YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson482
   「働きたくない」というあなたへ 6



先週のコラムに、
ものすごい数のおたよりを、
その数だけの経験と知恵をほんとうにありがとう。

原点にもどって、
私はなぜ、就活生の「楽しく生きる」という言葉に
凍りついたのだろう?

あのとき私は、あきらかにうろたえていた。

26年教育の仕事をしてきて、過去に、
同等の衝撃を受けたことは一度だけある。
それは、ひと言でいって、

「考えないという傷」

に触れた瞬間だった。
90年代、まだ小論文の編集長をしていたとき、
17歳の女子高生の、
わずか600字の小論文に、
「とりあえず」が頻発する奇妙な答案を見て、
戦慄が走った。
彼女の文章には、

「人生はとりあえず進学、とりあえず就職、
 とりあえず結婚、とりあえず老後といった、
 イベントを片づけ‥‥」

とあり、ある人が、
「考えるのを放棄してその結果、
 苦しんでいるように思えてならない。
 進路選択が苦しいと自覚している子はまだいい。
 “なんとなく”で生きている子ほど、
 今受けている傷は深いんじゃないか」と言った。

考えないという傷は、
「自分と自分が通じていない傷」だ。

考えるとは、「自分に問う」ことだ。

考えることを通して、自分と交信し、
自分という氷山の奥底にある、自分の想いを汲みあげ、
言葉にし、表現する。

考えることを通して、
自分らしい言葉・行動が生まれ、
自分らしい選択ができるようになり、
選択が意志になり、進路になる。

この女子高生も「問い」という道具で、
「考える方法」を手にしたことで、
驚くほど自分らしい表現ができるようになった。

このときの手ごたえ、歓びがいつまでも消えず、
フリーランスになってまで
「考える・表現する」教育の仕事をする動機にもなった。

同様に、どこか降りた気持ちの就活生も、
私が講師を務めるセミナーで、「考える」ことを通して、

自分と通じ、仕事と通じ、
社会と通じる方法を手にしていく。

このシリーズを書くきっかけになった就活生たちも、
セミナーの終わりには、
「自分と仕事と社会」をつなげて語り、
同世代の多様な発表も聞き、響き合い、
まるで息を吹き返したように、「話す」「書く」、
主体的な就活のコミュニケーションが
できるようになっていった。

もともとの素地が悪いわけでは決して無い。
潜在力は充分だ。
ただ「通じてない」だけなのだ。

17歳の高校生が、
「自分と通じる」不具合を生じていたのだとしたら、
働きたくないという就活生は、

「社会と通じる」不具合を生じている。

小・中・高、人によっては大学まで、
おとなに依存するカタチで生きてきた人も、
就職のタイミングで、自立への波が外から押し寄せる。
直接、社会と「へその緒」を結ぶ構造改革が迫られる。

おおきな、おおきな、生き方の構造改革だ。

ただし怖いことでも、高尚なことでもない。
私は、全国さまざまな大学を
就活セミナーでまわっているが、
偏差値とか、目的意識とか、学年とかに関係なく、
早い人は、ゼロからはじめて、
たった3時間半のワークショップで、
社会と通じるための設計図が描ける。

まず、自分という氷山にもぐり自分と通じ(自己理解)
次に、目指す仕事について掘り下げ(仕事理解)
業界をめぐる社会背景やお客さんについて
理解する(社会認識)

ここからが肝心で、
「自己理解」と「仕事理解」と「社会認識」を
つなげて、「将来の展望」つまり、
「その仕事に就いたら、私がやりたいこと」を打ち出す。

たしかに、「社会と通じる」は、一見して
「自分と通じる」より、はるかに難しい気がする。

「自分と通じる」は、乱暴に言うと、
自分という氷山にひたすらダイビングを続けていれば、
いつか、氷山の底にある、自分の本意と通じる。

しかし、「社会と通じる」は、自己理解にとどまらず、
そこに、将来顧客になる「他者」や、
「社会」への理解が加わるし、
「自分と仕事と社会」をつなげて語るという、
「関係づけ」の作業も加わる。

けれども、とりたてて難しいのでなく、
思考の作業工程が増えるだけなのだ。
「仕事」への知識が足りなければ、
見たり聞いたり調べたりして補い、
自分を掘る、仕事を掘る、社会を掘る、
その3つのつながりを見つけようとする、
これを愚直にやるうちに、いつか3者がつながってくる。
そこに、自分と社会を「へその緒」でつなぐ設計図も
できている。

原点にもどって、
私はなぜ、就活生の「楽しく生きる」という言葉に
凍りついたのだろう?

