YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson282 人とつながるポイント


人が面白いと感じる話、しらける話の境界は微妙だ。

りっぱな話が、決して人を惹きつけるわけではない。
じゃあ、どんな話が人と一発でつながるんだろう?

先日、大阪でワークショップをやった。
集まったのは100名を超える学校の先生たちだ。

この日。

教職というガードも、バリアも飛び越えて、
何人かの先生が、非常に印象的な、
「おもろい」スピーチをした。

全国各地のワークショップを通して、
いろんな面白いスピーチを聞いてきたと思っていた私も、
この日は「ニュータイプ」に出会った。

この日は、グループでスピーチをして、
各グループで、いちばん心を惹きつけた人に、代表で、
前に出てスピーチしてもらったのだが、

先生だからやっぱり、
「こどもの話」、「教育の話」かな、と私は思った。

あるいは、「職場の問題」とか、「家族の話」とか、
転職を含めた「自分個人の人生の葛藤」とか、
経験上、そういうテーマが多かった。

ところが、この日、
グループの代表で選ばれた先生の話題は、

テレビ。
うさぎ。
……。

たとえば、ある先生の家にはテレビがない。
淡々と「テレビがない生活」について話しはじめた。

そんな話かよ!
失礼ながら、私は、最初、そう思った。

大勢の先生が選んだのが、
いじめでも、コミュニケーションの問題でもなく、
「いまどきウチにはテレビがない」、そんな話かよ、と。

ところが、面白い。

聴いていて、なんとも言えず惹き込まれていく。
その場にいた100名を超える先生たちも
すっかり、その話の世界にはまっていった。

その先生は、
引っ越しかなにかのタイミングでテレビが壊れた。

デジタル化がどうのこうので
テレビを買い控えているうちに、
もう3年以上も、
テレビの無い生活が続いているという。

それでも、テレビの音をラジオで受信することはできる。

いつからか、独り、テレビ番組を、ラジオで受信して、
「音」だけで愉しむ習慣がついていった。

テレビドラマも、聞き耳を立てていれば、結構
音だけで、展開もわかる、楽しめる。

とくに時代劇で、
せりふもない、
無音の状態がずーーっと続くときがある。
そのあいだ、いったい登場人物は何をしているのか、
想像して愉しむのが、
ものすごく面白くなってきたそうだ。

テレビの音は聴いているから、
「名前は知っている、
 でも、映像は一度も見たことがない」
そういうものがどんどん増えていく。
そういう状態でテレビを持つ人と話しをするのも、
結構、ちぐはぐで、面白い。

サッカーの試合も、
テレビの実況を音で聞いていればなんとかなる。

でも、さすがに
「いま、ゴールが入った!」という瞬間は、
映像でないとわからない、という。

ところが、大きな試合では、
住んでいるアパートの住人、
あっちのご家族も、こっちの人も
みんながサッカーを見ている。

耳を済ませていると、アパートの
あっちのご家族から「キャー!!!」、
こっちの部屋から「おおーー!!!」、
という住人の歓声が、先に聴こえて来て、
「いま、ゴールが入った!」とわかるそうだ。

そんな感じで、
淡々と、淡々とテレビの無い生活を語ってくれた。
絵が浮かんで、とても印象的なスピーチだった。

もう一人の先生は、
とにかく学校で飼っている「うさぎ」のことが
気になってしかたがないという話をされた。
生徒のためでもなく、教育目的でもなく、
自分は「うさぎ」が
気になって気になってしかたがないのだと。
年末年始、さすがに元旦の1日だけは休むが、
それ以外は一日も欠かさず、
「うさぎ」のためだけに出勤するのだと。

ワークショップのあとの食事会で、
「テレビ」、「うさぎ」、
あの話の面白さはいったいなんだろう?
という話になった。

「共通の話題」でもなく、「普遍的なオチ」もない、
なぜ一発で場にいる人の心がつながったんだろう?

すると、その場にいた、20代の若い先生が
こんな話をしてくれた。

その若い先生は、教職に入る前に、
看護学校に行っていたのだという。

それで、病院で実習をしたとき、
グループワークを課された。

実習生同士で、何人かのグループを組まされて、
そこで、何でもいいから
ディスカッションしなさいと言われ。

でも、そんなに親しくないもの同士、いきなり
集まって話せと言われても、何を話したらいいのか。

最初は、みんな、本から得た知識とか、テーマとか、
そんなものを持ち寄って、話をしていたそうだ。
でも、「それがどうした」という感じで、
いっこうに盛り上がらない。
実習生同士、けん制しあっていたのか、
けっこうメンバーの人たちも恐かったそうだ。

ところが、実習が進むうちに、
実習が、あまりにも、過酷だったので、
みんな、どんどん、つらくなってきたそうだ。
医療現場で自分が体験したつらいことや、
患者さんのことを、自分の胸だけに
納めておくことができないまでになっていった。

それで、グループディスカッションで、
テーマに関係ない、
ここでこんなことを言っちゃいけない、
と思っても、もう、あまりにつらくて、その場で、
自分の切実な想いを言わずにおれなくなって、
言ってしまったり、その場で泣いてしまったり、
ということが出てきたそうだ。

そのときはじめて、
けん制しあって恐かったメンバーの、
緊張が解けて、一気に心が通じた、というのだ。

そこで、心のバリアが一気に解けて、
優しさが生まれたと。

その先生は、
そのときの通じ合う感覚が原体験となって、
その体験をもっと多くの人にと、教職を選び、
養護教諭になったそうだ。

「共通の話題」とか、「一般ウケ」とか、
「普遍的なテーマ」とか、
私たちは、人前にでると、つい、りっぱな話題を探し、
それを通して、人とつながろうとする。

でも、その方向から話を探すとき、
話は自分から離れた、よそよそしいものになりがちだ。

私の家には「テレビ」はある。
テレビの無い人とまったく同じ経験はしてない。

だけど、
あの先生にとっての「テレビ的」なもの、つまり、
「世間のあたりまえから私だけ外れた部分」はある。

そこに、自分は人並みから外れているという不安もあり、
でも、そこにしかない愉しみ・可笑しさも感じている。

声高に「人に聞いて」とは言えないけれど、
でも自分の胸だけにしまっておくのはもったいない
だれかにわかってほしいような部分がある。

あの先生にとっての「テレビ」が、
「自分の中のそういう部分」と共鳴するのだと思う。

私は「うさぎ」に執心してはいない。

けれど、もう一人の先生にとっての「うさぎ的」なもの。
つまり、人が見たら、
おかしいくらい執心してしまうものがある。
偏って愛してしまうものがある。

自分の中のそういう部分が、「うさぎ」の話に共鳴する。

いまの自分にとってあまりに切実だが、
あまりにも個人的なことで、
人前でこういうことは言ってはいけない、と
自分の中で隅っこに追いやられた部分がある。

そういう部分は、
だれにも、何かしら、あるのではないか。

だから、そういう部分を、表に出したとき、
自分とまったく同じ体験、
まったく同じ痛みの人はいなくても、
人の心の隅っこに追いやられた部分と共鳴するのだ。

ひとりが、そうした、
心の中で隅っこに追いやられた想いを解き放つことで、
聴いている方まで、なにかしら解放された気持ちになる。

一発でつながる話とは、たぶん
そういう方向にあるのではないだろうか?



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『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-01-11-WED

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