YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson271 独立感覚 − independent sense


読者の方から、「連鎖」への反響がぞくぞくと
届いている最中ですが、
今日は、ちょっとだけ別の話をさせてください。
おまたせしました!

『おとなの小論文教室。』が単行本になります。

あなたのおかげです。
ありがとう。

いままで何度かお話をいただきながら
踏み切れなかったのですが、

来年、120周年を迎える河出書房新社から
4冊連続出版になると思います。

タイトルから、中身から、
このまんまの世界観を尊重し、
温かく世に送り出そうとしてくださっている
会社の姿勢に心を打たれました。

第一巻編集のため、ひさびさに
5年前の自分の書いた文章を読んだのですが、
へたくそなのに、弾丸のように響いてきます。

言葉ではなく、技術ではなく、
読んでいて、めちゃくちゃ
かきたてられるものがあります。

いま続いている「連鎖」のシリーズですが、
「連鎖」の原稿は、
5年前の「おとなの小論文教室。」を読んで、
過去の自分にインスパイアされて書きました。

5年前の自分は、
文章に余分なくだりが多く、
技術がないため、ぶっきらぼうだったり、
わかりにくかったり、
しかし、いまの自分が
到底かなわないものをもっていました。

一人の人間が、社会という生命線をたたれ、
崖っぷちの状況で、
死にものぐるいで書いた、書き続けた、
その命の輝き、表現の強さに、
いまようやくながら気づいて、
頭をたれるような想いです。

この秋から来年に向けた自分の目標は、
このときの自分を超えることです。

ライバルは、他の人ではありません。
5年前の自分です。

しかし、6年目を迎えたこのコラム。
いまだに、私が、何度となく、
「これが最後かも」
というような背水の陣で書いているといっても、
なかなか信じてもらえません。

職場にしても、その他のことでも、
あるところに6年もいつづければ、
「おなじみさん」というか、
場合によっては「ベテラン」になったり、
すっかり、
根をはったような存在になることも多いものです。

ところが、この「ほぼ日」は、
いい意味で、
決して「おなじみさん感覚」を許さない
独特の磁場を発してくれているように思います。

私は、この許された小さなスペースに、
いちども、あぐらをかいて座ったことがありません。

自分で自分に課した、ある基準があるのですが、
この8月は、
「いよいよそれに達しないか…」
「とうとうやめなければいけないときがきたか…」
身体にザワザワと寄せてくる
危機感に本気で怯えました。

考えたら、ずぼらな自分が、6年たっても、
いつまでも新人のような新鮮さ、
危機感を持ち続けられ、
背中を押し続けられるというのは、
めったにない、
とても「ありがたい」ことです。

これこそが、私が磨きたかった
独立感覚−independent sense
なのだと気づきました。

この、「独立感覚−independent sense」
という言葉は、
石田さんという編集者が
キーワード化してくれたものです。

一緒に企画を考えているとき、
「いま山田さんが関心あるテーマは?」
と聞かれ、
私は、「眠狂四郎」と答えていました。

いまの自分を形容するときに、どうしても、
「無頼」の「お侍さん」と重なってしまうのです。

いま、私の活動の中心は、
講義・講演・ワークショップなどのライブで
かなりの本数をやっています。
どこにも所属せず、なんのうしろだてもなく、
なんの権力にもおもねらず、
北は新潟・盛岡から南は宮崎まで、
「言葉」という刀ひとつを頼みに
たった独り、旅から旅へと渡っていきます。

そのときに何が必要か? 
何を失ってはいけないか?

そんな私の話を、石田さんは、
ばかにせずきいてくれ、
「それは、自分に頼(よ)って生きる、
 =独立感覚−independent senseですね」
と、言葉化してくれました。

ちょうど、そのあとに、
別の編集者さんが持ってきてくださった本が、
『パラサイト・ミドルの衝撃』という本でした。

「パラサイト・ミドル」とは、
直訳すると「寄生中年」。

組織や若い人の稼ぎに寄生して生きる、
サラリーマン45歳の憂鬱がテーマです。

「インディペンデント・センス」と
「パラサイト・ミドル」は、
対極にあるような気がします。

「ほぼ日」が発している、
いつまでも私を新鮮たらしめている磁場とは、
言ってみれば、パラサイトを寄せ付けない磁場。
その秘密の一端を見たようにおもいました。

それは、このメディア、
それからこのメディアを
運営しているクルーの1人1人が、
独立感覚を磨き、進み続けているからではないかと。

では、独立感覚−independent senseとは何か?

私は、「自分に関する信頼感」
ではないかと思います。
なんていうと、さも自信まんまんで
迷わず、目的に向かって
突き進んでいるような印象を
もたれるかと思います。

でも、私自身、
5年半、仕事を細々と続けてこられた、
それを支えた、
「自分への信頼」というものを
ふりかえってみると、
それは、人から見たら、逆の印象、

なんかくよくよして見える。
ずっと迷っている。
揺れ続けている。

独立感覚を磨いて行く、とは、
そんな感覚ではないか
と思うのです。

ホステスさんの
ドキュメンタリーを撮っていた人が言いました。

「カウンターをはさんで話をしていて、
 すごいオーラがあって、
 この人はなんだかわからないけど
 ものすごい!と思わせるママがいる。
 でもそういう人に限って、
 なかなか映像では、
 そのすごさが伝わらないんだよね。」

映像、とくに、テレビ栄えするのは、
年商何億円とか、
自分の経営する店、何店舗、といった
目に見えた成功をとげたママだそうです。
たしかに、それも本当にすごい人なのだけど、
カウンターをはさんで
向かい合ったときの「本物感」は、
前出のママに遠く及ばないのだそうです。

その、すごいと感じさせるママは、
特に年商がすごいわけでも、
店が大きいわけでもありません。
そのドキュメンタリーを撮っていた人は、
さらに、こう言いました。

「その、本当にすごい、と感じさせるママは、
 やっぱり、すごく悩んでいたんだよね。」

うまく言えないのですが、
私はその話を聞いて、
「自分の感覚を、あけわたさないから悩むんだ」
「ずっと悩み続けるなんて偉いなあ」
と思いました。

水商売に限らず、
成功しているか、
していないかには関係なく、
目先の成功のために、
自分の感覚を売り渡した人は、
一見ツルツルしています。
一見ひらけていきます。
揺れることもない。

でも、目先の成功に、
自分の感覚を売り渡した人は、
品のない顔をしています。

ふと、「悪魔に魂を売る」
という言葉を思い出しました。
うりわたすか、うりわたさないか。

成功に効率よくたどりつくマニュアルが、
こんなに親切に出回っているいま、
自分の感覚を信じるなんて、
並大抵ではありません。

信じてみたところで、
自分の感覚なんてとても小さい。
自分の感覚でやることだから、
プレッシャーもやたらきつく、
失敗の痛さもどでかい。

だから、
自分の感覚を疑い続けるのもあたり前で、
悩み続けるのもあたりまえで。
それは一見、くよくよと見える。

それでも自分の感覚を売り渡さず、
自分の感覚で最後まで、
遠く、時間のかかるゴールを
目指そうとする人だけが、
独立感覚に優れた人なのではないか、
私は、そう思うのです。

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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-10-26-WED

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