YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson822
 おかあさんのアバタ―



「やりたいことがあるけれど、
おかあさんのためにあきらめます。」

「どうしても行きたい大学があったけれど、
親の反対で泣く泣くあきらめ、
この大学にきました。」

そうした学生を、
これまで何度か見てきた。

私の仕事は、
人が自分の想いを言葉で表現するサポート
であって、生き方には立ち入らない。

だから学生の選択は尊重し、
決してどうこう言わないのだけれど、

そうした事例にでくわすと、
「あの学生はその後どうしたろう」と
いつまでも心にひっかかっている。

このところ、「母と娘」の関係が気になる。

昔は、
「マザコン」息子が社会現象になったり、

ひと時代前は、
「母親の過干渉」に苦しむ男子や、
おかあさん大好きと人前で言ってはばからない、
「おかあさん大好き男子」がいたり、

母と息子のほうが気になっていた。

それが近年、

自立傾向にあるというか、
「親がどうだから自分が何かできないという考えは
もう卒業だ」という風潮が強くなってきており、
あまり母息子問題は、主題にされない。

母親が登場しても、むしろ、
息子のほうが母親を支える関係が多い。

そう思っていたら、母娘関係が気になりだした。

私が現実としてふれる限られた範囲ではあるけれど、

母親のためにやりたいことをあきらめる。
世襲に苦しむ。
進路を親に阻まれた。

というのは女子が多い。

NHKでもこの1月から3月まで、
母娘の密着を主題にしたドラマ、通称「オカムス」が、
衝撃と反響を巻き起こしている。

「なぜ自分はいま、母息子より母娘が気になるのか?」

もんもんとしているとき、ふと思いあたったのが、

アバター。

ネット上の仮想空間や、ゲームの中には、
とうぜんながら自分の肉体は入っていけない。

だから代わりに、
自分に似せた人形をつくり、仮想空間に置く。
人形を自分で操作して、
遊ぶなり、冒険なりできる。

「自分の分身=アバター」

人形は人形で、自分ではないはず、
だけど、
髪型や髪の色、肌の色、目の大きさや眉毛、
たくさんあるパーツを選んでいくと
自分に似てくる。
さらに服装などもこだわって着せていくと、

アバターに自分の想いが宿る。

アバタ―が痛いめにあえば、
自分も痛い心地がするし、

アバターがバーチャル空間を自由に動き回って楽しめば、
自分が動き回っているかのように爽快な気分になる。

「母娘密着は、分身化しやすい。」

やりたいことがやれずにきてしまった母親にとって、
顔も似ていて若い肉体を持つ娘は、
生き直すための格好の体。

娘をアバターに、母親が自分のやりたかったことをする。

娘にとっかえひっかえ、
自分の着たい服を着せているぐらいなら

まだ、自分のやれなかったことを、すまないが、
娘に代わってやってもらってスッとする、
にとどまるけれど、

自分の行きたかった大学に行かせる、
自分が就けなかった憧れの仕事に就かせる、
自分好みの男性とつきあわせようとする、
などになったらこれは、

もはや、アバタ―。

母と息子の密着は、過干渉や束縛止まり、
だが、母と娘はそれに加えて、

「人生の乗っ取り」。

だからいま、私は、母娘問題が気になるのだな
と思う。

一方で、娘のほうが、

人生経験も少なく未熟なために、
自分で決めてなにかやってもうまくいかない、
結局、また母親が言ってたとおりになった、

ということが何度もあると、
びびってしまい、

自分で考えるのをあきらめて、

あらかじめ親の意向をうかがう、
親に決めてもらう、
親に背くと悪いことが起きると思い込む、

これはまるで、自分の頭をパカッと開けて、
司令塔の部分をごっそり母にあけわたすようなものだ。

頭脳は、母親に預け、
肉体は、母親の想いの乗り物と化し、

2人は無線でつながって、
母親のコントローラーで操作されたとおりに
娘が実人生を動きまわる。

娘自ら、母親のアバターになっている。

考えたらアバター化は母娘だけでなく、

上司と部下にも、
師匠と弟子にも、起こりうる。

だけど、母娘の場合は、
おたがいに本物の愛情もまざっているし、
本当に相手のためになる行為もまざっているので、
ややこしい。わりきれない。

今年、卒業した学生のなかに、

「自分の大学生活をふりかえって100点満点。」

と言い切る学生がいて、
聞いている私まで清々しかった。
その理由は、

「反対されてひるんだり、
リスクがあるからとごまかしたりせず、
自分がやりたいことをやる。
その意味で、自分に嘘をつかず、素直に生きる」
これを積み重ねたからに他ならない。

この学生の分岐点は、

中学卒業時、留学したことだ。

中高一貫校で、
このタイミングで留学は諦めてくれ、
留学するなら学校を辞めてくれと言われ、

自分の意志で学校を辞めて、留学する道を選んだ。

このように、自我が芽生えた思春期のころに、
自分が本当に心からやりたいと思ったことを、
周囲の反対にあっても、リスクがあっても
やり通した学生を、数多く見てきた。

そういう学生は、やりたいことをさらにやれる
いいスパイラルにはいっている。

やりたいことをやったらうまくいくから、ではない。

リスクを負ってでもやったことがすでに自信、
失敗しても、新たな経験をしたことで視野が広がり自信、

ふりかえって、自分のモノサシで人生をはかったとき
満足度が高いことをわかっているからだ。

アバター化したりされそうなほど
密着した母娘も、そこから抜け出すには、

「自分がやりたいと思ったことを自分でやる。」

これにつきるのではないだろうか。

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2017-04-05-WED

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