YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson830  伝わってない?


「自分がこんなにツラいのに、まわりの人は冷たい。」
とおもったことはないだろうか。

私はある。

ことし早春、私にはめずらしく、
ツラい日が続いた。

だいたい一晩寝ると前向きになる私なのに、

いまやすっかり解決して、
なんであんなに苦しかったのか
ふりかえっても思い出せないくらいなのに、

そのときは、夜も眠れないようになり、
カラダでもこわしたらいけないからと、

家族に助けを求めることにした。

「いま、けっこうまいっているんで、
家族の支えが欲しい。
事情を話すとよけいツラくなるから、
なんにも言えないんだけど、よろしく」

というようなことを、
そうとう勇気を出して、家族に電話して頼んだ。
人に弱みを見せられない性分なので、
プライドがけっこう傷ついた。

ところがだ。

「支えてくれない、優しくない。」

言えばいくらかラクになると期待していた私は、
あてがはずれ、

「もっと優しくしてくれ」と言おうとすれば、
プライドがズキズキするし、
家族とよけいギクシャクして、
けんかになりそうになるし、

私は、「もういい」
とやさぐれて、自分の殻にとじこもってしまった。

「こんなに私がつらいのに、みんな優しくない。
私はひとりだ。」

しばらくたったある日、
ぜんぜん別の用事で家族に電話をしなければ
ならなかった。

事務的に済ませるつもりだったが、

電話で家族の声をきいたとたん、
どしたことか、私は泣いていた。

私がいちばんしたくないカッコワルイ行為、
電話して泣くという行為を、やってしまった。

「ああ、なんてカッコワルイんだ。
泣いてもよけい孤独がますだけなのに‥‥」

ところが、

家族は、それまでとはうってかわって、
ものすごく親身に! 応対してくれたのだ。

その後も、
プライドの高い私のプライドをくじかないように、
さりげなく、温かく、
私の気持ちが和むよう気を配り続けてくれた。
おかげさまで立ち直り、

「家族の支えとはこういうものか」

といまさらのように実感した。

私はやっとこさで、気がついた。

「あれ、もしかして、伝わってなかった?!」

最初に家族に電話をした時、
私は伝えたつもりでいた。

かなりまいっていること、支えがほしいこと。

でも、実は、
あんな言い方じゃ、ぜんぜん伝わっていなかった。

プライドが高いために平静を装い、
装いきれなくてぶっきらぼうになり、
肝心なこと何も言わない、心をひらかない、では、
家族に伝わりようもなかったのだ。

自分のつもりでは、
「追い詰められてるサイン」とか、
「支えがほしいサイン」とか、
プライドかなぐり捨ててバンバン出しているようでも、

そんなの、電話の声色とか、
メールじゃ、ぜんぜん切実みが届いてなかった
とやっと気がついた。

はからずしも電話で泣いてしまったことで、
あのくらいはっきりと態度に表れてはじめて、
家族は、

「こりゃ、たいへんだ。」

と気がついたのだ。
あのくらいにならないと伝わらないんだな。

「伝えなきゃ、伝わらない。」

私はなんと甘かったのだろう、
伝える仕事をしているというのに。

自分がこんなにツラいのに周りは冷たい、とか、
支えが欲しいサインをバシバシ出してるのに
みんな優しくない、
とか思える時、

「伝わってない」ということもあるんじゃないか?

内面のツラさが見た目にはわからない、
むしろ元気そうに見えている、
ということもあるのではないだろうか。

本当に伝わったら、優しい人は多いのでは?

「その伝え方で、ほんとうに伝わっているか?」

そもそも、

「ちゃんと相手に伝えようとしたのか?」

この先、やさぐれそうになったら、
私は、私にそう問いたい。

伝わったとき、優しい人は多くいる。

いまは、そう信じている。

最後に、「Lesson827 書いて、自分になる。」
に寄せられた、読者のこのおたよりを紹介して
今日は終わろう。


<やっと母に伝わった!>

今日は、実母と
「産後の里帰りをどうするか」、
話し合いました。

母は、

全国出張する父と、
仕事で心身のバランスを崩し実家に戻ってきた妹と、
15年以上引きこもった弟と、
小さい庭で育てているたくさんの野菜と
暮らしています。

母自体も、
一生付き合わなければならない病気があり、
摂生をしながら生活しています。

そんな中、母は、
産後の私を「迎い入れて面倒を見たい」
と言ってきました。

私は、
夫と産後を乗り切ろうと考えていたので、
「なぜそうしたいかを母に伝えないとならない」と、
子供ができてからずっと考えていました。

母に私が、一ヶ月まるまるお世話になることは、

夫の父親としての自覚を促す機会がなくなること、

共働きの生活に戻るときそれは後々影響すること、

これから、私たちが生きていく術として、
色々な社会資源に頼り、
風通しの良い家庭を意識して作らなければ、
共倒れとなってしまいかねないこと、

お母さんの野菜づくりの時間を確保しつつも、
週に何回か私の家に来て、助けて欲しいこと、

‥‥数ヶ月前はうまく伝えられなかった思いを、
考えることで、まとめることができました。

病院主催のおばあちゃん学級で、
「親世代の意志を尊重するように」、
と言われたことも、大きな助けとなりました。

母は、
家族きょうだいが助け合う姿を見て育った世代です。
その経験から産後の私に何かできないか
考えてくれていたのです。

そんな母に、
私は、拙いながらも表現を変えつつ、何回も伝えて、
今日やっと

「真意が伝わった!」

と思う瞬間がありました。

「こういった生活がしたいので、
そのために、こんな関わり方で
それぞれやっていくことは出来ませんか?」

自分たちの想いを形にできたこと、
伝わったこと、

それに伴った苦労が出てくるであろうこと、

それでもきっと、苦労しながらも、
想いに添っているならば、きっと乗り越えられる!

と、私も、母も、思えた瞬間があったことが、
これからの生活において支えとなりそうです。
(諒子)



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2017-06-07-WED

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