YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson466
     どうにもならないものを受け入れる力 6



つい最近、ちょっとショックなことがあり、
このシリーズのさなか、
どうやら、私自身が
「どうにもならないものを受け入れる」しかない状況に
追い込まれてしまったようだ。

幸いというか、

私には、2000年に
それまで16年、天職と信じ、
自分のすべてだった編集の仕事を
自分の意志ではなく失った経験がある。
あのときは、生まれて初めてのデカイ「喪失感」に、
自分の身に何が起きているのかさえわからなかったが、

今回は、あのときの自分が、
つぶれぬように、弱らぬように、
日々、メッセージを送ってくれる。

「食事は抜くな。
 どんなに食欲がなくても、毎日必ず食事だけはしろ」

「風邪を引くな。
 打ちひしがれたときは、一度体調を崩すと挽回しづらい。
 そのためには装備をしろ。
 厚いものを1枚着るより、
 薄いものを何枚か重ねて着たほうがいい。
 下着、靴下、つらくても、朝の身支度は怠るな」

「あがかず待て。
 苦しいときは、反動で何かを変えたくなったり、
 何か新しいものにとびつきたくなる。
 反動でやることはモノになりにくく、
 かえって心身の体力を消耗する。
 これまで営んだ習慣を極力変えず、
 いまは消耗を防ぎ、じっと現状維持に努めろ、
 傷の回復を待て」

2000年のときは、暗闇のなか、
同じ喪失感を分け合える一人の朋もなかったが、
今回は、あのときの自分が、

「あのときも越えたじゃないか」

と励ましてくれる。
不思議な、人生の伴走者を得たような、妙な感じだ。
一度闇を見ておくと、こんな拾い物もあるんだなあ。

さて、読者から複数、
「受け入れるってどうすることですか?」
というお便りが来ている。

「あきらめるというのともちがいますよね」
「泣く泣く従うというのでもない」
「妥協でもない」

じゃあ、「受け入れる」って、どうすること?

答えがないし、私にもわからないが、
読者のふたつのお便りから、
行けるところまで考えてみたい。

<耳が聞こえないことであきらめない>
私には、6歳の息子がいます。
3歳の時に右耳に『真珠腫』が見つかり、
鼓膜の内側にある音を伝える骨が
溶けてなくなっていました。
手術できれいに真珠腫を取ってもらいましたが、
骨がないので音は聞こえません。

5歳の時、右耳が中耳炎になり、
外来では治療できず、手術で膿を取ってもらいました。
その時に、音を伝える骨の代わりになる物を
付けてもらいましたが、
成長期なので半年で取れてしまいました。

今も右耳は聞こえないままです。
耳の中が大人と同じ大きさになる
9歳くらいになったら、
もう一度手術をして聞こえるようにしてもらう予定です。

『真珠腫』と言われ、
インターネットで調べたら『骨が溶ける』
『顔が歪む』など、怖い事ばかり目に飛び込み、
自分の子供がまさかそんな事になるなんて、
と信じられませんでした。

聞こえなくなるの?
補聴器を付けるの?
お姉ちゃんと同じ学校に行けないの?
色々な事を考えては泣きました。

生まれて2ヶ月で喘息になり、病院通い、入院を繰り返し、
やっと元気に保育園に行けるよになったのに。
なんでこの子ばっかり。
次の日も仕事中、思い出しては涙がでました。
でも、ハッと思ったんです。

私は、これから起こる現実に対して、
私が辛い思いをする事に泣いてるんじゃないかと。

本当につらいのは息子なのに。
そう思ったら、もう泣いてる場合じゃない!
何が何でも治してやる!
どんなに遠い病院でも、高い治療費でも、
絶対に行って治してやる!!
と思いました。

主人も落ち込んで仕事から帰って来ましたが、
私がそう決意した、と言うと
『母ちゃん、強い』と言いました。

息子は保育園でも、今通っている幼稚園でも、
特に聞こえにくいと思った事はありません、
と先生に言われています。
左耳はとてもよく聞こえているので、
日常生活には不便はなさそうです。

本人も右耳は聞こえない事を自覚しています。
聞こえない事で何か嫌な事があったとか、
何も言わないのでわかりません。
聞こえない事が普通だと思っているのでしょう。

来年は一年生です。
今は耳が聞こえない事を知っている人は少ないですが、
手術をするまでの3年間、何があるかわかりません。
正直怖いです。
泣かないと決めたけれど、泣いた日もあります。
あまりに、にっこり笑うので。

