YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson243 人に「伝わる」もの

人は、「その人」の何を見ているのだろうか?

人前で短い話をしても、
一声でもう、言葉が胸に届いてくる人と、

言っていることはわかるんだけど、
それがどうした?と
いっこうにに響いてこない人と。

知識じゃない。
技術じゃない。
意味でもない。

いったい人は人の何を見、
どこに共鳴しているんだろう?

先週、生まれて初めてテレビに出た。

あの番組は、生でこそないけれど、
生と同じように本番一発で撮りきる。
泣いても笑っても一発勝負、しかも全国放送。

事前に映像を一度も見ることなく、
私も、みんなと同じ本放送で
まったく初めて見たので、
とにかく不安で不安で不安で、
しかたがなかった。

「テレビにはごまかしようのない何かが映る」

ということを何度か聞かされていた。
いったい自分はどう映ってんのか?
目の肥えた視聴者を納得させられるのか?

ごまかしようのない何が映ってるんだろう?

とにかく、このコラムの読者、つまり
「あなた」をがっかりさせることは、
どうしてもしたくなかった。

だってこうして、ここをクリックして、読む、
「あなた」はコツコツとしたその力で、
私に、出版の機会を与え、
想う教育の仕事へとひらいてくれた。

テレビで人に「考える面白さ」を伝えるという夢も、
「あなた」が実現させてくれたようなものだ。

ほんとうにありがとう。

今度画面に映ったら、
「コイツは私が育てた」と言ってください。
ほんとにそうだから。

だけど、がっかりさせたくないといっても
年齢とか、性別とか、容姿とか、タイプとか、
自分ではどうしようもないものがあるからなあ。

文章で想像してたのと、実物と。
人の想像力は偉大だ。
それに勝てるか? 

まてよ、それは、大丈夫だ。

文章で想像する私のイメージはこうらしい。
読者のばろんさんはこう言う、

>>4月7日の日本語なるほど塾拝見しました!
あまりの驚きに思わずメールしてしまいます。
実は私、山田さんを男性だと思い込んでいました!!
しかも、50代位で眼鏡をかけていて、
頭のてっぺんが少し薄い感じ・・と、
超具体的なイメージを持っていたのです。
なのに、山田さんてば、……(以下略)
            (ばろん@36歳女性)


実は、アナウンサーの山根さんも、
初めてお会いしたあと、
スタッフにこう言ったそうだ。

山根さん:今日ズーニーさんと会えてよかったわ。
     私、安心したのよ

スタッフ: 安心?

山根さん:いや、ゲラを読んで、
     バリバリのやり手って感じで
     怖そうな印象だったからね。
     あんなに可愛らしい人だと
     思わなかったわ。

中年の私も、山根さんから見ればかわいげのある人間なのか。

私は、最初、山根さんの実物を拝見したとき、
テレビで観るより、ずっと細いのと、
あまりにおきれいなのと、半径何メートルかに漂うオーラに
がーん!と打ちひしがれ、そばにも寄れない感じだった。

しかも、ちかごろ、
身のまわりで耳にしたことのないような、
あっとうてきに美しい日本語を話される。
どんなに腰を低くされても、にじみ出てくる品格、教養、
女性としての優しさ。

何しろ、初対面の相手を受け入れ、尊重する
ものごしがすばらしい。

山根さんは、アナウンサーとしてだけでなく、
ご自身で企画をあげたり、
番組づくりの方にも、
ずっと意欲的に関わっていらっしゃる。
だから、若いアナウンサーはみんな山根さんに
あこがれているのだとスタッフが言った。

テレビに映る、ごまかしようのない何かとは
「人格」「品性」だろうか? だとしたら、

その日、ほぼ素顔で、
紺の地味なワンピースを着て
モニターに並んだ自分は、
あまりにみすぼらしかった。

というより、タレントなど
見慣れた顔が画面にあれば、
視聴者はそれだけで安心して、
番組に入ってこられるし、
知らない、素人の顔が出ると
それだけで、視聴者は不安だ。

