YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson278 なんだかわかんないけれども
       面白そうなところへ自分をひらく


いま、新しい書き下ろしに挑戦している。

そこで、5年半かけて、
どうにかこうにか道がついてきた
自分なりの、ものを書くスタイルを、
また、まったくゼロにして、
まったく新しい書き方を、
暗闇のなか手探りしている。

これが、かなりトホホ……な状態で。

同じところをえんえんと書き直し、
「おお!できた!すばらしい」と思ったら、
翌朝見直して、ゲンメツ。

だんだん、書いたものがいいのか悪いのかも
自分ではわからなくなってきて。
他の、これまでと同じスタイルで書いていいものまで、
ガタガタと調子がつかめなくなっていく。

いったい自分は、なんで、そうまでして
これまでとちがう書き方をしようとしてるんだ?

新しいことをしてやろう、などと気負ったのではない。

これまでの書き方も、
やっぱり暗中模索でつかんできたものだったし、
自分の中では、ずいぶん、
言いたいことが言えるようになってきていた。

だけど、これまでの書き方では、
伝えることができない、はみ出すものが、
自分の中で、少しずつ、少しずつ、
5年半かけて、せっぱつまるほどにたまってきた。

いま書かなきゃ、それは書けないし、
どうしても書きたいし、
これまでの書き方では、決して描き出すことができない。

だったら、いまの書き方をすっぱり捨てて、
新しい方法をやってみるしかないだろう、
ということで、やってみてはいるのだが、

なにせ、私が行こうとしている先は、
いわば5年半、あきらめつづけてきたところだから、
いきなり行こうたって、道はない。

いままでのやり方をしない、
と一口にいうけど、
それはやっていて、とても気持ちのわるい、
なんだか、自転車を後ろ向きにこいでいるような感覚だ。

ひとつのやり方を
ずっと特化してきた人ならわかると思うが、
なじんだやり方には、
工夫と改良を重ねてきた歴史がある。

そっからみると、いま暗中模索している手法など、
しょぼい、しょぼい。

生まれたばかりのしょぼい手法で、
生みだす文章もしょぼい。
すると、自分までしょぼい、と感じてくる。

そうまでして、しょぼしょぼになってまで、
自分はどうしようっていうのか? と問うと。

どうも、そうすることが面白いんだな、と思う。

そうやって、わけがわかんない領域へ足をつっこむのが、
きっと、自分は、面白くてたまらないのだと思う。

まだ、ほんの短い文章だけれども、それでも、
これまでの書き方をしないで書き上げたときに、
いままで見てきた風景が
ガラリと構図を変えたところがあった。

それは、編集者さんとのミーティングだ。

いままでと違うやり方をしようとするときに、
何を目指して、なにを良しとして、
進んでいったらいいのか、
そこからぐらぐら揺れた。

そのときに、

自分の記憶の中から浮上し、
道しるべとなり、
直接、力となったのは、
編集者さんとたくさんやったミーティングの中の、
なんと、「無駄話」の部分だったのだ。

ミーティングをするとき、
仕事に直接関係のある、
意味のある話をしている部分と、
直接仕事に関係ないけど、
面白くてつい話し込んでしまう。
いわゆる「無駄話」をしている部分がある。
たいていは、この二つをいったりきたりしている。

効率化が進んだ企業で仕込まれた私は、
会社を辞めた当初、
ミーティングは、直接仕事に関係ある、
意味のある話だけを効率的にするタイプだった。
しかし、それでは企画がやせる。
自分で気づいてはいても、なかなかそこから
脱却できなかった。

一方、担当の編集者さんは、
いま直接の議題とは距離のある話題を
よくふってくださる人だった。

ときどき、その距離の遠さ、変化球に、
どうキャッチしてよいか、とまどうこともあった。
でもその距離が遠ければ遠いほど、
それは鮮やかな印象で記憶に焼きついた。

ところが、いざ書きはじめると、
自分が意味あると、義務感をもってした話が無力になり、
無駄だけど面白くてしかたがなかった話が、
直接、新しいものを書く力になっていた。
そのあまりの逆転に、
自分でもあっけにとられてしまった。

何が無駄か? なにが意味ある話か?

これまでと同じやり方をし、
これまでの延長でゴールを描いているときに、
無駄だと思えたことは、
新しいゴールに足を踏み出したとたんに、
無駄ではなくなる。

なんだかわからないけれど妙に面白いと感じた
編集者さんの話は、
まだだれも見ていない自分の原稿のゴールを
予見したかのように、
遠い未来から投げられていた球だった。

はっきりと意味や成果が見える目標よりも、
「なんだかわけがわからないけれど面白い」
というものに自分をひらいておけ! 
いや、飛び込め!
というのが、個人として仕事をしはじめてから、
自分の鉄則のようになっている。

これは、会社員を長年やっていた自分からすれば、
あぶなっかしい、「賭け」のような行き方だ。

だけど、岐路、岐路で、
なんだかわけがわからないけれど
面白い方を選んできて、
後悔はない自分がいる。

それは、たぶん、
フリーランスとして社会に生き残るのが
予想以上に厳しく、
その切実なところから
きている選択だからだと思う。

「面白さ」というのは、
いまの自分にとってそれくらい偉大だ。

個人で、つくり手として、
やっていこうというときに、
お金よりもモチベーションを
失うことの方がずっと怖い。
モチベーションがあれば、
また、自分で何かつくって、
なんとでもやっていける。

面白い!と思うものに向かっている限り、
モチベーションのことは心配しなくてもいい。

さらに、個人で仕事をやっていくには、
いやでも狭くなる自分の世界を
どう広げていくかが問題だ。

絶滅する種の条件にも、「狭い生息領域」とある。

意味がはっきりわかるもの、
というのは、結局は、自分の経験した範囲、
これまでの自分の枠組みでとらえられる範囲のものだ。
自分にとって、いま切実なのは、
生息領域を広げることなんだと改めて気づく。

「なんだかわけがわからないけど面白い」ものは、
常に、自分の枠組みの外からやってくる。

いまは、そのビリビリ感じる
「面白さ」だけを道しるべに
進んでいこうと思う。

あなたがいま、
「なんだかわけがわからないけど面白い」
と感じるものはなんですか?

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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-12-14-WED

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