YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson790
読者の声―「選択」の時、いちばん大事なもの



想いに忠実な選択をした時、
人は後悔しない。

「自分の想いに問う=考える」

ということを、選択のとき、
地道でも、面倒くさくても、
コツコツやっていきたい。

想いに添った選択ができたとき、
目に映る風景は、別格に美しい

という先週のコラム
「選択」の時、いちばん大事なもの
に、多数反響をいただいた。
きょうは、読者の声を紹介しよう。

選択の時いちばん大事なものとは?


<胸のモヤモヤが>

ちょうど就活をしている者です。

Lesson789
「選択」の時、いちばん大事なもの

ちょうどいいタイミングにこの記事を読んで

あぁ、、、、。(胸に突き刺さっています)

と思いました。
私も思い返すと小学校→中学校→高校→大学と
淡々と進みました。

淡々と進んでることは、
凄く恵まれている環境なのです。

しかし、自分の中のモヤモヤが取り除けないです。

私は、自分の根本思想に覚悟を持てないまま、
流されて生きていくのでしょうか。
まだまだ、自分で考える力が足りないみたいです。
精進します。
(やさか)


<突然、景色が一変し>

大学卒業と同時に大手ITに就職して
13年たちます。

何度も「はい」と口にだすことができず、

何かを飲み込んで、
喉が詰まったような気がすることがありました。

内容は些細なことで、

やりたくない仕事を指示されたとき、
好きなお客さま担当を外れた時。

会社員としては、ごくごく普通の指示で、
だけど、なぜか「はい」という言葉が喉に詰まって
言えませんでした。

無言だったり
「仕方ないですね」「残念ですね」と
少し自分から切り離したような回答で、

もちろん回避できることなく、
結果は「はい」と言ったのと同じなんですが。

あのぐっと詰まる感じを思い出しました。

景色が一変したような美しい風景。

恋に破れても、未練タラタラだった
ある日の旅先で、

突然、

未練が消えて

心が震える景色が広がった

ことがあります
そういう瞬間ってあるものなんですね。
(田町にて)


<選択の時、いちばん大切なもの>

私は、高校・大学・就職試験の際、
どれも第1志望に落ち、第2志望に進みました。

第1志望に落ちた時は、
悲しくて、悔しくて、不安でいっぱいでした。

が、第2志望に進んでみれば、
高校も、短大も、始めての就職先も、
友達や先輩に恵まれ、
とても充実した楽しい経験となりました。

今思えば、自分の目標が
はっきりと定まっていない年齢だったので
新たな自分の可能性を開拓することが
できたのだと思います。

しかし、30代も後半になり、

会社での立ち位置も固まり、
自分が何に向いていて、
自分は何がしたいのかが形となってきた時に、
会社の経営が悪化し、

早期退職を選択せざるを得ない状況となりました。

30代後半の独身女性には、
良条件の再就職は難しく、
就活に苦労していた時、

当時の友人の1人から、
縁故ならではの、好条件の就職先を紹介されました。

未上場の会社ながら、親会社がしっかりしており、
仕事はとても忙しいけど、残業代は全額支給、
給与は年齢に合わせてくれて、福利厚生も充実。

しかし、なぜか私は気が進みませんでした。

その業界に、まったく興味が持てないどころか、
自分の進みたい道と真逆の世界だったからです。

でも、この年収なら、高齢になった親も安心するだろう。
それに、友人の顔も潰せないし‥‥と悩んだ挙句、
「生活の手段と割り切ればいい」と、就職を決めました。

自分の内部からは

「これは自分がやりたい仕事じゃない。
 絶対に割り切ることなんかできないから止めた方がいい」

という声がハッキリと聞こえていましたが、

学生時代も、結果オーライだった。
今回もきっとそうなると、
無理に耳に蓋をして、転職に踏み切りました。

そして転職後10年。

現在の自分はどうか。

経済的には安定し、親を安心させることはできました。
一緒に退職した仲間内で、一番の出世と言われています。

しかし、嫌悪感は一度も消えず、一切やり甲斐を感じず、
ただ馬車馬のように働く、忙しいだけの毎日。
就職してすぐの頃には、鬱になり休職もしました。

プライベートな時間は持てず、友人とも疎遠になり、
どうにか結婚はしましたが、夫にも愚痴ばかり。
今この瞬間も、辞める事ばかり考えています。

そのような経験から、私が出した結論です。
選択の時、いちばん大事なものは何か。

自分の内なる声。そして何より、揺るがない自分。

当時の私は、30代後半で始めて外の世界へ出て、
自分が社会の中でどの程度の力量があるのかが
全く分からず、不安の方が大きかったのです。

会社に頼らず、会社の中で安心しきらず、
いつやってくるか分からない緊急時に対応できる
「これが私」と自信を持つ事ができていれば良かった。
異業種交流など、もっと外に出るべきでした。

自分の声に真摯に耳を傾けると同時に、
経験に裏打ちされた確かな思いが持てて初めて、
自分の内なる声に従えるのだとも思います。
(もつ)


