YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson681
    「聞いてあげる」は良いことか?
    ―2.読者の場合


母の愚痴をさえぎってしまった話を
先週ここに書いた私は、

正直、お叱りを覚悟していた。

しかし、
たくさんいただいた反響のおたよりには、
「愚痴でもいいから
 人の話をとことん聞いてあげなさい」
というお叱りは1通もなく、

むしろ、
「聞きすぎたことが招いてしまった負の現実」や、
「聞きすぎることへの警鐘」
そこから、さらに進んで、
「負の連鎖からいかに脱出するか」
というおたよりまでいただいた。

いままさに人の愚痴を聞かされている人、
いままさに愚痴をこぼしたくなっている人、

読者の飾らない実体験は、きっと参考になる!

一気に紹介しよう。


<連鎖をとめた手紙>

1年前、
尊敬している先輩が
人間関係に悩んでいました。

ひたすら話を聞き続けたのですが
日々2人とも、表情も物言いも険しくなってきて

だんだんと2人で話をしている場所には
周囲の人達が近寄らない程になっていました。

そんな悪循環をなんとかしたくて
話を聞き始めてから3週間後に

「私は、困難な事から逃げずに
 『どうしたら楽しめるか』に気持ちを向けられる、
 先輩が大好きです」

という手紙を渡した所
翌週からは、同じ悩み話でも
建設的な会話が出来るようになりました。

憎悪の連鎖を止めるまでに
3週間もかかってしまいました。

話を聞いていた私よりも、
気持ちを切り替えられなかった先輩が
長い間辛かっただろうなあ
(かさぶらんこ)


<自然な流れで負をそらす>

私は以前、
ウェディングプランナーという仕事をしていました。

仕事柄、
相手にどんなに悩みがあっても
打ち合わせ時間は限られています。

ですので、
話の長い人の話を、無理にではなく、
どう自然に決定に持っていくか、
に力を注いできました。

満足して頂きながら、話を切っていくという‥‥。

相手が満足してくれる方向にもっていけて、
それでいて相手の話を覚えている、
という事で信頼関係をもてていました。

28歳からの転職でウェディング業界に入り、
自分なりの接客を身に着けて、
約10年サービス業をやった上で、
現在ふつうの企業に勤めていて気が付いたことは

同僚・上司をお客様だと思うと
ぜんぜ腹が立たないって事でした。

身に着けた話術で、
長い話も相手に悪く思われないようにしながら
バンバンきっていきます。

これって、身内にも当てはまるようになっています。

母親の愚痴を聞くにも、
そっかこの人はこう思うんだね、
と思いながら話を聞き、

長くなりそうなら、

私はこう思うという自分の意見ではなく、
母親の愚痴の相手も
実はこう思ってたんじゃないの? とか、
自然な流れで解決ではなく

「負の思いをそらしていく」

それで母親が満足しているかどうかは分かりませんけど
少なくとも自分に負の思いを取り入れることなく
聞けているので
何度でも話を聞いてあげられます。
(miyuki)


<聞いてあげ続けた結果>

私自身の
二つの失敗体験を思い出しました。

一つは、

会社の同期の愚痴をずーっと聞き続けた結果
私自身が会社に悪いイメージを抱くようになってしまった
ことです。

「聞いてあげて」その上で
前向きなアドバイスを言うつもりでも、
最後まで聞いてあげないと‥‥と思って
散々愚痴を聞き続けていたら
負のエネルギーに負けてしまった。

もう一つは、

私自身が家で会社での愚痴を両親に話し続けていた結果
自分の中で会社への負のイメージを
固定観念化してしまったことです。

人に話すということは
少なからずも同意して欲しいという気持ちが底にあって
話していると思います。
家族ならよいかな‥‥という甘えも働いて
歯止めなく不満を話してしまった結果
自分の中に悪いイメージが澱んでしまい
払拭するのが大変でした。

負の澱みの中から浮き上がるのは、
自分発信のこのままではいけない、
という心の動きから始まると思います。

そのためには
「聞いてあげない」も前向きな行為になります。
(らっこ)


<プラスの気持ちを引き出す>

聞く愚痴と聞かない愚痴があります。

前者は、
頑張りたいけど不安、
頑張ったけど出来なくて悲しいといった、
自分で何とかしたいけど一歩が出ないときの愚痴。

感情の整理を手伝ってあげたら、
その人はまた、「よし!頑張ろ」と
勝手に進んでいきます。
そういう人は応援したい!

