまがある。

いま自分を苦しめている問題。

弱い私たちは、ついそこに終始してしまう。
問題が解決されれば「勝った」と言い、
解決しなければ「挫折だ」と言い、
目先のことに一喜一憂してしまう。

でも自分にとって、それより切実な何かがある。

苦境は、その「より切実な何か」を見つける好機。

それがあれば大丈夫なんだ!と、
自分や多くの人の人生が教えてくれる。


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2017-07-26-WED

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