YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson241 正直のレベルをあげる

うそは、人を動かさない。
本当のことだけが人を動かす、

と、わたしは思っているのだが、

去年、気持ちを正直に書いたら、
友人をいやなカタチで
ただ、ムカつかせただけ、だったようだ。

あれは、なんだったのかなあ?
と、ずっとひっかかっていた。

昨日、アナウンサーの山根基世さんと、
本当の想いを表現することについて
お話ししていた。

人は本当のことを言おうとするとき、
「考える」ことが必要だ。

層の浅い感情を、ただ吐き出すだけでは、
本当のことは言えない。

自分の想いを、引出し、整理する、
「考える」作業がなければ……、

というようなことを私が言ったら、

山根さんが、
「司馬遼太郎さんの言葉に、
<練度の高い正直>というのがある。
ズーニーさんの話を聞いて、それを思った」
とおっしゃった。

練度。

そうか、正直にもレベルがある。

単なる「吐きもの」なんて、
相手にとって迷惑なだけだ。
だから、友だちは、私を嫌ったんだな。

うそは人を動かさない。
しかし、練度の低い正直も、
かえって人には迷惑だ。

何度も練り、鍛えて、
質のよいものにしあげた正直こそが、
人を動かす。

練度の高い正直。

わたしも、一度だけ、
それを体感したことがある。

7ヶ月かけて、
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
を書いたときのことだ。

会社勤め、しかも、
編集者をしていた私にとって、
「書く」生活は、
予想以上に苦しいものだった。

まず、だれでもそうだと思うが、
「想いがうまく言葉にできない」
という苦痛が、第一段階。

なんとか言葉を出し、
本意ではないところを、
何度も何度も、書き改め、
やっと自分の想いが言葉になる。

しかし、そこから、
「自分の正体を見る」という
新たな苦痛がはじまる。

書くことは考えることだから、
自分の正直な気持ちに
向き合わざるをえない。

それは、自分という氷山の底にある
根本思想に向かって、
掘り進むような作業だ。

掘っていくうちに、
自分の甘さや弱さ、エゴが見えてくる。

自分は単に寂しいから、
人から注目されたくて書いているんじゃないか?

本当に、表現の教育に情熱をもっているのか?
それほどのものでもないんじゃないか?

書きたいことはなんだ?
ほんとは、
書きたいことなんて何もないんじゃないか?

書き進むうちに、
自分がぐらぐらして、
そのたびに、試され、練り、鍛えられる。

でも、書いていてわかるのだが、
ネガティブな自分が見えてくるのは、
まだまだ、地層の浅いところを掘っているからなのだ。

というのも、一章なり、一節なり、
書けなくて、書いては消し、書いては消し、
書いては、直しをくりかえし、
「これが自分の書きたかったことだ!」
と納得がいったときの原稿は、どのひとつも、
決して、ネガティブな動機に支えられたものでは
ないからだ。

書いて、みにくい自分が見えてきても、
そこでひるんではいけない。
そこを一気に掘り進むと、
その先に、もうひとつ次の層があって、
次の自分の正直が見えてくる。

ここ5年の書く生活で、なぜかそれを
信じられるようになった。

『伝わる・揺さぶる!文章を書く』の
最後の最後の部分は、
ほんとうに書けなかった。

草稿でトライして、書けず。
初校で書いて納得がいかず。
再校で、どうしても書けず、
三校にまわしてもらい、
とうとう三校の返しになってもまだ書けなかった。

ここの部分を書き直していると、
4〜5時間はあっという間に立つ。
時間が際限なく過ぎていく。

編集者さんに会ってもらい。
もう、今日の夕方書かなければ、
出版に間にあわない、
というところまで追いつめられた。

いまから考えれば、その最後の部分は、
1冊を通底する、私の「根本思想」でもあり、

それまでやってきた、
私の仕事の根本思想がなんであるかが、
試される部分でもあった。

夕方、ぎりぎりになって、
メールで送り、まだ、納得いかず。
編集者さんの最後の導きで、最後の最後、
思わず出て来たことばがこれだった。

「あなたには書く力がある。」

書き進める過程で、ネガティブな自分も
さんざん見たが、
そのいちばん底に、横たわっていたのは、
「人を生かす」
人のもつ、書く力を活かしたい、
という私の正直な想いだった。

自分の底の底に
そんな気持ちがあったことに驚くとともに、
まさにこれが自分、としかいいようのない、
想いと言葉のぴたっとした一致、
人生で、かつて遭遇したことのない一致に、
涙がとめようもなく出てきた。
その瞬間、ほんとうに何も恐くなかった。

メールの向こうで編集者さんも泣いていた。

「練度の高い正直」といえば、
私は、このときほど、
練度の高い正直を
言葉に表現できた瞬間はなかった。
ただそれだけで生きていけるほど、
勇気がわいた瞬間だった。

来月、40歳の誕生日を迎える秋のことだった。

本音で生きる。
そんな若者が増えている。

おとなたちが嘘ばかりついたからか、
いまの若い人は、
自分にかっこをつけず、正直でいい。
でも、なぜか、寂しそうな目をしている。

「めんどうくさい。」
「やりたいことがない。」
「だから働きたくない」
それも、正直な気持ちだ。
でも、まだそれは、
層の浅いところが叫んでいる正直さだ。

その層のすぐ下から、
そんな自分に傷つく顔がもう、のぞいて見える。

本音で生きる若者は、
正直のスタートラインに立てている。
必要なのは、そのレベルをあげるための、
具体的な訓練の道ではないだろうか?




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-03-30-WED
YAMADA
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