けれど、毎日かわいそう…と思いながら生活できません。
これがあなたの現実、私達の現実。
受け入れて生きていかなければいけないのです。
そして、必ず聞こえるようになる!
という希望を持って。

今、スイミングに通っています。
泳ぎが上手だと、クラスのお友達に羨ましがられたと
得意気に言っていました。

誰にでもコンプレックスはあります。
でも、自信を持って『これが得意です』と
言えるものがあれば、
人は強くなれるのではないでしょうか。

息子は耳が聞こえない事で、
何かをあきらめたことはありません。

子供を二人産んで、自分が今まで経験しなかった事、
味わった事のない感情などが次から次に起こります。
でも、『受け入れる』『希望を捨てない』ということが
本当に大切だという事を学びました。

私は母になって、確実に強くなったと思います
(ru)


<この人を好きとして生きる>
先日、私の息子に発達障害があることが分かりました。
診断が出て、ちょうど1年になります。

知ったとき、取り乱したりはしませんでした。
「うわ、あたっちゃったか」と思っただけで。
その日、ほんの少しだけ泣きました。

でもとにかく、今すぐやるべきことをやらなければ、
と仕事の合間をぬっていろいろな機関へ行き、
私自身も本を読みあさり、ネットで検索しました。

そして、だんだん自分の子が分からなくなりました。
なんて奇妙な人間なんだ、と。
当たり前のことがとにかくできない。
かと思えば、普通の子よりずっとよくできる部分もあり。
この子はどこからどこまで障害者なんだ?と。

言うことを聞かない。会話ができない。
コミュニケーションが取れない。
保育園でも公共の場でも奇行を繰り返す。
外食に連れてくこともできない。
招待された友達の披露宴。行けない。
他の子はおとなしくしているのに・・・

子供がかわいいなんて思えるわけがない。
でも、私には義務と責任がある。
だからそれを果たさなければ。
そんなふうに思いながら日々を過ごしています。

その頃、市から来た育児アンケートに
こんな質問がありました。

Q育児は楽しいですか?

1.とてもたのしい
2.たのしい
3.どちらともいえない
4.どちらかというとつらい

私の書きたい答えがない。
欄外に「苦しい」と書きました。
きっと、有効回答にならなかったでしょう。

いいおかあさんになりたい。

私は、子供にとっての太陽になりたい。

北風と太陽の童話。
旅人のコートを脱がすために、
北風をふきつけるか、太陽で照らすか。

コミュニケーションがとれない我が子。
こちらの意思を伝えるのに一番確実なのが
「怒鳴る」だった。
必死で北風をふきつけていた。
聞かなくなれば、強く。また聞かなくなればまた強く。
怒鳴るでは効かなくなり、よく手を上げていました。

私は、太陽になりたいのに。

いろんなところへ相談にいくたび、
いろんな先生が、この子の
「取り扱い方法」を教えてくれます。
いいと言われる方法をあれこれ試しました。
どなりながら、へとへとになりながら。

でも、どれもうまくいかない。
息子といるのが辛い。
子供がどんどんおかしくなっていく気がする。

やがて、ひとつの思いが頭に浮かんできました。
いろいろな小手先の方法じゃなく、
一番の問題は私の根本部分にある。

わたしは、この子が嫌なのだ。

親だから、深い根っこに愛情はあるんだろう。
でも、この子の表に出てくる様々な奇行に対する
嫌悪感はごまかせない。

わたしは、この子がキライなのだ。
キライな人間だから、うまく付き合えないのだ。

この人を、好きになりたい。

4歳の息子を。

私はこの人を好きになって、
この人の気持ちに寄り添いたい。

嫌いな人なら許せないことでも、
好きな人なら許せることがある。
嫌いな仕事なら我慢できなくても、
好きだからやれることがある。

この人を好きになりたい。

それから、「もし私がこの人を好きだったら
どんな行動をとるか?」を考え実践することにしました。
相変わらず奇行はつづいています。
でも、怒鳴る回数は減りました。
手を上げることも少なくなりました。
「好きな相手」にはそんなことをしないから。

心なしか、子供が笑顔を見せることが
多くなってきたように思います。

好きなふりをしていれば、
いつか本当に好きになれるかもしれない。
障害から逃げられない。戦えない。
弱ってなんていられない。

今の私にとって、最高の未来とは?

