YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson816
  読者の声 ― 就活の「やりたいこと」とは?



就活で「やりたいこと」と聞くから
自己実現と仕事が混線するんだろうなあ。
より現実的には、

「社会は、
電車を走らせる人、食品を作る人、病気を治す人など、
皆が何かの苦労を引き受けるカタチで成り立っています。
あなたは、どの苦労なら引き受けられますか、
役立てますか、責任を持って続けられそうですか?」

と聞くほうが混線は少ないかも、

そんな先週のコラムに、
読者から反響をいただいた。

今週は、読者の声を紹介しよう!


<夢がなくとも、ちゃんと生きる>

大阪在住の大学2年生です。

先週のlesson815就活の「やりたいこと」とは?

自分の心の中にもやもやと溜まっていた何かを
びしっと代弁していただけたような気がして
とても心を打たれました。

私は春から大学3年生になります。
就活の話題は避けられず、
少しずつ不安がつのっていきます。

関西の様々な学生と交流し
支援をするバイトをしているため、
「やりたいこと」に全力で取り組む同年代の学生を
何人も見てきました。

今の自分の自己実現がそのまま将来の仕事に繋がるような
素晴らしい「夢」を持つ学生がたくさんいました。

ただ、私は彼らとは違う。

「夢=やりたいこと=将来の仕事」という等式が、
どうしても受け入れられない。

思えば昔から、
「将来の夢」という言葉に対して違和感を覚えていました。
やりたいことがそのまま仕事につながるとは
思えなかったからです。

私にも好きなもの、自己実現につながるものはあります。

文章を書くことです。
でも、文章を書くことを仕事にしようとは思わないんです。

仕事をする気はもちろんあるし、
就活にも真面目にのぞみたいのですが、

「夢」「やりたいこと」と聞かれると、
正直困ってしまいます。

「やりたいことと仕事は別で、
夢はそもそも持っていない」、
「こういう仕事につきたい、という希望はあるけれど、
それがやりたいことではない」、

そんな風に答えると、
周囲の大人には「現実的だなあ」とか
「若いのにもったいない」とか、
挙げ句には「夢がないなあ」とか言われます。

「夢」を持つ学生は、
私のような「夢」を持たない学生を、
ときに哀れむように見ることがあります。

「夢」を持たない私のような人間を排除しないでほしい。

若者は夢を持つべきだという風潮に圧迫され、
辟易して動けなくなっている学生は、
私以外にもたくさんいるはずです。

先週のおとなの小論文教室を読み、

「仕事は、他者を満たす。」
「自己実現は、自己を満たす。」
もともとベクトルが違うものだ。

「ああ、これが言いたかったんだ」と感動したのです。
自分の力では言い表せなかった心のもやもやを、
すっと目の前に文字として落としてくださり、
救われた気がしました。

夢がある学生に対して劣等感を抱く必要がなくなりました。
(もうすぐ大学3年生)


<苦じゃなく続けられること、あります!>

先週の、
「どの苦労なら引き受けられるだろう」
という問いに、目から鱗が落ちる思いでした。

「何ができるだろう」と考えた時に、
いつもなかなか思いつかなかったし、
自分を客観的に見ることも上手くできませんでした。
人と比べて自分は劣ってるとか、
役に立ってるんだろうかとか、よく悩みました。
でも、

「どの苦労なら引き受けられるだろう」

なら判る気がする。
苦も無く続けられていること、
小さなものだけど幾つかあります。

それらを見つめていけば、私の適性が見えて来そうです。

一人一人違って、
いろんな場所で場面で支え合っている。

自分のことが判れば、人の適性を羨まなくていい。

活かし合って行けばいい。
前が明るく開けて来ます。
(クロ助)


<良い意味で身勝手に働く人々を見て>

わたしは、フランスに留学して1年が経ちました。

わたしはずっと、
やりたいことを仕事にし
自己実現と収入を得ることことを両立させねば!
と、考えていました。

わたしにとって自己実現とは表現することなのだ、
と信じていたのが高校生の頃です。
詩や歌を書く、物書きとして生きたいと思っていました。

しかしいざ、どうやってそれを仕事にし、
お金をもらい暮らしていけるだろう?と考えると、
いつもいつも具体性のない将来に、
先の見えなさを感じていました。

そして火を消したのは自分でした。

冷静になってみると、
自分の中にある見てきた景色や
経験の少なさに気づきました。
わたしは今すぐには物書きを
一生の仕事にしていくことはできないのだ、
とそのときさとりました。

