YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson420
      結婚しても働きますか?


働く女性も増えて、
今どき、いくらでも進路を選べそうなのに、
「将来の目標は?」
と聞くと、はなから一瞬のためらいも葛藤もなく
「お嫁さん」
と答える若い人がいる。

つい、何か言いたくなるのは私だけだろうか?

将来の目標は「よい家庭を築くこと」、
という若い人も多い。
彼らは、「家族」を何よりも大切と言い、
地元に残るということもとてもいいことだと言う。

また、「たまのこし」という言葉、
私たち世代にとっては古臭くって
父さん母さんしか使わない、
人前で口にするのさえ恥ずかしかった言葉が、
ごくフツウに若い女の子の間で
堂々とつかわれているのに驚く。
白金や芦屋などの素敵な奥さんも
とてもステイタスになっている。

自立する女性がかっこいいという
マスコミの風向きはどこかで確実に変化した。

「負け犬」という言葉がでてきて
とどめを刺したように思う。

女性の社会進出の矢おもてにたたされ
「自立」をおぼつかないながら切り拓いてきた
私たちの世代には「先祖がえり」とも見える、
若い女の子たちの「家庭志向」。

でも「将来の目標はお嫁さん」という
若い人のほうから見れば、
いまどき「負け犬」になるほうが時代遅れ、
それだけはいや。
まずは「女の幸せ」、それだけは逃さぬように、
それあっての自立、という順番なのだろう。

先週の「選択の後、つらくなったっていい」には、
たくさんいいおたよりをいただいた。

時代の中で、
「家庭」を選択した女性たちの、
中年になってからの社会復帰・社会デビュー
のことをとりあげたのだが、

中年離婚でも、
「家庭は失っても
 アイデンティティまでは失わない男性」
に比べ、
「家庭という居場所を失い、主婦という仕事を失い、
 社会デビューには、
 アイデンティティを組み換えなければならない女性」
とは、ずいぶん見ている風景がちがうと、
女性の視点を述べたところ、
男性の視点も教えてくれる、いいメールが届いた。
まず、読んでほしい。


<決断のときに要るもの>

アイデンティティの組み換えの話しは、
以前からいろいろ考えていたことであり、
かつ、男性に話しをふってみると、
確実にかみ合わなかったので、先週の話は
とても興味深く読ませていただきました。

知人の男性に読んでもらって、
少し意見を交換したのですが、

男性の目からは、
「20年間バレエを続けられたという、
 その自由さが羨ましい」
とのことです。

男性の場合は、もっと早いうちに、
そんなことはやめて良い大学に、良い会社に、
収入がないと生活できないぞ、
となるので、
20年間という長い間続けられたことだけで、
とてもいいことだと感じたと言っていました。

そう言われてみれば、
小学校の頃ピアノを習うのは男の子も女の子もいるのに、
学年が上がるにしたがって、大学ともなったら、
音楽科はほとんど女性の学科のようになっていますよね。

そこに至るまでに、
男性は少しずつ道を矯正されて来ているんだ、
ということに気づきました。
男性と話しがかみ合わなかった理由の一つだと思います。

男性は、中学、高校、大学、と
時間をかけてじわじわと矯正されているのですが、
女性は趣味に生きられる可能性が高く、
趣味に本気で打ち込める環境が整っていた場合、
長期にわたる矯正期間というものが存在しないため、
あるとき一気に矯正しようとする状況が訪れる、
それがアイデンティティの組み換えと表現されている、
と考えました。

女性の場合は、
結婚して夫に養ってもらうのが当たり前、
という社会の価値観があり、
そのために、自分で生活するすべということを
考えなくてもいいので、自由にできてきた、
(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)
という背景もあるかと思います。

ただ、
周囲から言われて苦渋の選択をするにしても、
その決断をするにあたっては
「覚悟を決めた」のか、
それが気になります。

周囲の希望のほうが強いと、
それが自分の希望であるように感じてしまって、
周囲の選択肢をとってしまったとき、
後で、本当はこうしたかった、というもやもやが
わき出てくるんじゃないかと思うんですよね。

「覚悟を決めて」道を変えた場合は、
自分の判断として前進できるように思います。

何かあったときにもやもやとわいてくるのは、
「覚悟を決める」ということを、
これまでにどれだけ深くしてきたか。
そのことが問われている時でもあるんじゃないかと
思いました。

周囲の希望を自分の判断とした、
その時の自分に落とし前をつけないと、
先に進むのは難しいんじゃないでしょうか。

20年間バレエを続けてやめた、という、
そのやめ方を苦渋の決断とはいえ
他人の判断に乗ったという気持ちがあり、
その時の自分に落とし前をつけた、
その結果、新しいことが見えて、進む道が決まった、
そういう話だと感じました。

