YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson694  孤独のカタチ


見下す発言は、問題視されるけど
「見上げて切る」発言には気を配られない。

自分より恵まれて見える人に、
私たちは

「あなたはもう結婚してるからいいの。」
「かわいいお子さんがいて何が不満なの?」
「裕福だから悩みなんてないんでしょ。」

と言いがちで、
そう決めつけたら、
それ以上、その人の内面を深く知ろうとしない。

どの立場の人にも生きる葛藤はある。

議員のセクハラ野次に世の中が
騒然となっていたとき、
私は、つい、そんなことを考えてしまっていた。

「こどもが産めないのか?」
と野次られたら、私自身は、

「はい、年齢的にもう産めません。」

と答えるしかない。
これまでこどもを産んだことも、妊娠の経験もなく、
属性だけで切り分けられたら、
セクハラを批判するグループに
入れられてしまうだろう。

でも、

世の中が、こどもを産めない人の痛みに
光を当て、寄り添っていたときに、

私が寄り添っていたのは、

不思議にも、こどもに恵まれ
「あなたは恵まれているからいいの。」
で、片づけられてしまう人の痛みだった。

人の数だけ孤独のカタチがあり、愛のカタチがある。

単純に、
「あの人は結婚してるから孤独じゃない」とか、
「屈折してるから、こんなの愛じゃない」とか、
はたが決めることではない。

そう気づいたのは、

まず私自身が、
組織に所属せず、たった一人で仕事をはじめたときから、
独特の「孤独のカタチ」を持つようになったことがある。

そして、なんといっても、
文章表現を通して、
下は11歳から上は95歳まで多種多様な人々の、
あまりにも多様な「孤独のカタチ」を
見てしまっているからだ。

ステレオタイプというのは、たとえば、
「一人っ子は寂しい。兄弟姉妹がいれば楽しい」
のようなものだ。でも、

「兄弟姉妹がいるからこその孤独」

というものに、私は何度も何度も触れてきた。
親の愛が等分に得られない苦しみ、
自分を抑圧し支配する姉、
家族を崩壊させていく兄。

同様に、結婚して、一緒に住めばこその孤独もある。

また、家族に問題があるわけではなく、
両親そろって、きょうだいもいて、
みな自分のことを想ってくれているけど
それでも埋めようなく孤独だという人もいる。

そして、
「こどもを生んだからこそ、
 自分の孤独が顕著になった、決定的になった。」
という人を私は知っている。

自分の生んだこどもはかわいい、
人生最愛だからこそ、
その最愛の存在にも、分かち合えない心の闇が
自分にあることを生れてはじめて知り、
むしろ、こどもを生んでからのほうが、
自分の孤独の闇を強く意識し、苦しむようになったと。

セクハラ野次に世間が騒然となっているときに、
私が、まず想い、心の中で寄り添っていたのは、
この女性だった。

私がいま同調するのは、
独特の孤独のカタチを抱えながらも、
その独特さゆえに、まわりに話すことすらできない人。
それどころか、「あなたは孤独なんかないでしょ」
で片づけられてしまう人の痛みだ。

たぶん、それは私自身が、
理解されにくい「孤独のカタチ」をしているからだと
思う。

蔑視も、
恵まれて見える人を持ち上げて切ることも、
それ以上、その人の内面を見ない、
そこにある孤独の固有のカタチを認めようとしない点で
同じだ。

恵まれて見える人間には、
その孤独を「無きもの」として扱う点が、
より残酷に思う。

どれだけさまざまな愛と孤独のカタチを
認められるかが人の器、

新たな人間に出逢うことは、
新たな愛と孤独のカタチを知ることだと私は思う。

これからも「出逢って」いきたい。

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2014-07-30-WED
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