ただ、社会にデビューする手前で、
接続工事がうまくいかないのだと、
それなら自分が産婆として、突貫工として、
どうサポートしようと、ただそれだけなら、
そんなに、衝撃を受ける必要はなかったはずだ。

あの胸が苦しいほどの動揺はなんだったろう?

先週、ものすごくたくさんいただいたおたよりを、
ひとつひとつ深い内容に打たれながら読み、
なかにこのメールを見つけたとき、
心を射抜かれたように涙が出た。
そして、涙がとまらくなった。


< 「働きたくない」というあなたへ を読んで>

「楽しく生きる」とは
「楽に生きる」ということなのだろう。
しかし、「楽に生きる」ことはできないと思う。

なぜなら、
「生きる」=「活きる」とは
「成長する=成長実感を持つ」ことだから。

人はなぜ、「活き」続けられるのか。

それは、成長実感があるからだと思う。
昨日できなかったことが今日できた。
この前まで分からなかったことが、分かった。
私のしたことが感謝された。
私は、感謝されることができる人間なんだ。

そんな成長実感が、明日も生きる力になり、
そんな成長実感を求めて、明日を迎えるのではないか。

もちろん、何かを得るばかりではなく、
年齢や様々な障害によって、
失くしていかなければならないこともある。
しかし、そんな人達も失くしたことで
新しい視点や、境地を得ることで
いき続けようとされている。

人には、どんな些細なことでもいいので
「成長」は欠かせないものである。
そして、成長を諦めた、捨てた人は
「死んでいる」のに等しいのではないか。

結果的に「楽しく」成長できたとしても、
「楽に」は成長できない。
だから、「楽しく生きる」ことはできないと思う。


人はなぜ、働き続けるのか。


お金のためだけでは、
働くことはできても、働き続けれらない。

「働く場」が最も成長実感を得易いからではないか。
(この場合の「働く場」には、主婦としての働く場
 母親の子育ての場も含まれる。)

「楽しく生きたい」という若者はイコール
「早く死にたい」という若者。
だから、みんな放っておけない。

(森 智貴)



「早く死にたい」。
このメールの、この言葉を読むと、何度読んでも泣ける。

まさにそのとうりなのかどうか、
いま、頭で把握することができないが、
あのとき私が受けた衝撃度は、まったく、こう言われたのと
同等のものだったと、体が納得して聞いている。

もしも、目の前で、前途洋洋たる若者が、
存在がきれいで、頭もよさそうで、自分には
希望に満ちて見える若者が、そう言ったとしたら、
耳にその言葉が飛び込んできたとしたら、
「実は私も‥‥」「そうそう、私もそう思っていたの」
「私も早く死にたい」と、もしも言い合っていたとしたら、
聞いている私の衝撃、動揺、これはいかん、という気持ち、
どれほどかと思うが、

そう言われたのに等しい衝撃だった。

言葉は氷山のようなもので、
「大好き」という気持ちをもって、「バカ」といっても、
なぜか、聞く人には温かく響く、
それくらい、言葉を発する人の「根にある想い」は、
にじみ出てしまうのものだ。

「楽しく生きたい」と言っていた学生は、
本人の意識としては、文字どうり、そのまんまの意味で
そう言っているし、聞いても、それ以上の意味はないと
言うだろう。
でも私には、こう聞こえていたのだ。

「助けてほしい」

自らの意志で、進むことを降りる、
成長を願うことを捨てる、
と言われるのは、教育に携わるものにとって、
早く死にたいと言われるのと同等の、
なんとも悔しく、残念で、あきらめきれないことだ。

「楽しく生きたい」と言った学生は、
意識して、「降りた」「諦めた」「捨てた」と言いながら、
その実、無自覚に心の底では、
「社会と自分がツナガラナイ」、

「助けてほしい」

と言っている。そう私は聞いた。
私も、16年の会社員生活の最後、
38歳の人生の岐路で、2つの道を示された。

ひとつは、このまま会社に残る道。

ただし、それには条件がある。
16年のキャリアをゼロにし、頭を真っ白にすること。
現状維持どころか、16年創意工夫をつみあげてきた
編集者としての、経験も知恵も技術も全部捨てて、
自分にとっては「後退」とも言える、
仕事のやりかたを受け入れること。

