YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson775
   ゼロから切り拓くチカラ


つねに世間では多数派にいて
ガッツリ守られて生きてきた人と、

つねにアウェイで、
そこを何とかコミュニケーションを通じさせ、
自分で居場所を切り拓いて生きてきた人とでは

「鍛え方が違う」。

前者は失ったら最後とばかり保身に走るが、
後者は逆境に強く、
失ってもまた何度でも、

ゼロから切り拓いていける。

4月は、そのチカラを鍛えるチャンスだ。

新年度が始まり、
就職、進学、異動、転職、退職など、

まったく新しい場で、
新たな人間関係を生きなければならない人も
多いだろう。

同じ職場に続投でも、
リーダーがよそからくるなどで、
これまで積み上げたものが無になるのではと、
不安な人もいるだろう。

新しい環境というものは、

それまでが順境であればあった人ほど、
そしてその期間が長ければ長い人ほど、
苦痛に感じるものだ。

「どうしてこんなに守りに入っているのかなあ?」

それは、
私がかつて勤めていた企業で、
入社14〜15年目に感じたことだ。

友人が、自主映画の撮影で、
高校生の制服を探していると言ってきた。

当時、高校生向けの教材編集者をしていた私に、
友人は、
「身近にたくさん高校生がいるだろう、
 だれか知り合いに頼んでくれないか」
と言う。

私は、なぜかものすごく感情が波立った。
断っているうちに、妙な汗が出てきた。

「なにか失うまいと必死の自分がいた。」

高校生は、当社にとって大切なお客さま、
顧客から、物を借りて、
何かトラブルでもあったら、社の信用に傷がつく。
しかも制服はデリケートな存在だ。

というのが私のリクツだ。

それならそれで、さらりと、友人に
そう言えば済むことだ。

なぜ妙な汗が出てきたのか。

後から考えると、
「会社では、悪い評判がたったらオシマイだ。
 真実がどうこうではなくて、
 もし、高校生とトラブルを起こしたという
 悪いウワサでもたったら、
 たとえデマでも、それだけで、飛ばされる」
という、

強い恐怖に心をわしづかみにされている
私がいた。

当時はもう編集長だったし、
立場も古いので、
自分の裁量でいろいろ自由になる、と
自分では思っていたのに。

実際は、

まだ起きてもいない、
断ったんだから、起きもしないトラブルを恐れ、

「もしも」悪い評判がたちでもしたら、
「もしも」いまの座を失いでもしたら、
と想像しただけで、冷や汗がでるほど、

保身にまわる自分がいた。

どうしてだろう?

社歴や実績が増せば増すほど、
自由になると思っていたのに、

社歴や実績が増せば増すほど、
カゴの鳥のように窮屈に、
より小さなトラブルも命とりに思えていく。

いまはわかる。

これは、会社がわるいのではなく、
組織に属しているからどうこうという問題でもなく、

これは、私自身の
コミュニケーションの立て方の問題だった。

もっと言えば、訓練の問題。

所属や肩書きに依存し、
初めての人間関係のなかで、
ゼロから信頼なり、居場所なり、切り拓くチカラを、
私は当時、使わなさすぎた。

だからどんどん先細りしていた。

やろうと思えば、いつでもできたというのに。

いま、私はフリーランスだ。

フリーランスというのは、
基本、就職と退職を激しく繰り返すようなもの。

まったく新しい大学に教えに行けば、
私のことを全く知らない学生たちに、

「は? ズーニー?? ガイジン?
 えー、日本人なの? なにそれ、ウケる!」

みたいなことを言われるところから始めていく。

ゼロから信頼関係を築き、
好意的に見てくれる学生ばかりではないので、
斜に構えられたり、
悪態をつかれたりすることもある。

そこをなんとか乗り越えて、

3〜4ヶ月もするころには、
学生の表現力は見違えるほど育ち、
そのとき深い信頼関係ができている。

悪態をついていた学生ほど、
なぜか最後には深い絆ができている。

「ここが私の居場所だ。」

と思うのもつかの間、時は無情。

学生が書ける・話せるようになったら、
また、新しい学生へ、新しい企業へ、と
私は旅立たねばならず、
そこでまた、私のことを全く知らない、
というか、胡散臭く見る人たちに、

「は? ズーニー?? なにそれ、ウケる!」

と言われるところから、始めなければならない。

まさにゲームのリセットだ。

ある大学や企業で、
どんなに信頼されようと、

その信頼は持ってはいけない。

新しい企業で、新しい担当者と、またゼロから
信頼を積み上げていかなければいけない。

でも、よくしたもので、
こういう生活を15年も続けていくと、
鍛えられてくる。

過去にどんなにうまくいったとしても、
過去をかぶせて新しい場を見ないようになる。

「これはこれ」、別物として見るチカラが鍛えられてくる。

新しい場では、
過去の付き合いがない分、
最初の印象が大きな割合を占めるとわかる。

最初の服装、最初の表情、
最初の言葉を工夫するようになる。

また、世の中には、初めての場で、
新しい信頼関係を築くのが早い人、遅い人、
いろいろいるが、

自分は、早い人間か、遅い人間か、
遅いにしてもどのくらい時間がかかるか、
自分で把握できるので、

うまくいかなくても、じっくり時を待つチカラもできる。

そして、失敗から学んだこと、
これはリセットされても失わない。
新しい場へも、持っていける。

表現教育を通して出逢う、
学生や社会人のなかには、

ゼロどころか、マイナスから切り拓かなければ
ならなかった人も多くいる。

体に目立つ障がいがあるため、
初対面の人に偏見をもたれ、そこをのりこえてきた人や、

親が転勤族で、
海外のあちこちに転校しなければならず、
日本人というだけでアウェイという環境で
ずっと育ってきた人。

その人たちは、やっぱり鍛え方が違う。

文章を書いても、プレゼンテーションをしても、
自分のことをぜんぜん知らない人間に
大きな橋を架けて、
自分を通じさせるチカラが強い。

そして、文章なら読後感として、
どこへいってもやっていける
「風」のような自由さを感じるのだ。

ある学生は、
言葉がよくわからなかったので、
先生に叱られた時、すべて「イエス」で答えていたら
たいへんなことになり、

文化が違うため、気づかぬうちに、
まわりの不評を買っていじめられてしまった。

でも、よくしたもので、
そうしたアウェイで、マイナスから、
数多くの失敗を通して鍛えられていくと、

言葉や文化が違うところに行っても、
どこに行っても、

「壁を超えて自分を通じさせていくもの」

が見つかっていく。

その学生も、「サッカー」という、
国境や言語や文化の壁を超えて、
自分の内面を表現でき、
他者をも理解でき、
疎通できるものが見つかった。

そうして、違う国にいっても、
コミュニケーションができ、
自分の居場所を切り拓けるようになっていった。

この4月から、

まるでリセットされたゲームのごとく、

それまでの自分が通用しない、
新しい環境に置かれた人は、

まちがいなく、いま、

ゼロから自分で考え、働きかけ、
新しい人にコミュニケーションの橋を架けるチカラが
鍛えられている。

そのチカラは鍛えれば鍛えるほど
自由になる。

アウェイを感じるとき、

「ここからはじまる。」

とおもって踏ん張ろう、
と私は思う。


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超満員御礼!
大幅に増席し、4月24日(日)を追加しましたが、
おかげさまで満席。現在、両日キャンセル待ちのみ受け付けています。
(追加の24日分も下記の同じ入口から申し込めます。)
そう遠くないうちに福岡にまた行きます。次の機会もたのしみに!


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2016-04-06-WED
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