タレントなど見慣れた顔は、
電球でいえばオン、華やか、安心。
コミュニケーションスピードが速い。
知らない素人の顔は、
それだけでワット数を小さくしたような
そこに独特の暗さというか、
くすみが生まれることを見てとった。
コミュニケーションスピードが下がる。

このみすぼらしさでは、伝わるものも伝わらない。
チャンネルも止めてもらえないかもしれない。

モニターに初めて映った自分にただよう素人のくすみと、
山根さんの人間としてのステージの高さに
うちひしがれて、この日は、
へこへこになって、はうように帰った。

なぐさめてもらおうと家族に電話した。
お世辞のひとつもいってもらって、
気を取り直そうと、ところが、
いつも優しい、おとーさんと母親が、そのことに限って、
別別に、まったく同じことをピシャリと言った。

「あんた、なにさまのつもりでNHKに行ったの?」

何千倍の競争率を勝ち抜いて、
「見られる」経験を積み上げたアナウンサーと、
素人が並んで、
画面に耐えないのはあたりまえではないか、と。
「あんたには、雲の上の人だ!」と。

そうか。目が覚めた。ひらいた。

それでも、伝えたいことを聞いてもらえるように、
視聴者の目にとまり、
できれば目で楽しんでもらいたい。

私は、衣装として、
いつも着る、茶やベージュ、紺、暗い紫などの
地味なものを用意していたが、全部辞めた。
素人、ただそれだけで漂う、
独特のくすみを回避するには
どうするか? 
人間的な品格はどうにもならない。

視聴者と橋がかかりやすくするために、明るい色を着よう!

単純だけど、
4回の服を明るいものに全部買い換えること、
それでテキストと出演料はすべてなくなるけど、
やってみよう!
それが自分で気づいて、視覚的な工夫という側面で、
実際、トライしてみたことのひとつだった。

放送前日。

表参道で、編集者の卵さんたちに向けて
ワークショップを立てた。

この日の生徒さんたちは、
他のクラスや例年に比べておとなしい、とうかがっていた。

自分をひらいてくれるだろうか?

ていねいに問いを立てて、自分の想いを引き出し、
整理したあと、
「自分でも本当に想っていることが言えた!」
というゴールを目指して1分スピーチをしてもらった。

わたしは、改めて、この日、
いったい人は人の何を見、どこに共鳴しているのか?
伝わる人と、伝わらない人の差は何なのか?
わからなくなった。

この日は、おとなしいと言われていたクラスらしく、
ガードが固い人がやっぱり何人かいた。

自分を出せず、「このくらいでいいでしょ、もう許して」
という感じで、スピーチを切り上げる人が1人いると、
それがまた、あとの発表者に連鎖する。

ガードが固いな、と想っていたら
1人の男性が、流れを変えた。

スピーチの内容の前にまず、「声」で、
もう、その広めの会議室、全体を席巻している。

そう、「伝わる人」は、話終わるのを待つ必要がない。
最初から、その場の空気を塗り替える「何か」がある。

その「何か」とは何なのか?

再三言うように、知識ではない。
話のうまいへたでもない。
マイクを持つ手がブルブルふるえ、何度も噛んでも、
伝わるものは伝わる。
流れるように話しても、伝わらないものは伝わらない。

わかりやすさ、でもない。

この日のスピーチには、何の話をしているのか、
客観的な状況設定とか、人物関係が、
まったく、よくわからない話をしている人がいた。
それでも、びんびん伝わってきた。
それは何?

