YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson260 伝わると伝わらないの境界
      ――(3)青春時間

就職活動で。

ずっと内定がでなくて、
あるときを境に、
一気に内定がでるようになった男性に聞いた。

何を変えたの?

「学生である自分の話しを、
 社会人のひとのフォーマットに
 置き換えて話すようにした」
と彼は言う。

はじめは、たった15分の面接で
俺のことがわかってたまるか、
というところからスタートしたそうだ。
でも、適応しなきゃいけないと彼は思い直した。
適応しなきゃ、就職はできない。

じゃあ、どうすれば15分で結果がだせるのか。
たった15分で、学生である自分の話しを
社会人のひとが、
すうーーーっと理解できる話にするには?
そこで、彼は考えた。

「ふだん、社会人のひとって、
 どういうことを考えてやってるんだろう?
 社会人のひとが、
 日常的にやってることって何だろう?」

彼なりに、それをフォーマットにしてみた。
社会人のひとは、
どうやらこういうことをやっているらしい。

現状分析

目標設定

プロセスをつくって

実行して

評価する

これは、学生であった彼にとって驚きだった。

ふだん、学生時間をすごしている彼は、
勉強にしても、学生生活にしても、
まず何か目標を設定して、
それに向けて確固としてやっていたことなんてなかった。

「学生の自分がやってたのは、目標じゃなくて、
 もっと、“おもしろさ”とか、そんなとこだったから。
 そんな自分が経験をそのまま話しても、
 社会人のひとに通じるわけないんですよね。」

私は、彼が、どんなところからそれに気づいたのか
と質問した。彼はそれに答えて、

「就職活動で、
 体育会系の人が有利なのはなぜか?
 と考えたんですよ。
 自分は、体育会系でなかったんで、
 大学の体育会系に
 しばらく潜入させてもらったり、
 自分が高校時代に
 ラグビーやってたときのことを思い出したり、
 そうやって考えていって、

 あ、目的があるかないかだ!

 社会人のひとに
 自分の話しが通じるか通じないかの差は、
 そこだったんだって。

 社会人のひとは、目標を共有して、
 それに向けて段取りをつくって……、
 というフォーマットで動いてるんだから、

 そのフォーマットで動いてない人間が話しをしても
 わからんだろう、と思って。

 そもそも社会人のひとが、
 面接でこっちをみてるのは、
 そういうことをいっしょにやる仲間としての人が
 知りたいわけだから、

 じゃあ、
 そのフォーマットで話してあげればいいんだって。

 それで、
 自分の経験をそのまま話すんじゃなくて、
 できるかぎり、
 そのフォーマットに置き換えて話すように
 工夫をしはじめたんです。

 あとづけの目標だったり、
 むりやりだったりするんですけど、それでも、
 自分は一応こういう考えでって、
 目標をまず出して、
 こういう段取りで、こう実行して……って、
 相手のフォーマットで話していくことによって、
 今から自分は、社会人になって、
 そういうことを
 相手と一緒にやる気がありますよって
 いうことを伝えたかった。

 学生である自分が、社会人のひとに、
 いままでの経験を話すとしたら、
 そういうフォーマットで伝えることが、
 スピードが一番速いと思ったんです。」

それから彼は、複数の内定をもらい、
第一志望の企業に採用された。
いまは、その企業で働いている。

私は、いま会社時間を過ごしている彼が、
学生時間をふりかえってどう思うのか?
会社時間と学生時間は、どう違うのか?
と聞いてみた。彼はこう言った。

「学生のときって、
 “刺激がほしい”っていうのが、
 なんか第一義にあって、
 自分がいままで、
 みたこともきいたこともないようなことを
 知る愉しさとか、
 こんな人もいるのか!
 っていう人と出会いたい!!!とか、
 そういうことが第一義だったような。

 やることなすこと全部!
 新鮮で楽しかったんで、
 それをずーっと、
 手を替え品を替え繰り返しているみたいな、
 そんな感じだったと思います。」

会社時間と青春時間。

私たちは、取材の間ずっと、
身ぶり手振りをまじえて話していたが、

「会社時間」を表わすときは、
目標をかざして、それに向けて
右肩あがりの直線を描く手ぶりをし。
「青春時間」の話をするときは、そのたびに、
蚊取り線香のような、
ぐるぐるまきの渦を、ぶんぶん手で描いて表わした。

ぶんぶん、ぐるぐると手をふりまわし、
青春時間を表わすとき、
なぜか気分爽快だった。

私は、社会に出てからの16年間を
高校生に向けた教材の編集者として過ごした。
そのころ、会社の同僚が、
高校生について、こう言っていたのを思い出す。

「あの子たちは、等価だから。
 自分の進路も、受験も、
 大事な期末テストも、明日の小テストも、
 勉強も、恋愛も、友だちも、
 なにもかもが秩序をもたず、等価で並んでいる。」

分別がつかず、困ったことだわねぇ、
分別あるおとながちゃんと指導をしてあげなければ、
という表情で、同僚は言っていた。

たしかに、大事なことと、それ以外の
優先順位がつかない若者は、
おとなから見れば困ったものだ。
進路を左右する大事な場にも、遅刻をしてくるし、
遅刻の理由を聞いてみると、
会場の入り口まできたとき、
ケンカした彼からメールが来て、
返事してて、だったり、
小説を読み始めてしまって、だったりする。
遅刻をすれば大勢に多大な迷惑をかける。
どっちが大事か、わからないのか?
そういうのを社会性がないというのだろう。

でも、それにもかかわらず、
彼らはどうして、あんなに輝いているのだろう?

私は、過去も今も、ずっと高校生を尊敬している。
大事なことの多くは
高校生に教わったと言っても過言ではない。
社会性がなく、時に、
やきもきさせられる若い人たちに、
なぜ、自分はずっと
リスペクトしつづけてこられたのだろう。

答えは出ないけれど、冒頭の彼の話にヒントを得て、
いま、ひとつだけ、はっきりしていることがある。

私が若い人をリスペクトする理由、それは、
「いま、それどころではない」と言わない強さだ。

おとなになった自分は、
「いま、それどころではない」とよく言う。

おとなは、
いったん目標に照らして、「いま」を選ぶ。
わかりやすい、はっきりした目標を掲げたときから、
自分のまわりのものが序列化する。
つまり、分別がつく。
大事なことと、そうでないことと、
優先すべき人と、そうでない人と、
いまやるべきことと、そうでないことと。

でも、その「いま」って何だろう?
「いま」は、目標に照らして
選べる程度のものなんだろうか?

若い人は、わかりやすい目標を掲げることができず、
それゆえ、「いま」を選ぶことができず、
「いま」に丸ごと体当たりされて、そのたびに、
もろ受け止めて、歓んだり、もがいたりしている。
そこに、強さと勇気を感じる。

「いま」のとらえかたは、もしかして
彼らの方がすごいんじゃないか、と私は思う。


…………………………………………………………………



『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-08-10-WED

YAMADA
戻る