子供が地域の公立小学校に入って。
自分でランドセルを背負って、自分で歩いて通学して。
学校で、友達と楽しく話して、遊ぶ。

それがかなったら最高です!!

大人になったら?この子の将来なんて分かりません。
でも、とりあえずは、2年後。
そんな未来を目指しています。

私の器はまだまだ小さくて、
すぐこの現実に目をそむけたくなるけど、
それでもこの子と一緒に生きていくのだ。
多分、私が死ぬまでずっと。
(MM)


MMさんの、
「今の私にとって、最高の未来とは?」
の次を読んで泣けた。
お子さんのことしかはいってない。
なんて深い愛だ。
MMさんは好きになれないというけれど、
MMさんの最高の未来の中に、
1ミリもMMさん自身のことがはいっていない。
多くの人が描く最高の未来には、
「私が‥‥、私が‥‥」のオンパレードだろうに。
自分の母を思い出して泣けた。

「受け入れる」とはどうすることか?

これだという答えはなく、いま私も悩みの中にいるが、
たぶんいま私の思う一番近い答えはこれだ。

「生きる」。

人を恨んだって、やさぐれたって、何もしなくたって、
ただ生きていることには間違いないが、
この3文字にわたしがこめたのは、
「私として生きる」「私を生きる」
という意味が近いかと思う。

たとえば、ずっと優しい人間だった人が、
ある事件を境に、人に優しくできなくなり、
人を傷つけるようなことばかりしてしまう。
あまりの変化にまわりの人が問う、
「あなたはもともと優しい人だったのに、
 どうしてこんな人が変わってしまったのか」と。すると、

「私はもともと優しい人間で、
 私だって、人に優しくしたいです。
 でも、あんなひどい目にあったら、
 あの事件のせいで、
 私は人に優しくできなくなってしまったのです」

これは違うのかなあ、「なら優しくすればいい」と思う。

生来の優しい人間は、優しいんだから、
優しく生きるのが自然だ。そうしなきゃだめだ。
それがここで言う「生きる」ということだ。

「自分を生きる」

MMさんが苦しんでいるのは、
もともと優しい人だからだ。
MMさんが、もともと極悪非道で、
もともと人ギライの、冷血人間なら、
ちっとも苦しまないのだろうが、
生来、人を好きで、身の回りの人を愛し愛されてきた
「いいおかあさんになりたい」と素直に思ってきた
MMさん、だから苦しいのだ。

MMさんは、もともと優しい人だから、
優しく生きることが、自分を「生きる」ことだ。

MMさんは、模索の果てに、
もともと、本来、MMさんが生きてきた
優しい自分と、再び連続性のある日々を「生きる」
方向に近づいている。

息子は耳が聞こえない事で、
何かをあきらめたことはありません。

というruさんの言葉、まさにそうで、
もともと息子さんがもっている良さを生かしていく。
病気に直面しても、生来の自分が持っている良さから、
ゆがんだり、逸脱したりしないで、本来の自分と、
連続性のある今日を「生きる」ということだ。

生来の良さとの連続性を持ったまま、
今日一日を「生きる」ということ、

これが、哀しみに沈んでいるときは、
一番難しいのかもしれない。

明るい人が、暗くさせられてしまい、
勤勉だった人が、だらしなくさせられてしまい、
優しい人が、人を傷つけるような行動をとらされてしまう。

「あなたはもともと教育の仕事に人生を捧げてきた。
その才能もある。だから、不測の事態で職場を失っても、
そこと連続性のある今日一日を生きなさい。
今日も一日、教育に情熱を持ち、
才能あるものとして生きなさい」

2000年の職場を失った時には言葉にできなかったが、
教育に掛けてきた自分の良さと連続性のある
今日を生きる。
それが私にとっての「受け入れる」ことだった。
そして5年後、
以前にもまして教育の仕事ができるようになった。

「あなたはもともと優しい人だったのだから、
 この哀しみに負けないで、優しい人として生きなさい」
「あなたはたくさんいい仕事をして、できる人なのだから、
 この挫折に屈しないで、できる人として生きなさい」
「あなたはもともと魅力ある人なのだから、
 どんなにひどいことを言われても、
 魅力ある人として今を生きなさい」

うまく言えないが、「受け入れる」とは、そのように、
哀しいことがあっても、それまでの自分の良さと
連続性のある、今日一日を生きることなのではないか。

と、きょうは、ここまで考えた。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2009-11-04-WED
YAMADA
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