YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson781 人間の底


コンビニでアルバイトをしている学生が、
こんな話をしてくれた。

「お客さんのなかには、
 コンビニで働く私に、
 丁寧な言葉や態度で接してくれる人もいる。
 一方、ものを投げてよこすような人もいる。

 人を見るとき、

 その人が、
 親や友達など親しい人に見せてる顔だけで、
 判断しない方がいいよ。

 ふだん、知り合いや親しい人に見せてない顔も、
 見といたほうがいいよ。

 その人が、陰で全く知らない人々に対して、
 どうふるまっているか?」

とても印象的な話だったので、
私自身、忘れないよう心のメモに刻んだ。

その人が、陰で全く知らない人々に対して、
どうふるまっているか?

「そこで、“人間の底”が知れる。」

歴然と、ふだんどんなにとりつくろっていようとも、
と私は思った。

「底」

能力とか良心とか言うより、
“底”という言い方がピッタリする。

社長が、新人を採用するために、
清掃スタッフや、売店の店員になって、
面接では決して知ることができない面を
しろうとする話をよく聞く。

婚活をしている人が、
いろいろクリアして最終的に、
「ほんとにこの人に一生を捧げていいか?」
と悩むときに、
もしも、こっそり後をつけて、
陰で見ず知らずの人たちにも、
親切丁寧に接している姿を見たら、
「この人に決めた!」思う率、高いんじゃないだろうか。

就活で、第一志望の面接官に
自己PRをしているとき、

婚活で、一生のパートナーを得ようと
励んでいるとき、

見せているのは、「人間の頂(いただき)」。

自分のいちばん賢い、
いちばん美しい、いちばん役立つ
ところを見せている。

それは決して嘘ではない、その人の部分だけど、

人間、てっぺんもあれば、底もある。

「頂」だけを見れば、
同じ大きさの花を咲かせていても、

その「底」を見れば、
小さいコップのめちゃくちゃ浅い水だけで、
ギリギリやっとさかせた花か、
まるで北海道十勝のような
肥沃で広大な畑に咲く花か、の違いがある。

底に厚み深みのある人間は、「のびしろ」が大きく、
底の浅いままで、大輪の花を咲かせようとしても
やがてゆきづまる。

いちばん知らなければならないのは
採用する新人でも、
生涯の伴侶の候補でもなく、

「自分という人間の底」

なのだと思う。
無防備に無目的に、つい出てしまう自分の底を、
実は自分がいちばんわかっていない。

見ず知らずの人に対してだったり、
恥のかき捨てといわれる旅先だったり、
だれも監視しないし、悪くふるまっても
だれにも咎められないシーンで、

つい、むき出しになる利己的な自分。

今まで生きてきた人生で、
人への尊重をどれだけ積み上げてきたか、
こなかったか、歴然だ。

自分の底を知る。

底は増やせる、訓練でどうにかなる、
とも私は思う。

というのも、私が知る底の厚い人々は、
隠れたところで、ボランティアをしたり、
人助けをしたり、
人を尊重するということを、
リクツより実行していくことで、
積み上げて現在になっているように思う。

スタートは同じ、エゴのある弱い人間でも、
人を尊重した行動を、場数を踏んでやっていくことで、
徐々にエゴを排し、人への尊重感を鍛えている。

自分の底が見えたら、
折れないで、良い機会だと想い、
頑張って鍛えて、耕していこう
と私は思う。


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2016-05-25-WED
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