YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson826   未熟


本当に未熟な人は、
そのことに自分で気づいてない。

周囲のだれもが
「この人は、ここをのり越えないと、
せっかくいいところがあっても台無しだ」
と感じている。

にもかかわらず本人は、
「私なりにがんばってる」、
それどころか「世界が私にいじわるをしている」
と思っている。

だから未熟なのだ。

優秀な人でも、
人道的にどうなんだろうと思うレベルの、
とんでもなく未熟な部分があることがある。

そういうとんでもなく未熟な部分は、

他があれこれ優れているから許せる、とか
優れている部分と足して割って見てあげられる、とか
そんなレベルではない。

そういう未熟は、ネックとなり、
本人の足を引っ張る。

わかりやすい例をあげれば、

才能も、人間的魅力もあり、
社会的地位をどんどんあげていった人が、

でも、激昂しやすく、
激昂したら手をあげるという
人間的未熟さを放置したままだとしたら、

ある日、手をあげて、失墜。

ということがある。

他の優れている部分でどんなにがんばって
成果をあげたり、実績を伸ばしたり
したとしても、

台無し。

結局、自分の中での「底辺の未熟」まで落ち、
それ以上に築いたものは失い、
またそこからやり直しだ。

暴力とか、遅刻とか、
「目にカタチとして見える未熟」は、
本人も気づかずにはおられないだろう。

しかし多くは、「目に見えない内面の未熟」。

だから本人なかなか気づかない。

気づかないんだけど、
ネックとなって、まわりに迷惑をかけている。

本人は、
思いどおりに評価してもらえなかったり、
自分から見て劣る人が先に行ったりして、
なかなか上に行けない自分を、

世界がいじわるしているように思う。

世界はいじわるなどしていない。

まわりは生かそうと思っている。
「せっかくいいところがあるのに、惜しい、残念だ」と、

「気づいてほしい」と思っている。

しかし、気づいてもらえない。

未熟さゆえの自己中心的な見方、自分以外の「外がない」。

そもそも興味なく本当の意味で他の人を見ていない。

自分と比べて優か、劣か。
自分だけ見る思考回路、
それが許される甘い人間関係、
利己のために組まれ、まわっていく生活習慣。

気づくには代償がいる。

脱却には、考え方を変え、新習慣の構築、時間がかかる。

私自身、いまだ未熟者だが、
それでも経験から言えることは、

まず、まわりの言わんとすることを
本当に「聞こう」とすること。

傾聴と同時に、自分のやるべきことを
コツコツやっていくと、
2〜3年がかりで、
「ああ! まわりの人が言っていたのはこういうことか!」
と、心底気づける瞬間がくる。

ただ、気づいて、頭ではわかっても、
それができる体と習慣は、まだない。

コツコツと良い習慣を構築しながら、
同時に悪しき習慣を解体していく、
現実的で、地道な、日々の訓練。

これを、2〜3年がかりで続けた果てに、
自分の器が少しだけ広がるようなかっこうで出口が見えた。

未熟から抜け出すには、

安直な変節をせず、手軽なものに飛びつかず、
それくらい広く長い目で、自分を見て取り組んでは、
と私は思う。


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2017-05-10-WED

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