YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson707
 「楽しみじまい」のあとにあるもの



運動を習慣づけたら、
自然にカラダが酒を欲しなくなり、
まったく意図せずして、
人生でまったく予期していなかった、

「飲まない生活」

に突入してしまった。
この春からのことだ。

最初は、
「酒代が浮く」くらいにしか考えていなかった。
晩酌用の安いワインも、ハレの日のシャンパンも、
買わずに済むなら、ひと月に、一年に、
いくらになるかと喜んだ。
だが、しばらくして、ひたひたと

「寂しい。」

自分の世界の一角を失った、
という感じが、
あとからあとからくる。

気づけば、
酒を通じた、人・もの・場のネットワークは、
自分のたのしみの一角を築いていた。

ワインのことが大好きだった。

産地とか、ブドウの品種とか、「瓶内二次発酵」とか、
知ったかぶりをしたくてたまらない日々があった。

ワインが好きな友人が大好きで話もはずみ、
ワインにくわしい店員さんのいるお店が好きで、
シャンパングラスもチューリップの形にこだわって
探して探して、やっと見つけたときは宝物だった。

一生懸命働いたあとの「一杯」というのが、
たまらなくおいしかった。

そうしたお酒にまつわる一切から、
心も体も離れてしまったことが、
自分でごまかしようもなく、何より寂しかった。

これも年齢のせいなのだろうか?

年とるとどんどん楽しみは減っていって、
次々店じまいをするようにおしまいに、
「楽しみじまい」をしていかなければ
ならないのだろうか?

「もう飲む楽しみは無い。」
自分に言い聞かせ、すっぱり諦めた。

と思ったら、そうではなかった。

ひょんなことから、
まったく意図せずして、
人生でまったく予期していなかった、

「紅茶」に出逢ってしまった。

紅茶のこととなると目の色が変わる。
心がときめいて、キャーキャー言っているのが、
自分でもわかる。これが若者の言う、

「あがる」

なのだ。

飲む楽しみをオシマイにした人生に、
別の意味の「飲む」楽しみが降臨した。

自分でもどうにも抑えられない。

そして、広がる。

広げるつもりはまったくないのだが、
茶葉のことから、産地のこと、
紅茶文化のイギリスのこと、お茶菓子のこと、
ティーカップやケーキ皿などの西洋陶器のこと、
たのしくてしょうがない、
このままいくと自分でスコーンを焼いたり、
イギリスにまで行きそうな勢いだ。

紅茶が好きな人が好きで、
紅茶に詳しい店員さんがいるお店が好きで、

アフタヌーンティという3段になった
サンドイッチ・スコーン・スイーツをはさんで、
友達と、ひとつ、またひとつ、
食べながら、紅茶をおかわりしながら
かわす会話がたまらなく楽しい。

今まで話は酒をはさんでする人生だったからこそ、
酒をまったく介在させないで、しらふでする会話の
新鮮なこと。

しらふでするから清々しいというのもあるが、
友人の恋バナなどはしらふで聞くからこそ
色っぽいのだこれが。

これからの人生、茶飲み友達を増やしていくのが
たのしみでしょうがない。

もう楽しみはないとオシマイにした、その年のうちに‥‥
そう考えると、

「人は強い。」

1つの楽しみを断たれても、必ずその先に、
それ以上の楽しみを見出す。

先日、ほんとに久々に、ひとりで飲みに行った。

ちょっとドキドキした。
心が離れてしまったワインに再び向かい合ったとき、
自分はどんな反応をするんだろう?

「ワインを好きだった想いは
 どこに行ってしまったのか?」

それを確かめに行った節がある。

そこはとびきりおいしく
店員さんがワインにくわしい店で、
ワインが好きだった時代に憧れだったお店だ。

注文している間にすぐに気づいた。

ワインを好きだった想いも、
一生懸命詰め込もうとした知識も、

どこへも行ってない。自分の中にある。

ただ過去のものとして大切に引き出しにしまってある。
取り出そうと思えばいつでも懐かしくそこへ行ける。

損なってない。

そして、「あ、つながっている!」

茶と酒は交わらないようで、
すごくつながっている。

むかしワインの産地を知っていったように、
いまは、茶葉の産地や銘柄を知っていく。
ワイングラスを吟味した目で、
今度は、ティーカップの素材や作り手を吟味する。
ワインを好きだったときの見方や追い方が、
期せずして、いま私が紅茶を追うのにつながっている。

そして、ワインを通して、
人やお店や場とつながったように、
お茶を通しての、新たな人やお店や場とつながっていく。

何も失ってない。

むかし大好きだったもの、
自分の一角を築くほどに追って行ったものは、
そこから気持ちが離れても、無くならない。

どこかなにかが、必ず次へつながっていく。

自分が紅茶を好きになったのも、
ワインを嫌いになったからじゃなく、
ワインという基礎があったからこそ、
紅茶に出逢うことができたのだ。

人はしなやかでしたたかだ。

1つ「楽しみじまい」をしても、
新たなさらなる楽しみに出逢うことができ、

新たな楽しみは、
いままでとは全然別の新鮮なものに見えて、
その実、自分が今まで愛し愛されたものへの
見方や感じ方・経験が基礎になっている。

だから失わず、次へ次へとつながって膨らんでいく。

一つ困ったのは、酒という一角を失い、
酒代が浮くと思ったのはつかのま。
茶葉だの陶器だのやはりまた同じように出費はかかる。

新たな楽しみのはじまりは、
新たな苦労のはじまり、

それもふくめて楽しみだ!

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2014-10-29-WED
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