もうひとつは、独りで社会に出る道。

それまで16年会社員をしてきて、恥ずかしながら、
会社員という生き方しかわからなかった。
あてなく会社を辞める道は、とんでもなく無謀で、
私も、おおきな、おおきな構造改革、
「会社を経由した社会とのつながり」から、
「ダイレクトに自分と社会をつなぐ」ことへの改革を
求められた。

成長を止め、少なくとも1年会社に残って様子を見るか、
それとも、まったく無謀に大海原に
たった一人で漕ぎ出すか。

選択がとてつもなく怖く、3日間、脳が興奮して
一睡もできなかった。
それだけ大変な思いをして会社を辞めたというのに、
社会と自分がいっこうにツナガラナイ、そんな日々が続き、
私も「諦め」ようとした。

「昔の人は人生50年って言ったんだから、
 それに置き換えたら、38歳まで働いたんだから、
 あとはもう、働けなくたって、
 老後と考えてもいいじゃない」と、
わけのわからぬ理屈をこねくり回して、
私もなんどか「諦めた」と言おうとした。

会社を辞めて3年経っても、まだ、
「社会と自分がツナガラナイ」自分は、
とうとう3年目の終わり、母に「諦めた」と宣言した。
しかし、どうしてか、「諦めた」と口で言うたび、
心がうらはらな悲鳴をあげていた。

「助けてくれ」

私には、あの会社を辞めるか、残るかのとき、
選んだものがある。
いまは、はっきりわかる、
16年企業で、辞めて9年フリーランスで、
ずっと「教育」の仕事をやってきた私が、
人生の岐路で選んだもの、それは、

「進み続けること」

だった。自分がいままでやってきたことを
ドブに捨てる自由が自分にはあると言われたとしても、
なお、
それでも私は、自分がいままでやってきたこと、
どんなにささやかだろうが、ちっぽけだろうが、
いままでやってきたことを信じて

「その先へ」

進み続けることを選んだ。たとえ1ミリでも、2ミリでも。
進めない日は、1年でも2年でも、
同じ箇所で足踏みしてでも、
でも一歩も後退はしない。
次の一歩はこの先に出す。
それが会社を辞めた自分の意地だ。

「働きたくない」というあなたへ、
あなたもあのときの私とおなじくらい、
「これまでと同じ」「なんとなく」ではやり過ごせない、
構造改革を求められ、しかも外から迫られ、
わけもわからず、無自覚なまま、
自分と社会をつなげなきゃいけない岐路で、つながらず、
「諦めよう」としているのかもしれない。でも、

諦めなくていい。

自分も一度は諦めかけた人間だ、
えらそうなことは言えないが、でも、

諦めちゃいけない。

あなたには潜在力がある。
生きている限り、それを生かし、伸ばさなくちゃいけない。
現在就活中の読者の、このおたよりを紹介して
今日は終わりたい。


<気持ち悪いと言われたって、いい>

はじめまして。
ズーニーさんの記事を読み、
新たな観点や問題意識を見つけては、
ほほー! と刺激を受けている大学3回生です。

今回の働きたくない人の記事はズーンと胸に響きました。
楽しく働きたい、お給料の良い人と結婚したい、
そんな想いは私にもあります。

仕方ないじゃないか! という怒りと
本当にそれでいいんだろうか‥‥という振り返り

私なんか社会に出て何が出来るんだろうか‥‥
と自己嫌悪に浸され泣き続ける日々。

でも、今日企業説明会で頑張ってみたんです。
みんなの前で社会人の方に手を上げて質問することは
とっても緊張することでした。

うわー質問の仕方下手だなー
声上擦っちゃってるよー

と思われるのが怖かったんです。

でも
やってみたらすごく爽快感があった。

醜くても傷だらけでも
這いずってでも前に進んだら
自分は成長出来るんだ

毛虫みたいに
鈍くて気持ち悪い見た目でも
ノロノロ頑張って歩いているのを見ると可愛く見える

そんな私でありたい
傷ついてでも
挑戦することに意味があるんだ

私は傷ついてでも会社で働きたい
いっぱい傷ついて泣いて笑って
おっきな人間になりたい

ズーニーさん
考えさせてくれてありがとう!
就活頑張ります!

(toki)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2010-03-10-WED
YAMADA
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