そして、先の見えなさ、
生まれ育った東京で感じていた閉塞感から逃れるように、
ここフランスへやってきました。

この一年、
常識だと思っていたマナーやルールは、
日本ならではの文化であること、

それに人一人が生きていくのは
そんなに大変そうじゃないこと、

を知ることができました。

日本の半額ほどという食べものの安さや、
政府からの手当のおかげで、
大抵の人は食べていくには困っていなさそう。

そして何より、
そこここで働く人の身勝手さ
(その時々で機嫌の悪さがロコツに出てるなど)
がいい意味で、わたしの
「仕事をしてお金をもらうというのは、
価値を生み出すことに心と命をかけ、
常に上を目指すことだ!」
というような強い思い込みをほぐしてくれました。

つまり、社会に出るにはわたしもそういう人でなくては!
という思い込みを。

以前は、その思い込みのせいで
自分の足りなさを数えるばかりだったけれど、
その堂々めぐりから少し離れることができました。

無駄な力みのない今、

自分の以前から好きだった発酵、
職人さんに持っていたつよい憧れ、
それにフランスにいるということを活かして、

チーズを作る人になろうかな、と思います。

自分のことを考え過ぎなくなったら、
矢じるしの向く先が定まったので、
まだ決めただけだけどそこへ向かっていこうと思います。

気持ちよく、20歳の一歩を踏み出せそうです。
(ナオ)


<ないから始めて10年、わかったこと>

「やりたい事、なんて『ない』」
から始めてみよう。

そう決めた10年前のことを思い出しました。

先週のコラムに
「力量=できることを増やさないと、
やりたいことすら限定されてくる。
できることが増えれば、夢の範囲も広がっていく。」
とありました。

20代、30代の頃は、自分が「できること」を増やす
作業に没頭してきました。

「これが出来るようになったら
やりたい事が見つかるのかも知れない」

「これが出来るようになったら‥‥」

とドンドン重ね着をして着ぶくれした自分がいました。

ところが、40才を過ぎたころ、しみじみと
自分の「できること吸収力」みたいなものが
身に染みて落ちたことを実感したのです。

でも、相変わらず「やりたい事」は見つかりません。

焦って苦しんで。

そんなとき、開き直りに近い感覚で決めたことが、
「やりたい事、なんて『ない』」から始める、
だったんです。

それから、約10年。来月には50歳になります。

いま、どんな感覚なのか?

これまで自分が身に着けてきた「出来ること」は、
周囲の人に

「助かる」「癒される」「刺激になった」

などのコメント付きで喜んでもらえて、

「あれ、自分って、案外まわりのみんなの
役に立ってるんじゃないか?」

と実感できる機会が増えています。

そして、そんな瞬間は、自分もすごく嬉しい。

他者が喜んでくれることは、もしかしたら、
僕のやりたい事、にすごく近い場所のこと、
なのかも知れません。

「やりたいことはない」、からスタートしたし、
いまだに「これだ!」には出会っていないです。

でも、「やってみたら面白かった」ってことなら
結構たくさんある。楽しんでいる、面白がっている
自分を見つけて、びっくりしたこともたくさんある。

だから今は、

「やりたい事って、いまは見えてない。
けど、言葉にできてないだけで、
自分の中には、ちゃんとあるんだろうなぁ。
まぁ、いつか出会えるさ!」

って感じの、ゆるーい、緩やか気持ちで
気楽に構えています。
(ひげおやじ)



人は多様だ。

私は、表現教育を通して、
外見からは計り知れない、人の内面を
たくさん、たくさん、見てきた。
そこから伝えたいのは、

「人間は、ほんとうに、想像しているよりも、
ずっとずっと多様である。」

ということだ。

「仕事=自己実現」の人もいれば、
一方で、
「仕事にそこまでのめりこめないが、
責任を持ってちゃんと続ける」という人もいる。

みんながみんな「やりたいこと」があって、
「やりたいこと=仕事=自己実現」
でなきゃいけないというような圧迫感が
社会にあるとすれば、それは、

「熱烈な恋愛結婚以外、結婚を認めない」

と言ってるのと同じくらい、
人を窮屈にしてしまう。

本当に心からの恋愛をし合って結婚をした人は、
たいへんいいことだと思う。

でも、それ以外にも多様な結婚観、

「人間として尊敬できるから」
「家族になれる人だと思ったから」
「こんな人に育てられたら
生まれてくる子どもは幸せだと思えたから」

など、

「熱烈な恋愛はしなかった」
けれども、なげやりにならず、ちゃんと考えたら、

「自分の中に、ささやかでも結婚に対して
大事にしたい想い、ちゃんとあった」

ということもある。

同様に、

「多様な働き方、多様な仕事への想い、を認める」

ということが、
「やりたいこと」の圧迫感におしつぶされそうなとき、
自分自身を支えてくれると、私は思う。

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2017-02-22-WED

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