YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson778
   表現するほうへ―2.読者の声


「ちょっとでも落ちる可能性のある
 全てのことを避けよう」と、

「ちょっとでも受かる可能性があるのなら
 できる努力を全てしよう。」

とは、たとえ実質同じだったとしても違う。

「表現に制限をかける言葉」と、
「表現させる言葉」と。

「表現する方へ」

私は、人に対しても、自分に対しても、
声をかけていきたい、

という先週のコラムに
読者のおたよりを多数いただいた。

さっそく紹介しよう!


<自分を書き換えてまで>

私は10年ぐらい前に医学部の編入試験を受けて、
医者になりました。

受験生の頃のことですが

ある予備校で、
書類選考や面接試験の対策として
「家族や友人など身近な人の死を
 医学部志望の理由とすると
 不合格になりやすいからやめよう」
と教えられていると聞きました。

「そんな馬鹿な。」

と私は思いました。
どういう志望動機なら合格しやすい、
というデータがあるにしても

それぞれの受験生の
本当の志望動機は変えられない。

でも、器用な受験生は、
「そうか、じゃあ志望動機を書き換えよう」
と、合格のために書類から面接試験まで演じきる。
それは、

「自分の損得勘定こそが最大の志望動機」

ということなのだと思います。
(39歳男性)



「どうして落とされたか」

教えてもらえない状況で、
人は疑心暗鬼になる。

私たちの多くは、
「複雑な原因を複雑なままに」
じっくり考えていくことが苦手だ。

そこで、

性急に、単一の、カタチのハッキリした
「わかりやすい犯人」を決めつけようとし、

その犯人に一切の原因を被せて、排除する。

「やれどこどこのブランドのスーツを着て行ったら、
 お受験に落ちる」というような、

「デマ」

がはびこるのはそんなとき。

熊本からこんなおたよりを
いただいている。


<恐れを伝染させない言葉>

今回の熊本地震、
私は被災地の真っ只中にいます。

毎日、拡散希望と銘打って
色んな注意喚起の情報が飛び交っています。

「とある地方ナンバーの車には
 空き巣グループが乗っているから気をつけろ」
「今日は大きな地震雲が出てたから
 2時間後にまた大地震がある」‥‥

心配している様でこちらの不安を煽る数々。

避難生活で身も心も疲れてると
嘘をはね除ける力が弱くなり
全てが本当に思えて怖くなってしまいます。

そんな時、“恐れを伝染させない言葉”シリーズ
(おとなの小論文教室。2012年8月8日〜9月5日)

読み返し心の落ち着きを取り戻しました。

相手の不安を煽らずに伝えるよう
気を付けたいです。
(くまモン大好き)



私が、小論文の経験から、
医師を目指す人に鍛えてほしい基礎力は、

1.論理的科学的思考
  (医師も科学者だから)

2.生命や死への理解・尊重
  (医の倫理が問われる社会背景から)

3.専門的なことも素人にわかりやすく説明できる力。
  (患者さんへの告知・説明に大切)

4.困難を克服して目的達成できる精神力
  (将来手術や治療をチームでやり抜く)

そして、「志望動機」は、

きっかけとなる体験(事実)から、
どう考えて(考察)、
医師を目指すようになったのか(意見)、

「事実→考察→意見」の考察部分をまず明確に。

さらに、

志望動機や医師にふさわしい長所などの「自己理解」、
医療をめぐる現代の「社会背景の理解」、
医師とは何か「仕事への理解」、

3つを関係づけながら、「将来の展望」、

将来医師になって自分は、
人や社会にどう貢献していきたいか?

つまり、

「自分」と「社会」と「仕事」のつながりから、
「志」を打ち出す。

そのとき、「個人の切実な体験」は、
社会に充分、説得力をもって通じる!と私は思う。


<表現しない上司のもとでも>

制限するのではなく「表現するほうへ」を読んで、
上司たちへのモヤモヤが晴れました。

そもそも上司からしたら、

部下の稚拙な企画に対して
自分から何か表現してしまうと、

その後も部下と共に進まねばならず、
自分の無知もさらけ出してしまうし、
失敗したら自分も責任を負うことになるわけです。

一方、

制限だけして他人事のような立ち位置でいれば、

部下に巻き込まれて命運を共にせず、
むしろ裁定者側の強い立場でいられるわけです。

だからきっと、
本当に努力し尽して、それでいて謙虚な上司しか、
きちんと「表現」できない。

上司が、
オープンで隠し事なく、「表現」することで、
その部署は活性化し、部下は著しく育ち、
成果が増えると確信してます。

そんな表現してくれた上司がいましたが、
3月で定年退職してしまいました。
新しい上司はダメダメです。

しかし、
上司に不満を抱えて落胆するのではなく、

「自分が表現できる上司になること」

を目指さないと、
この嫌な経験もいい経験も活かせないなと
気づきました。
(ゴロウ)