反対に、行っていることはよくわかる。
わかりやすいけれど、胸に響かないものは、
まったく響かない。

ひらいてるか、閉じてるかでもない。

この日、「人前で話すのは嫌いだ」と閉じきった
態度で前に出た人がいた。
でも刺すように言葉が伝わってきた。

ポジティブ・ネガティブでもない。

根本思想、
「怒り」の人が、場を席巻するかと想えば、
根本思想、
「優しさ」がにじみ出た言葉がみんなを包み込む。

熟練でもない、そこにいた人多くは、素人だからだ、
それでも、表現者以上に伝わる「何か」を持っていた。

おとなしいクラスといわれていただけに、
秘めていた魔があったのか、
この日の生徒さんのスピーチに、
私やスタッフは衝撃を受け、

その「人に伝わる何か」とは何か?

感情? なんだろう? と改めて混乱した。
その日、「場を席巻する力」に満ちた
スピーチをした生徒さんが、
こう言った。

>ことばを発した後のあの場の空気からは、
>一人一人との距離の違いをすごく感じました。
>ある人とは近くなり、ある人とは
>限りなく遠くなった気がしました。
>「表現する」ということはこういうことなのかな、
>と感じました。
>覚悟がいる、といいますか。


ある人とは遠く、
ある人とは近く、
私が会社を辞めてからの道のりはまさにそうだった。
会社を辞めて、自分の目指す道を生きる。

これはまさに、「表現」なのだ。

いよいよ、私の「考える面白さ」をテレビで伝えたい
という夢が、実現するかどうか、放送当日を迎えた。

もう、夜10時すぎごろは、
いてもたってもいられない感じだった。

読者のみじんこさんが、
「すっっごいドキドキしながら見ていました。
何だか親戚か身内がテレビに出る時みたいで」
というように、たくさんの読者の方が、
身内を送り出す心境だった。

わたしも、もう、ただただ
もう、私をどんなふうにでも使って、どうにか
込めた教育的メッセージが伝わるように、
なにかに手をあわせていた。

実際、番組を見たら、
全国つつうらうら、子どもから大人までみんなが、
何か「ことばの力」をつけたいと想ったときに、
手がつけられる、わかりやすく、
あたたかで、誠実な、愛すべき番組になっていて
びっくりするやら、うれしいやら。

とくにMCとしての、気取りのない、
山根さんの温かさを見たら、伝わるプロの技を見たら、
ますます愛さずにはいられないと想った。
自分が出なくても、私はこの番組が好きだ。

考えたら、ゲストである自分は素人でも、
山根さんはじめ、つくり手は、全員、熟練したプロだ。
テレビ馴れしていない私をよく補い、
よく活かしてくださっていた。

そして、こわごわ、話、動いている自分を見た。

すーーっと不安が解けていって
深い安堵感がおとずれた。

たしかに、カツゼツは悪い、テンポが悪いところもある。

でも、画面にごまかしようなく映し出されていたのは、
自分のあまりにも「一生懸命」な姿だった。

本番を収録したときは、もうひとつ、熱気が出せず、
がんばりどころがわからず過ぎたと想った。
チャラチャラしたり、やる気のない印象に見られ、
それで伝わるものも、伝わらないことを恐れていた。

ところが、テレビは不思議なもので、
まったくそんな様子はなく、
一視聴者として自分を突き放してみても、
中年が、それでも一生懸命この番組に向かう様子、
この番組にかけてきた姿勢が、ちゃんと映し出されていた。

あらためてテレビの力を思い知った。

友人が、「ズーニーさんの言うことを信じてみよう」と
思わせるものがあったと言ってくれた。
大げさな信じるではなく
「とりあえず、この人がこういうんならそうなんだろう、
と思わせるものがある。テレビでそれができるって
すごいですよ」と、

それがなくては伝わらない何か、
それがあったことに、まず安堵した、第1回だった。
見てくださった皆さん、本当にありがとう!

<放送予定>
第2回 明日14日(木)夜10時25分
*見逃した人のために 第1回再放送、明日14日朝5時5分






NHK教育『日本語なるほど塾』 放送予定
(想いが通じるコミュニケーションレッスン)

7日(木)夜10時25分から
14日(木)夜10時25分
21日(木)夜10時25分
28日(木)夜10時25分


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-04-13-WED
YAMADA
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