YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson239 会社を辞める時の自分へ

きのう、生まれて初めて教育テレビの収録に行った。

テレビの教育番組に携わることは、
ずっと言いつづけてきた私の夢だった。

つくる側でなく、出る側というのは、
まったく予想外の展開だったし、
自分のパフォーマンスは「ど素人」としか
言いようがなかったが、

それでも43歳にして夢が叶ったことを、
小さく、かわいく、きっちりと歓んでおこうと思う。

ちょうどいま、3月だから、
5年前、会社を辞めた
2000年の3月をどうしても想い出す。

38歳。
会社を辞めるか、どうするか。

悩んで悩んで、まるまる3日、一睡もできず、
おそらく体力も思考力も限界のような感じで、
先輩夫婦の家にころがりこんだ。

写真家をしているご主人が、
中国で撮ってきた写真を見たら、涙がぽろぽろ出た。

写真のことなどろくにわからない私にも、
それらは、別格に胸に響くものがあった。

いまこれを、こんなに人生に惑っていながらも、
説明も利害もなにもないところで、美しいと思う。
その思いに一点のうそもない。
その確かさに、泣けた。

それは、人とのカンケイで
相対的に揺らぐものではない、
自分の絶対価値のような気がした。

自分のそういう部分にうそはつけない。

そこに照らすと、もう、答えは出ている。
でも決めきれない。未練か、単に勇気が出ないだけか。

ちょうど先輩は夕飯のしたく
ご主人は、ご自分の部屋で写真展の準備をしていた。
台所からは、料理の音が、
ご主人の部屋からは、ご主人の好きなクラシックが
小さな音でもれてきた。

先輩ご夫婦は、おふたりとも
私が勤めていた会社を辞め、
先輩は編集者として、ご主人は写真家として
独立されていた。

ちょうどリビングに私ひとり。
お二人からもれてくる音に、身が安らいで
写真を見ながら、しずしずと
いつまでも泣いていた。

翌朝、先輩の家で目覚めたら、
体の中で「会社を辞める」ということが
もう、どうにも
もどれないカタチで決まってしまっていた。
そのことに、
自分の頭の方は追いつかずオロオロしていた。

先輩の家を出て、自分の家に帰るまでの風景は、
きのうまでとまったく違っていた。

空気圧が3倍ぐらい重くなったように、
どっと体にのしかかった。

頭の中は現実的に、
「いったい家賃をどうやって払っていくんだ?」
と考えていた。
そのときの自分には想像さえできなかった。

きのうまで、普通に呼吸し、普通に歩いていたけど、
この世の中を生きていくことは、
なんて重く、なんてむずかしいことだと思えた。

でも、あんなに悩んでいたというのに、
その目にうつった朝は、
どうしてあんなにきれいだったんだろう?
光の色や風の色、成城の並木の緑のゆらぎ、
新鮮で、体にこたえるほどきれいだった。

なにを思ったか、魚屋で、
さかなのアラを買って帰った。
それも、大きな、黒光りのするサカナの頭だった。

家へ帰ると、
台所のワゴンに、
縮んでしぼんだにんじんの端が残っていた。
残業続きの生活の中で、
いくどこうして野菜をくさらせ、
ポリ袋に捨てただろう。

そのにんじんと、魚の頭を煮て食べた。
これからはこうして生きていかなくてはいけないのだ、
という、私の覚悟のようなものだった。

それでも足りないので、家をそうじした。
それでも足りないので、雑巾をしぼって、床を磨いた。

そうして、私は私に、
辞めるということを言い聞かせていた。

自分の体の中で、
新しい道を行くという答えがもう出ているのに
自分の思考も、足取りも、腕も、
いっこうに、それを実現できる予感がしない。

「ほんとかよ?」

とまだ、自分にいいながら、週明け、
会社に行って、退職の意志を告げた。

この前後数ヶ月は、人生で唯一、
テレビを見られなくなった時期だった。
どこにチャンネルをまわしても
自分の悲鳴にこたえてくれるものはなかった。

ものごころついたころからテレビはずっと友だちで
新たな感動も、あこがれも、まず、テレビから教わった。
でも、唯一、そのときだけは、
テレビは、自分とは遠い、
幸福な人のためにつくられている気がした。

ことにドラマにいたっては、
こんな平和なものを自分は見ていたのかと
あぜんとするばかりだった。

ほぼ日の「中卒でいいんじゃない」を、
食い入るように読んでいた。

あのとき、いったいどんな絵、どんな言葉、だれが?
テレビに出てきたら、自分の心に響いただろう?

そのブラウン管の向こうに、
まさか5年後、自分が映っていようとは。

いったい、あのときの自分に、
いまから戻って、どんな言葉をかけたら、
その後の孤独な航海を、
のりきる勇気がもてたのか?

あのときも、それからも、
すごくみっともない姿を人にさらし、
グラグラしながら漕いできたような気がする。
でも、いま考えれば、ギャアギャア騒いだわりには、
漕ぐ先は、おおきく間違ってはいなかった。

5年たったいま、

会社を辞めるときの自分に、
いったい何が言えるか、考えてみた。
たったひとつ言うとしたら、

「伝えろ」

かなとおもう。
会社を辞めた私は、
「新しいことをやろう」としていたのだと思う。
それが無意識に持っていた、自由になるイメージだった。
私は、その部分でちょっと迷走した。

ものほしそうに「新しいこと」を探し歩いて
首をつっこんだ新しい領域、
そこで、ことごとく、壁にぶつかった。
そこで、ことごとく、首根っこをつかまれて、
自分がいままでやってきたことに引き戻された。

そのときの私がすべきだったのは、
「新しいこと」をするのでなく、
「新しい行き方」をすることだった。

もっとえらそうなことを言えば、
「新しい道」をつけるというのだろうか。

「それまで自分がずっとやってきたこと」、
それが大切だから会社を辞める時は悩んだのだが、
どこかであきてもいた。重くもあった。
自分でも、その価値を見失っていた。

だけどこの5年間、結果的に、私の航路を進めたものは、
「自分がずっとやってきたこと」の価値に気づくことと、
それを人に「伝える」ことだけだった。
クサイ言葉だが、思えば自由への鍵はそれだった。

だから私は、5年前の自分に言いたい。
新しい価値を探し歩くな、
自分のいままでやってきたことにこそ価値がある。
自分を信じて「伝えろ」と。

仕事を探すな、仲間を探すな、売り込むな、
自分の考え、自分の想い、自分の目指すところを、
どうにかして人に「伝えろ」、「伝えつづけろ」、と。

伝えつづけていれば、必ず思う道に出られるから、と。


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-03-16-WED
YAMADA
戻る