YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson832
  読者の声 − 本音か、仮面か?



素の自分を出せば嫌われ、演じて生きるのは辛い、

「本音か、仮面か?」

若者のこの永遠のテーマに、
読者はどう考えたのか?

さっそくおたよりを紹介しよう。


<自分をどこまで理解できるか>

人をどこまで理解できるか 無限
自分にどれだけ正直でいられるか 無限

とにかく自分の言いたいことは、なるべく言う
言えないことは、言えない理由を自分に問う

絶対理由はあります。

納得いく答えを出すのに、
ちょっと時間がかかるかもしれません。

今は自分の信念で、
仮面をかぶったり、とったりしています。
この仮面は自由自在です。

かぶりやすい仮面、楽な仮面を一番よく使います。
それは「笑い面」です。
(H.Y)


<隠しているのではない>

大学生活も終わりに差し掛かり、
素の自分か、仮面をかぶるか、
という悩み方はあまりしなくなりました。

特定の誰かに対して見せない顔は、
隠しているのではなく、

その人と向き合う時にしまっているだけ。

必要なら出すし、
今、必要じゃないと思うから出さないだけ。

しまっておきたいな、と思っていた顔が
うっかり出てしまった時もあります。
それがいい結果になった時もあれば、
逆の場合もありました。
けれど、それはある意味
「出すべき時」だったのかもしれません。

この考え方が正解だとは思いませんが、
少なくとも今の私には一番合っています。
(枇杷島)


<多様な人々と付き合って>

以前は、
一人の相手に自分の全てを見せられたら、
と思っていました。

でも、人間関係は化学反応なので

組み合わせによって、
相手も私も出てくるキャラクターが違うんですよね。
それが面白いやらもどかしいやら。

自分の中にいるたくさんの自分を
出してあげるためにも、
いろんなタイプの人と付き合っていくことは大切なのかな、
と感じています。
(眼鏡ぐま)


<10年かけて>

私は社会に出て約10年が経ちました。
この10年、いろいろな人間関係に悩み、
さんざん考えた今、感じるのは、

「友人、親、パートナー、仕事関係の人、
それぞれに見せられる自分が違うんだ」

ということ。

そして、最近では、
それを腹の底から「そうだ」と肯定でき、
右往左往しない安定感がでてきているのを感じます。

それは、10年という年月をかけて、
『いろんな自分がいる』
と認められたことが大きいと思っています。
(あんこ)



「自分」という存在は、
きれいに1つの人格でわりきれるものではなくて、

「チーム」

そう考えるようになって
私は、ずいぶん生きやすくなった。

自分の中には、
勤勉な分子もいるし、
ぐうたらな分子も、
底意地が悪い分子も、
純粋な分子も、
計算高い分子もいる。

いわば多様な個性を持つ社員100人が集う

「山田ズーニー株式会社」だ。

以前は、笑いたくもない時に、
「暗いよ、もっと笑顔を」などと人に言われると、
意地でも笑うもんか、それが自分に正直
とかたくなだったけれど、いまは、

「チームで応対しよう」

などとも考えられるようになった。
どんな暗い会社にも社交的な人間の1人や2人は
いるように、
自分というチームにも、
「ここはこの場を楽しませようよ」と言う社交的な分子が
超少数派でもいるときがある。そしたら、

そいつに前面に出て働いてもらう。

リーダーが、
考え方が色々違う社員たちの話をよく聞いてやって、
とりまとめていくように、

私も「自分会議」と称して、
自分の中の矛盾した色々な想いを聞いてやりながら、
リーダーとして決定をしていく。

チーム自分の、100人なら100人の社員総動員しても、
1人も「それをやろう」という分子がいなければ、
それはやらない。

そこから先はもう、自分を背く行為になるので
社員たちもついてこないだろうし。

そんなふうにチームと考えると、

受け入れがたいサイテーの自分を見てしまっても、
自己否定に陥ったり、本当の自分とは何かと
悩むよりむしろ、

「リーダーとしてチームの底を把握できてよかった。
これからはチームに幻想を持たないで事にあたれる。」

「ぐうたらな社員が前面に出て寝てしまったから、
仕事が片付かなくて大変だけど、
そいつのおかげで睡眠時間は確保できた。
熱血社員たちの出ずっぱりじゃ健康を害したかも」

というように、自分のなかに矛盾する色々な分子がいて
よかったと思える。

「社風」があるように、
「チーム自分」とひとくちに言っても、
圧倒的にまじめな社員が多い社風の人とか、
ひっこみ思案超多数の社風の人とか、
クリエイティブな社員がよく育つ社風の人とか、
色々いるし、いていい。

もしも、常に常に、
チーム自分の中の超少数派の分子ばかりが前に出て
がんばらなければいけないような環境とか、

多数派の社員が常にスタンバっていなきゃいけないとか、
そんな環境にいることは、
社風に無理をしていることになる。

そこで、
このお便りを紹介して今日は終わろう。

自分探しに走るより、

「チーム自分への理解」と、それを「生かす環境」と、
この両輪を求めていきたいなあ、と私は思う。


<今回のテーマ、仮面について>

小さな頃から我が強いと言われ、
強い個性を持つ私には、
日本での暮らしが息苦しくて仕方ありませんでした。

いつも本当の自分、やりたいこと、
生き方とは違うのではないか
と思い続けていました

自分という大きなパズルピースを、
合わない型に無理矢理押し込むような不快感、

無理して合わせるのではなくて、合う所や人を探せばいい。

気がついたら外国にいました。
もう二十五年。

少なくとも自分の自由、やりたいようにやっていい環境
にいれることは有り難いと思います。

数はそう多くなくても、私と同じような考えを持つ人達と
知り合うことも出来たし、
FBなどでも、浅いつきあいかも知れないけど、
正直に書いた意見に賛同を得ることも出来、

気持ちのいい関係、生き方、
人生が送れているのではないか、
と思っています。

一度しかない人生、思っているよりずっとずっと短いです。

私は本物が好き、無駄が嫌い、偽るのも合わない、
表面上のつきあいはいらない、という価値観なので、
自然と今のような状況になりました。
(エリコ)



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2017-06-21-WED

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