YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 267 連鎖2

悪意は連鎖する。

ある人から受けた悪意を、
私がもちきれず、
母にあたり。

母は、父にあたるだろうか、
その後、父はどうするだろうか……、
とおもったら。

母は、悪意をリレーしなかった。
その代わり胃をこわした。

母は自分の腹で連鎖をとめたのだ。

――先日ここに、そんな内容のコラム
「連鎖」を書いたら、たくさんの反響をいただいた。

「ズーニーさん、そりゃひどい」という人、
「おかあさんにちゃんと説明をしたのか」
と心配する人もいた。

「おかあさんが体をこわしたのは、
 ズーニーさんのせいではない。
 親は子にかけられた迷惑を決して、
 そんなふうに思いはしない」
と言ってくださる人もいた。
そのメールを見て、泣きそうになった。

母はものを食べられるようになったのだろうか?

私は母に電話をした。
母のおかげで私は元気になり、
人に対して、また積極的に向かえるようになった、と。
母を攻撃してすまなかった、と。
さぞつらかったろう、と。

ところが、母は、意外にも明るい声で、
「お盆に、あんたらが来てくれてから、
食べられるようになったんで!
それまでは、なんかつかえたようなかんじで
食べられんかったんじゃけど……」
と、うれしそうに言った。

なんと、盆に帰省した、
こんな自分勝手な娘の顔を見ることが、
母には何よりの薬だったのだ。
それを聞いて、わたしはよけい、自分の不孝を
いよいよ行き場なく、後悔した。

「おかあちゃんは、
こどもになんかされるんは、
ちっともストレスじゃねぇ!(=ない)」

一点の曇りもない声で、母はきっぱりとそう言い切った。

盆に。

帰省したわたしの姉が、
安心したのか、
めずらしくお酒に酔ってモドしてしまった。

母が、姉の吐いたものをふいていると、
姉の子どもがきて、

「わー、汚ねぇ!!!
おばあちゃん、ようやるなあ!
うちじゃったら、汚のうて、ようせん」
(=私だったら、汚くてできない)と言った。

母は、すかさず、
「そりゃあ、おばあちゃんにとっては自分の子じゃもん。
 子はかわいいもん。
 ちっとも汚のうねぇ(=汚くない)」

もう四十も半ばを過ぎた、いいおばさんの姉のことを、
「かわいい」と言う母。

そうか、
親にとって、子は、
吐いたものも汚くないほどかわいいのか。
スゴイな。

子どものいない私には、その感覚がわからない。

だけど、姉の子には、
子どもにとっては、親の吐いたものは、
やっぱり汚いのか。

その気持ちはちょっとわかる。
切ない現実。
せつない生命のシステム。

だから、子は
親の愛を親に返すことはできず、
つぎ、自分の生んだ子に受け継ぐんだな。

ときどき「愛」について、考えてみる。

ちまたで、「愛」という言葉をよく耳にする。
私も、「愛している」と思うことがある。
でも、そのとたんに違和感がわきあがってくる。

「それが愛か?
 そんなもん、愛じゃねぇよ」 と。

条件がつく。

「愛してる。あなたも私を想ってくれる限りは」

多くの人が、自分を理解してくれるなり、
必要としてくれるなり、
そばにいてくれるなり、
とにかく心のどこかで相手に、
「くれ」というようなことを期待し。

その一点を思いつめ、
その可能性がある限りにおいて、愛していると言う。

でも、それが果たせないと、
裏切られたと、傷ついたり、泣いたり、責めたり。
相手を恨んだり。

こっちを向かせようと、
相手が嫌がる方法で気を引いたり。

離れていこうとする相手のことを、
だめなやつだとダウンサイズしようとしたり。

相手が自分と離れたところで、
幸せに羽ばたこうとするのを寂しがったり。
悲しんだり、嫉妬したり。

……それが、愛だろうか?

母は、私がひどいことを言ったにもかかわらず、
ちっともうらんでなどいなかった。

言われた言葉で自信を失うようなこともしなかった。

いや、もはや、
私の言ったひどい言葉の数々は覚えてもいない風だった。

でも、たったひとつだけ、
私がそのとき言った言葉で、
決して、母の心から消えていかない言葉があった。

私は、言ったことさえ忘れていたけれど、
その言葉は、何十日も母の心をわしづかみし続けていた。

それは、私が
「電気もテレビもつけたままでないと眠れない」
と言った、一言だった。

いまはもう、そんなことはないので安心してほしい。

仕事の集中がピークだったとき、
数ヶ月、ほとんど外に出ず原稿を書き続けたときがあった。
プレッシャーとか、書くのがつらいのとか、
ここで言うつもりはない。
とにかく、その間、人に会えず、
3食、3食、毎日、毎日、
ひとりで、ものも言わずごはんを食べる、のが続く
というのが、どうも自分には、きつかったようだ。

夜寝るために電気を消すと、孤独がわんわん鳴る。

そんな時期のことを、母に話した。
忘れていたけれど、そういえば、そうだった。

ずっと、明るい声だった母が、唯一、
声をつまらせながらこう言った。

「おかあちゃん、
 あんたが、つらいんじゃろうなおもうても、
 なんにもしてやれんのが、つろうて。
 もう、あんたが、
 電気もテレビも
 つけとらんと寝れん言うたんが……
 思い出したら、
 ここらへんが締め付けられるようで……
 おかあちゃん、
 なんにもしてやれんのがつろうて、つろうて……」

「優」しいは、「人を憂う」と書く。

「なにもしてやれない」
姉も私も出て、実家にはもう子どもはおらず、
父と2人だけで暮らす母の、
唯一、それが「哀しみ」だった。

私は、とてつもなく
大切なものをもらったような気がした。
ちゃんと生きよう、幸せになろうと、真剣に思った。

同時に、このような愛を与えられないと、
人をほんとうに愛すこともできないと思った。

ほしい愛が与えられないことは、本当につらい。
子のいない私だが、「読者」を想うとき、
無条件の、母の気持ちが理解できるようにおもう。

母のような愛を連鎖できる人間になりたい。

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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-09-28-WED

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