<アナタノ、キモチ、タイセツ>

大学受験に失敗した私は、
高校を卒業した後、
資格取得のため、専門学校に行きました。

私のクラスは、女子だけのクラスでした。
入学後、だんだんと出来てくる人間関係。

誰にでもココロを開くタイプではない私は、
いろんな誘いが正直、苦痛でした。

一度断ると、誘われなくなる‥それも怖くて‥。

「想いとうらはらな言動」。

悩んでいた時、
英会話の授業のオーストラリア人の先生が、
「何かあったの?」と声をかけてくれました。

英会話のできない私は、和英辞典を、
先生は英和辞典を片手に、悩み相談が始まりました。

距離感、時間の感覚、考え方などが違っていて
付き合い方に悩んでいる。

と、どうにか伝えました。

すると、オーストラリア人の先生は、
「アナタハ、アナタノ、キモチヲ、タイセツニシナサイ。」
と仰いました。

「noナトキハ、noデス。ムリシナイ。」

18歳の私は、動揺しました。
でも、スッキリしました。

「そっかぁ。それで、イイんだぁ。」

と。
想いに反する選択をした時、人は絶対に後悔します。
後悔しない道を歩みたいものです。
(nao)


<想いが少しずつ形に>

とあることがきっかけで、
今まであまり話をしなかった人と
お互いの考えを交わすようになりました。

この人は鋭い問いかけをして、思いがけなく
私の考えを引き出してくれたりします。

声に出し、はっきりとした言葉にすることで
自身でも形を明確にできなかったものが
少しずつ表れてきました。

今は考えを交わせる人との結びつきを大切にして、
そこから出た言葉を基に
自分を掘り下げていこうと思っています。
(春)


<私の選択>

今、職場を引き継いで独立する準備
を進めています。

まわりからは、一国一城のあるじやね
なんて言われたりもするのですが、
それほど是が非でも独立したいというわけでは
ありませんでした。

独立は、責任やリスクを背負うことでもありますし、
治療の仕事に専念したいのであれば、
むしろ組織に属して、雑事を他に任せた方がいいでしょう。

治療にくる患者さんにとっても、
独立しようがしまいが特に変わることはありません。

それなら、なぜ独立することを選ぶのか

を考えると、
「今のままではいられない」という感じ
があります。

そこそこ患者さんにも喜ばれているし、
なんとかやっていけてはいますが、
そこに安住してしまい、
怠けそうになってしまう自分がいます。

かつて職場を変わったときも、
今のところでは通用しているが、
他のところではどうなんだろうか、
ほんとに自分にどこでも通用する力があるのか
という不安がありました。

どう自分はありたいのか?

を考えると、
「きちんと診立てて、必要な施術を無駄なくおこない、
 結果を出して患者さんに喜んでもらえる」
ただそれだけなのですが、

そう思い続けるのはけっこう難しくて、

この場への自分自身のおりかたを変えて、
きちんと場に向かい合わないと、
忙しさにかまけているうちに惰性になってしまいます。

「この場に対してきちんと責任のある立場につく
 必要があるのではないか」

と考えて、独立する方を選びました。
正直まだ迷いもありますし、
話し合いも難航していて、うまくいかないかもしれません。
どういう結果になるか不透明ですが、

「独立して今のおりかたを変えないといけないという思い」

は、間違いのないものです。
この思いを土台にしていけば、納得のいく選択になる
ように思えます。
(たまふろ)


<希望>

自分の心の底にある想いとの対話をする。
それを地道に積み上げることが大切なのだなと
実感しました。
選択に迷う時に、
想いを汲み上げて実行していけたら
格別の風景が目の前に現れる。
なんだか明日への希望が湧いてきました。
自分の想いに敏感でありたいものです。
(A.T)


「想いに忠実な選択」
というのには、少なくとも2通りある、と思う。

1つは、分かれ道でどっちを選ぶか、
自分の想う方を選ぶ、
というようなことだ。

でも、想う道を選択したからといって、

その道で、まだまだ自分はペーペーで、
ぜんぜん自分が想うレベルに達してない、
という状況が、私自身ある。

そんな時、

想いと一致した別格に美しい風景を見るためには、

自分の想う高みまで、
努力して、えっちら、おっちら、坂道を
登り続けていかなければならない。

だからもう1つは、想うレベルに行くという選択だ。

想いだけが先走って、
どんどん山の頂上へ飛んでいくけれど、

自分の体も、頭も、ぜんぜん追いついて
いっておらず、
自分の想いに、ゼイゼイ、ハーハーいいながら
必死で追いついていっているということがある。

ついさいきん、そんなことがあり、
体も頭も、ガタガタで、悲鳴をあげていたけれど、
ひた走っていたら、
ふと小さな岡を登り切っていた。

自分の想いに必死で追いついて見た風景は、
たとえ小さな岡でも、別格に、
清々しく、美しかった。

分かれ道にさしかかった時も、
頂上の見えない坂をえんえん登っている時も、

その先に、あの美しい風景があると思えば、
がんばれる!

と私は思う。
このおたよりを紹介して、きょうはおわりたい。


<自分の想い>

私は今、まさしく人生の岐路にいて、
一浪している身なのですが、大学は

医学部へ行って研究医としてやっていくか、
工学部に行って機械工学をやるか

悩み続けています。

2つの道について、
何度も何度も問いを立てては自分なりの回答を作って、
益々どちらが正しい道なのか分からなくなる始末です。

でも、先週の
「想いに忠実な選択をした時、人は後悔しない」
という言葉は、
そんな自分を後押ししてくれたような気がしました。

「正しいかどうか」
ではなく、

「自分に正直かどうか」

自分に問いかけてみます。
(浪人生)

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2016-07-27-WED

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