<言葉の違いは生き方の違い>

「表現に制限をかける言葉」と、
「表現させる言葉」と。

専門学校で就職指導をしています。
同感同感同感!です。

そしてそれは、
生き方の違いになるんだろうなと思います。
言葉は、価値観であり行動と結びつき、
その人の性格、生き方になってきますよね。

「表現に制限をかける言葉」と、「表現させる言葉」。
違いをしっかり意識して使いたい。
そして私は後者で生きたいと思いました。
(りん)


<次はもっと>

学生から就職についてのあれこれを相談される仕事と、
広くお客様対応をする仕事を掛け持ちしながら、
ほとんどの時間をコミュニケーションに費やす毎日。

自分に聞きながら、振り返りながら、

「次はもっと相手の方から明るい表情を引き出せたら」

と思えるように、ようやくなって来ました!
(chika)


<自己表現するときに>

自分の自己表現の仕方について、

これを言ったらまずいだろうか、
これを言ったら誤解をされるだろうか、
という発想でした。

「表現するために」

プラス思考でまずは考えるようにしていこう、
と考えました
(A.T)


<相手が表現しようとしているものに寄り添う>

表現したいことを、
はじめから明確に持っている人は少なくて、

「まず未完成ながらに表現してみて、
 受け手とのやり取りの中で育ち、形になる」

ものだと思います。

受け手には、
表現したいものが何なのか、完成形を思いやり、
いまの未完の表現を受けとめられるかが
問われます。

いくつもあったり、あやふやだったり、
形になりきれなかったりする表現を、
人に受け止めてもらえることで、
完成形へと成長していくのでしょう。

試行錯誤の道のりが長いほど、
形になった喜びも大きいし、
本人の想像を越えた形に至ることもあります。

ですが、形になる前に

批判やダメ出しをされると、
せっかくの表現したい思いが萎えてしまいます。
相手あっての表現ですから、
受けとめてもらえないと
心が折れそうになることもあるでしょう。

受け手にとって、
表現の至らない部分は目につきやすいので指摘しやすい。

そこにとらわれず、
最終的に何を表現したいのかをつかむのは、
一人一人異なる思いに付き合う難しい作業です。

批判が、

言葉尻をつかむようになってしまうのは、
本人が「最終的に表現しようとしている思い」を
無視しているからでしょう。

その思いに添えば、
批判は最終的に表現したいものを形にする
手助けになるはずです。

自分自身がより良く表現できるためにも、
きちんと「相手の表現したいところ」を
受けとめられるようにありたいです。
(たまふろ)



読者のおたよりを読んで、
現在の自分の思いは、
人とのやり取りのなかで導かれ育まれてきたのだな、
と、じわっ、と感謝がわいてきた。

最後にこのおたよりを紹介して
今日は終わろう。


<「表現するほうへ」を読んで>

私の親や祖父母はとても厳しい人でした。

幼い頃から、厳しく叱られることも
少なくはありませんでした。

もちろんしてはいけない事をしていれば、
叱られるのは当たり前です。
しかしそれだけでなく

ちょっとした失敗や間違いでも
叱られていたように思います。

そのような環境からか、
物心ついた頃から叱られる度に

「してはいけない事」

が増えていき、
それを繰り返すうちに我慢して
何も欲を言わない子供になっていきました。

しかし、

今年度社会人となると、

周りの多くの大人の方は私の意見を否定せず
一度受け入れてくれている事に気付きはじめました。

それと同時に

正解はないのだよと教えられる度に、
自分の意見に責任を持たなければいけない事も
感じはじめました。

後者は一見自由で楽に見えますが、
実はとても大変な事なのではないかと思います。

「全ての意見に自分なりの根拠が必要」

となるからです。
これをこなせる人はとても魅力的。

まだ社会人になったばかりですが、
そんな素敵な大人になれるよう努力していきたい!
(Y)



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2016-04-27-WED
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