私がとても大きいと思っている男女の違いは、

男性は
「自分で生きることが基本になった矯正」
をされているのに対して、

女性は
「常に依存した生き方がいいという価値観に基づいた矯正」
をされている、ということです。

ですから、中年離婚の例で言えば、

男性は自立の基盤は持っているので
それほど大きな変化はなくて済むけれど、
女性は依存から自立へ
精神構造の組み換えを行わないといけないので
経済的にも精神的にも
かなりしんどいことになるのではないか
と想像します。

生活の基盤も自分で、
という女性がこれからも増えるのかどうかは、
わかりません。
若い人の中には、
すぐにでも専業主婦になりたいと言う人も多いと聞きます。

上の世代からの刷り込みなのか、
自分で選択していくことがしんどいことを
察知してのことなのか、
女性は選ばれてなんぼ、という価値観は
そう簡単には無くならないのかもしれないです。
それでも、

他人に下駄を預けるということが、
どれほどのリスクを背負うのか、

ちゃんとわかって選べよ、と。
先週の話から、私はそんなことも読み取りました。

私は、経済基盤のすべてを他人に預けている状態は、
人生を他人に預けているのと同じだと感じていて、
それって自分の人生なのかしら? と思っています。
なんというか、自分の人生を自分で受け止める、
その自信というか、そういう物が
自分の稼ぎで生きていける基盤があることが
重要な気がするんです。

だから、私は自分で自分の人生を受け止めるためにも、
自分の生活費は稼ぎ続けようと考えています。
そうすることで、
日常の小さい判断を自分の責任でするようになり、
いざというときに、
当然のように覚悟を決められるように
なるんじゃないかなあ、
なんていう期待もあります。

とりとめのない話しになってしまいました。
以前から疑問に思って
解答が見えないと思っていたことだったので、
先週の内容はとても興味深く、また、
知人と良いディスカッションができたので、
現時点での解答が得られたと思っています。
これからも考え続けていきたいことなので、
取り上げてくださってありがとうございました。
最近の話も、ぜひ本にして出してください。

それでは。
(読者 のりさんからのメール、ほぼ全文を掲載)



私は、以前このコラムの
「おかんの戦場」にも書いたように、
主婦の仕事を非常に
プロフェッショナルな仕事だと思っている。
それは母の時代も、いまの時代も変わらず。
育児や介護、さまざまな事情で、
主婦業に専念する女性の生き方と、
そこから鍛えられ、磨かれていく感覚に、
ときに、打たれるようなかなわなさを感じることがある。

にもかかわらず、
その主婦になろうとする
「将来の目標はお嫁さん」という若者に、
ものいいたくなるというのは、
自分でも矛盾していないか、とも思った。

でも、「おかんの戦場」の主婦たちが
家庭を選択することと、
「たまのこし」という言葉を臆面もなく使い、
将来の目標はお嫁さんと一瞬の葛藤もなく言う女の子とは、
やはり何かがちがう。

のりさんが「そこに覚悟はあるか」と表現したそれを、
私なりに表現すると、「そこに社会はあるか」
ということになる。

「社会」という言葉は、言葉にしてこうして書くと
薄っぺらく、偽善っぽく響くのはわかっているのだけど、
それでも、誤解を受けても、

たまのこしを目指すという女の子には、
自分と愛する人の幸せだけがあって、外がない。
「私とあなた」だけがあって、その他はカンケイない。

おかんの時代は、家事や育児をするといっても、
何かもっとひらかれた、大きなものに向かって、
やっていたように思う。

戦後で生きるのがとても厳しかったこともあるし、
背負うものがたくさんあったように思う。
生まれた家を背負い、故郷を背負い、
親類・縁者を背負い、ひいては社会を背負い。

国とか、社会とか、なにかもっと大きいものにむかって、
あるいは使命を負って、
家事や育児をしていたと私は思う。

社会参加を声高に叫ばなくても、
ただ生きるだけで厳しすぎる時代だったから、
家庭に入っても、社会との接点が緊密にあった。

結婚しても働きますか?

その答えは大きく3通りある。

結婚しても働く。
結婚したら辞める。
その間というか、なんとかできる形に変えて続ける。

このうちのどの選択肢がいい
ということでは決してない。

のりさんの言葉を借りれば、
選ぶときの覚悟と、
その覚悟を育てるための日々の選択の連続による訓練
が大事なのだ。

私流に言えば、選んだときの視野。
子どもの状態の自分から、決断のときまでに
いかに社会的なまなざしを獲得しておくか。
その社会的な視野を育むための、
日々の訓練をどう積んでおくかが必要なんだろうと思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2008-11-12-WED
YAMADA
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