後者は
あの人がー、社会がー、
と人のせいにして、
自分では何もする気がないもの。

嫌いな人に対しては打ち切ります。
でも、好きな人がその連鎖に陥ってしまったら、
どうすればいいのでしょう?

「そこは自分は良いと思うよ」とか、
「それは好きです!」とか、
その人の話の「一部分」に対して細かく限定して、
プラスをちょこちょこ挟んで、
正の連鎖になってくれないかなーと気長に待ちます。
(くまたろ)


<心が喜ぶ方へ>

以前カウンセリングを学んでいたことがあります。
そこでは相手の心に寄り添い、
傾聴することが基本でした。

でも、ロールプレイ等で
あまりに強い怒りや憎悪を繰り返し話しているうちに、
ボヤけていたものが鮮明になって行くような、
形になって行くような状況を経験しました。

それは刷り込みに近い感覚でした。

指導者からは
「過去の、特に暗部に引き摺られた会話が続く時には、
 明るい希望を感じる話題へと転換させましょう!」
と言われたけれど、難しいことでした。

ズーニーさんのエピソードは
“心のベクトルが転換”したお話として、
とても分かり易いですね。
色々な場面で心が喜ぶ方向に向けるように
なりたいと思います。
(ニンジン)


<負でないものの、一方的すぎて>

実母と話すとき、
こちらから用事で電話したとしても、
あっという間に話の主導権は母が持っていきます。

父の近況、ご近所の人の事、母の趣味のこと‥‥
さえぎるポイントもなく、聞いています。

ただ助かるのは悪口を言わないとこです。

母はそんなに自分ばかり話している自覚はないようです。
ですがかなり一方的な電話です。
私が知ってる人の話か、知りたいかは全く問題にされず
延々聞き役だからだと思います。
一時は母からの電話を憂鬱に感じたこともありました。

母の為と思いつつも、
電話のあとグッタリしてしまいます。
あまりの情報量の差というか、
私は相互に話したいのです。
(なお 41才 主婦)


<距離のもちかた>

私も、気がつくと、母の愚痴の聞き役でした。
今、思うのは、聞き流すスキルのない自分の
限界を超えてたんだなー。

母がよくない方向へ考えが流れていくのを、
遮られず、せめて聞くことくらいはと思って

結果的に
自分が重く、どよーんとした気をもらってれば
世話ありません。

お互いの間に、
風が吹き抜けるような通り道がいつもあればいいなぁ
と思います。

ひとりとひとりが、一緒にいる。

その時間を、
大切にできる距離をつくれればいいな。
(poki)


<聞き過ぎないというバランス感覚>

他人の悩みや愚痴を聞いてあげるのもそうですが、
自身の心の淀みとか苦しみを
自身で聞く(感じる)ことも、

度合いを過ぎると苦しみしか生まないかと思います。

ある出来事から、
憎悪や嫉妬、理不尽さなどの感情が湧き、
それにまつわる言葉や感情や想像が、
頭の中に次々と連ねられます。

がしかし、
それは自身の頭の中から出てきた言葉であり、
全ては、妄想だったりします。

物事は、
起きた時は、感情に触れていても、
案外、時が経てば、何だったのか?
とその感情の本質的な理由が明確になかったのだ
と気づいたりします。

聞きすぎるという行為から、
うまくフラットな形でバランスをとるようにする。

受け止める、受け流すという作業を
日常化しておかなければ、
自身で生み出した不要な情報に翻弄され、
苦しみを感ずる他なかったりすると感じます。

自己成長という意味では、
改善点や課題を抽出し、
そこをクリアにしてゆく作業は大切ですが、
人やモノが複雑に絡むと、
全ては自身で解決できる筈はありません。
(ペリコ)


