YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson805
  破壊はホントに創造につながるか?



ぶっ壊せば新しいものができると思っている人がいる。
これはいいことなんだろうか?

破壊と創造はセットだし壊せば‥‥と
私も思ってきた節がある。

でも、

「創る」って、
本当に新しいものを創った人を見ると
もっとコツコツとした継続的な行為なのだ。

とにかくぶっ壊したら
酷い現状がさらに酷くなっただけ、では?

むかしの自分をふりかえって、

こっぱずかしいけど、
「破壊なくして創造なし」
というような考えに、カブレた時期があった。

好きなアーティストや、
ロックなどの影響だ。

とにかく、
古い習慣に凝り固まった空気がキライで、

たとえば、親戚が集まるような場で、
うちは田舎なので、

遠慮とか、タテマエとか、男尊女卑とか、慣例とか、

おとなたちがみんな表面的・形式的にふるまって、
歯に衣着せ、
いっこうに本音を言わないのが、
茶番を見ているようで、いらだって、

私が、ズバッ! と本音を言って、

場の空気をまずくするようなことも、
勇気と思ってやったことがあった。

壊さなきゃ、新しくはならない、と。

でも、

「それで場の雰囲気は変わったか?」

いまから考えて、
なにも変わらなかった。

おとなたちは、しばし黙り、
でもしばらくすると、なにもなかったように、
お酒をついだり、料理を食べたりした。

時は流れ、

自分なりにコツコツと、
文章表現教育の道で、本を書いたり、
表現力育成のワークショップを積み重ねたり、
何十年とたったいま、

むかしの私のような「ぶっ壊し屋さん」に
ときたま遭遇することがある。

表現教育の授業なので、
みな自分の伝えたい何かを、
言葉で表現しようとしている。

そのはりつめた空気に風穴を空けようとしてか、
ぶっ壊すのだ。

たとえば、

「就活なんて、クソくらえ!」

「自分らしさなんか、ぶっ壊せ!」

「試験なんか、蹴っ飛ばせ!」

こんな単純なスローガンではないが、
もっとちゃんとした話になっているけど、
要約すれば、

ただ、皆にとって切実な何かをこき下ろすだけ。

でも、こうした表現は、たいへん人気だ。

さしずめ、これが社会人なら、

昇給評価なんてクソくらえ、とか、
社長なんか恐くない、とか、
ノルマなんか蹴っ飛ばせ、というところか。

権力を恐れずズバッとたてつく発言に、
そうだそうだ! 勇気がある! と思う人は
とても多くいるだろう。

でも、私は、
最初から壊すことを目的にし、ゴールも壊しただけの、
これらの表現が、
あたらしい創造につながるとは、
どうにも思えないのだ。

そもそも、これらは表現といえるのだろうか?

自分の内面は、何も出さず、

むしろ自分に向き合う緊張から矛先をかわすため、
外に対象を見つけて、
こき下ろすだけ。

「創造」と言えば、
私はやっぱり、コツコツとした文章が浮かぶ。

以前、拒食症から立ち直った経験から
文章表現をした学生がいた。

読む人のだれもが気になるのが、
なぜ拒食症になったのか、
どうやって治ったのか、だ。

でも、現実はそんなに、
1つの理由でこうなった、1つのきっかけで治った
というような単純なものではない。

複雑な理由でじわじわとこうなり、
時間をかけていくつかの要素が功を奏して治っていく。

その複雑さから目をそむけず、
コツコツとじぶんの想いを掘り下げ、表現した果てに
やっと書き手の想いが読者に響く。

「閉塞した自分の世界には、実は外があったんだ」
という発見、

ふたたび「おいしい」という感覚を取り戻したときの、
みずみずしい感動、

それらが読者に響いて、

その瞬間、読者の中で何かがパカッとはじけ、
新しい何かにむかってひらかれていく。

ふるさとの、親戚の集まりで言えば、

タテマエだけの茶番は嫌だ、本音で話せと
場の空気を壊したかつての私は、
結局、新しい空気を創ることはできなかった。

お客さんたちの機微をとらえ、
料理を足したり、お酒をついだり、聞き役にまわったり、
心から楽しめ、くつろげるようにと、

コツコツおもてなしをした母のほうが、

結局は、ほろり、ぽろりと、
みなさんの本音を引き出していた。

生徒さんたちの表現を、
一瞬で引き出すことはできず、
基礎、つまりコツコツとした問いの積み重ねがあって、
はじめて、深い内面を引き出せるのだと知った、
いまの私には、よくわかる。

現状が気に入らないとき、
ぶっ壊せば新しいものができると思っている人がいる。

破壊は創造だと。

でも、いま、私はこう思う。

破壊があるから創造がある、というよりは、

人は、コツコツと創りつづけていった果てに、
途中で必ずそれまでの常識ではのり越えられない壁に
ぶちあたる。
そこをのり越えたとき、
それまでの常識は打ち破られているのだと。

「破壊は、継続的な創る作業と両輪で」

と私は思う。

ツイートするFacebookでシェアする


山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2016-11-23-WED

YAMADA
戻る