YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson783
      悪の表現



100%良い人間もいなければ、100%悪い人間もいない。
それが人間ということだ。
もしも100%良い人間がいるとすれば、
本人そうとう無理をしているか、周りが幻想を見ているか。

表現されなかった想いは、
いつかなにか別のカタチとなって言動に表れる。
100%良い人のレッテルを貼られてしまった人の、

「表現されない悪は、どこいくんだろう?」

28歳で大河ドラマ主演、
国民的スターとして
圧倒的に光のなかを歩んできた俳優が、

どうしても「悪人」をやりたくて、やりたくて、

自ら映画化を売り込んでまで
悪人役を獲得し、
2年間、自分と役の境界がなくなってしまうまで、
悪の表現にのめり込んだ、
という事実に、

表現教育に携わる者として、大変感銘を受けた。

それは私が生徒さんたちの文章を通して見る、
中高生、大学生、社会人から高齢者まで、
「人間にとっての表現」というものを
正直に体現する事実だったからだ。

人の「想い」の底は暗い。

それは、見かけによらず、
傷つき苦しんで生きてきた人が多いというのも
もちろんあるが、

幸せな人生を歩んできた人さえ
深い部分を表現しようとすれば、
なぜかほの暗い。

それは、たぶん色々な想いが混じり合うからだ。

明るい絵の具でも、何色も混ぜていけば、
やがて灰色になり、黒に近づく。

人は、人と触れ合い、喜びや成功や感動の
明るい色の経験を積み重ねてきても、
そこに、ただ明るいだけではない
哀しいもの、残酷なものも潜んでいる。
だから、色々な経験が入り混じる心の奥底では、
いつのまにか、自分でもよくわからない
黒ずんだ色を抱えている。

そういう意味で闇ゼロの人はいない。

妻夫木聡は、光の役どころをひた走ってきた俳優だ。

さわやかな好青年、
勇気がある役、心優しい役、正直な役、
ずっと真・善・美の役を引き受けてきて、

28歳の大河ドラマ主演で、
圧倒的に光の役どころを演じることになる。

それは、役の上でもそうだけど、
1年半にも及ぶ撮影期間のなかで、
他の役者さんやスタッフと運命共同体となり、

主演としてチームを鼓舞していかなければならない。

カメラがまわっている時も、まわってない時も
自分のなかの勇気・忍耐力・優しさ・強さ・持久力、
フル稼働だったろう。

その妻夫木が、小説『悪人』を読んだ時、
どうしても自分がやりたくて、
手紙を書き、自ら映画化を売り込んで、

悪の表現にのめり込んだ。

実際私もその映画を見たが、
まったくそれまでとは別人だった。

共演した女優が、あのときの妻夫木は血が紫だった。
(その期間は役でもオフでも)
すごく嫌な人間だったと言い、
本人も、自分と役の境界がわからず、
ずっと酒ばかり飲んで、
2年ぐらい役が抜けなかったという。

私は、この話を聞いて感じ入った。

圧倒的な光、善良、の役どころに、
カポッとはまってしまった人が、

「どこにも出せずに溜まる闇」、

妻夫木は、役で溜まった闇を、役で昇華させている。

私が一番感銘を受けたのは、
「自ら積極的に、悪を表現する場をつかみにいった」
ところだ。

私の脳裏に、
万引きでつかまった海外の女優、
映画の舞台あいさつで
お客さんに悪態をついてしまった女優、
などが浮かんだ。

闇を処理できず非行や犯罪に走るスターもいる。

妻夫木は役で表現しきる道を選択した。

直感なのか、修練なのか、この選択に
私は敬服せずにはおられない。

もし、役で表現することができなかったら、
闇はどこに行ったろう?

人は、全人的に自分を表現しようとする。

自分のなかには、光も闇もあり、
光だけがクローズアップされ、人から求められ、
毎日毎日、長年にわたって出ずっぱり、だとすれば、

闇の分子はその間、地下に入れられ
鍵をかけられ、陽も浴びることができず、
無きものとされ、無視され、
じっと耐え続けなければならない。

日々、ちいさくかわいく、少しずつ
昇華できればいいのだけれど、

たまっていくとやっかいだ。

国民的スターほどの、
重圧も重責もないけれど、

それでも私も、

たくさんの人を盛り立て、引っぱっていかなければ
いけなかったり、
遊びたい休みたい気持ちを押し殺して
努力をし続けなければならなかったり、
緊張をのり越えて、自分のベストの表現をしなければ
ならなかったり、

そんな陽のあたる場で、良い働きかけをする日々が、
重なって、長期につづくと、

かならず、その反動のような時間を過ごす。

ずっと頑張ってきて、やっと暇になったのだから、
旅に行くとか、美術館に行くとか、スポーツするとか
「有意義に」過ごせばいいのに、

絶対、なぜか「だらだら」と自堕落に生きてしまう。

一日中、寝そべって、
テレビで、見たくもない番組をだらだらとみたり、
いつもちゃんと自炊するのに、
カップめんや、袋菓子を買い食いしたり、

あまり酒は飲めないのに、それでもなぜか
飲もうとしたり、飲み過ぎるのもこのタイミングだ。

思えば、これが、私なりの悪の表現。

「怠惰」という悪をむさぼっている。

「自ら積極的に悪を表現する場を獲得することができる」

というヒントを、
今回、妻夫木聡に学んだ。

だれにも、社会にも、迷惑をかけない方法で。
それどころか、映画を観た人のなかには、

出すに出せずにいた自分の闇を、
妻夫木が表現することで、
一緒に連れ出してくれたと、

解放された想いの人がたくさんいただろう。

妻夫木は、この作品で
日本アカデミー最優秀主演男優賞を受賞した。

想いの闇は暗い。

でも、伝えたいものが見つかったとき、
人は真っ暗な想いの底から、
真っ白な花を咲かすように表現する。

溜まった自分の闇を
人に向けるでもなく、非行に走るでもなく、
私のように怠惰で細々と解消していくのでもなく、

表現して、まっすぐな花を咲かせる。

そんな行き方を探していきたい。

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2016-06-08-WED

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