YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson831  本音か、仮面か?


「素の自分をさらせば、人は離れていく。
かといって仮面をかぶって生きるのは苦しい。
いったいどうすればいいんだ?」

この問いは、毎年かならず多くの学生たちが、
文章表現やプレゼンの主題にとりあげる。

若者の永遠のテーマだ。

ある学生Aくんは、

思春期のとき、
まわりとの表面的な関係に疑問を感じる。
広くて浅い関係には親友と呼べる人がいない。

Aくんは思い立ち、
勇気を持って本心を伝えるよう努めた。

結果、「親友」ができた。

本音でつきあえる深く濃い人間関係を得た。
しかしAくんは気がついた。

「自分のコミュニティは、
凄く狭いものになってしまった。」

また別の学生Bくんは、
集団の中で浮いてしまう自分の個性に苦しんでいた。

Bくんは「いわゆる普通」のふりをして生きる決心をした。

本心はひた隠し、
いわゆる普通の人がふるまうようにふるまい。
いわゆる普通の人が言いそうなことを言って生きる。

すると人生で初めて集団の輪のなかに加わることができた。

しかし本心をいっさい言わず、
必死に普通の仮面をかぶり続ける人間に、
心からの友ができるはずもなく、

気がついたらまた1人になっていた。

「本音か、仮面か?」

これら学生の葛藤は他人事でない、自分の中で鳴る。
大なり小なりだれでも1度は悩む問いではないか。

「そして、人は編み出す!」

ある学生Cくんは、
自分が編み出した出口を“ライオンキング”
と言った。

ミュージカルのライオンキングで役者は、
仮面で全部顔を覆してしまってはいない。

「自分自身の顔」もさらし出しつつ、かつ、
額の上部に、ライオンの仮面もかぶっている。

客には、「顔」も「仮面」も両方見える。

これと同様に、Cくんは考えた。
素の自分をさらけだすばかりでは相手は引いてしまう、
だから本性を隠したり、
相手を想って演じたりすることもある。

その2面性こそ自分=ライオンキング。

「素の自分と仮面と、2面性を正直に相手に差し出す」

という道をCくんは選択した。

Dさんは、中国と日本の狭間で育った。
友達との付き合いひとつでも、中国と日本はまるで違う。

日本の友達といるためには、
中国で育んだ自分の個性を隠さなければいけない。
中国の友達には、日本で育んだ顔は出せない。

「人といる時は絶対に自分の一部を隠さなければいけない」

自分の全部の顔を出せて理解してくれる人を切望するも、

自分をまるごと受け入れてくれる親でさえ、
自分の全ての顔を理解することはできないし、
理解してもらおうにも通じない、と悟った。

出口は意外なところにあった。

大学に進んだDさんは、それまでと明らかに違う、
ひらかれた人間関係に身を置いて、気がついた。

「多様な人々がいる環境の中で、
意図せずとも、相手によって自分の出せる顔がちがい、
一人に全部の顔を見せることはできなくとも、
自分の全部の顔を誰かしらに出せるようになった。」

Aくんは、ひらかれたコミュニティーを目指し、
みんなに笑顔で自分をひらきつつも、
本心を伝えられる人との出逢いは逃さず
深く通じていく道を。

Bくんは、自分を貫いて魅力的に生きる人物と出逢い、
自分を貫きつつ、かつ、社会に自分を生かす道を。

悩んでいいんだなあ。

正解はない。

だからこそ、自分の手で編み出した
それぞれかけがえなく違った答えが、
その人の尊厳をカタチづくっている。

素の自分をさらけ出すか、相手を想って演じるか?

この問いに悩むことは、人間らしい。
考えて、実人生でトライして、失敗したらまた考えて、
自分に合った答えを編み出していくのがいい
と私は思う。


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2017-06-14-WED

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