<ミラー現象>

他人の陰の気分は、
聞き手にもミラ一現象を引き起こすような気がします。
相手が笑えば自分もつい笑ってしまうし、逆もしかり。
ズブズブといやな気分のスパイラルに落ち込んで、
ますますいやな気分になってしまう。
悪口や愚痴をこぼしている自分を
嫌いになってくような気がします。
(yoko)



軽い気持ちで、やさしい人に、
自分の中に渦巻く憎悪の感情を、
ほんのちょっとだけ、
愚痴のカタチで話したつもり。

やさしい人は、
愚痴ぐらいなら、いくらでも聞くよと、
それでラクになってほしいというつもり。

ところが、

愚痴を話しているうちに、
人生の記憶の墓場から、
次々と憎悪の体験、そのときの感情が蘇って、

聞いているほうも、
憎悪の記憶の蓋がこじ開けられ、
「そうそう私にも似た想いがある」と、
どんどん人生の憎悪の記憶が蘇り、

憎悪が憎悪を呼び、
やがて、他人の憎悪や、
世の中で話題になっている憎悪まで、
呼び寄せ、引きつけ、

しまいには、世界中の憎悪を呼び寄せてる
なんてことも、あるんじゃないかと
私は思う。

こうならないように、読者の知恵は見事だ!

最初の、「かさぶらんこさん」は、
先輩がもともと持っていたプラスの資質を
呼び覚ます手紙を書いて、
負の連鎖を止めた。

手紙なら、顔を合わせて情に飲まれということなく、
自分の考えをしっかり伝えられる。

前向きな愚痴なら聞くという「くまたろさん」は、
愚痴を話しつつも、
相手がちょっと、ちょっと出すプラスの言葉に、
「いいね、それ」「好きだな、そういうところ」と
ちいさく、こまかく、のがさず反応して、
プラスの方向にでてくれるよう祈る。

Miyukiさんのウエディングプランナーの経験から
つちかった、
相手との信頼関係をそこなわぬように、
自然な流れて、バンバン切って、
負のエネルギーから話をそらしていく、
というのも素敵だ。

読者の実体験に基づく「聞きすぎない技術」とは、
「明るい方へ向かわせる技術」でもある。

でも、深すぎる毒をかかえてしまったら、
どうしたらいいんだろう?

このおたよりを紹介して、今日は終わろう!


<根深い毒には時間をかけて>

毒を吐くことはとても大切だし、
カタルシス効果というか、
とてもスッキリすることもあるけれど、

本当に根深い毒だと、
過去十数年の恨み辛みを思い出し、
余計に苦しくなります。

「話を聞く」という行為が効果的なのは、
きっと、まだ毒が浅いというか、
薄い状況ではないでしょうか。

毒が濃く、色んな恨みが芋づる式に出てくるような、
そんな状態のとき、
毒を吐いている本人も、聞いている側も、辛いですよね。

私自信がそういう芋づる式の毒吐きをした経験が
ありますが、
一気にその時に話すのではなく、
何年もかけて、話し、書き、言葉に表現していって、
だいぶ毒が薄くなってきたのかなぁと実感しています。

「15年かけて、君はここまで自分を作り上げてきた。
 あと15年かけて、少しずつ、かわっていこう。」

2時間ぐらい毒を吐き続けたとき、
担任の先生が言ってくれた言葉でした。

私は今25歳。
あと5年ですが、だいぶ毒は薄まってきて、
笑顔で暮らすことができています。
(しーしゃん)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2014-04-16-WED
YAMADA
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