YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson210 となりはお客さん
        ――勉強?それとも仕事?(7)


お勉強にきた人は、
仕事しにきた人に勝てない、

就職活動のことだ。

いまから、自分の就活をおもえば、
なぜ、あの新卒のとき落ちたか、
なぜ、3年後、企業に入れたのか、
すこしは、わかるような気がする。

就職の面接官、
あれを、受験の採点官と思うから腹が立つのだ。
「受験」というのは、
「せいいっぱい勉強してきた私を見てください」だから。

「認めて、認めて、わかって、わかって」の次は、
「わかってくれない」になる。

そうじゃなくて、あれは、「お客さん」だと思えば。

大事なお客さんを、
誠心誠意、歓ばせて、
投げ銭いただいてくるくらいのつもりでいたら。

就職活動から、もう、「仕事」はじまっているのだ。

お客さんを基準にものを考えれば、
お客さんは、100%正しい。
面接官の気持ちを考えるようになる。

面接官は、どんな仕事の現場から、どんな人材を求め、
日々、どんな気持ちで面接に向かい、
何を想っているのだろうか?

そこに、ささやかでも、共感や納得、発見といった
相手の心の動きを生み出し、相手に歓んでいただく。

お客さんと思えば、
「わかってくれない」ではなく、
「ここまでしないと、お客さんは歓んでくれないのか」と、
創意や工夫もできるのではないだろうか。

「わかってくれない。」

私も、仕事をしていく中で、何度そう思ったろう。
「上司がわかってくれない」
「担当者がわかってない」

でも、「わかってくれない」というとき、
肝心な事実を見落している。

それに気づいたのは、
社会人になって10年過ぎたころだった。

企業で小論文の編集をしていたある日、
上司が会わせたい人がいるという。

当時担当していた商品開発をすすめるために、
社外の、「プロデューサー」という人を紹介してくれた。
「とにかくスゴイ人だから、
一緒に企画を立てるとスゴイものになるよ」と。

最初に、その人に会ったとき、胸が高鳴った!

いままで、社内で、四の五の説明しても、
なかなか理解してもらえなかった小論文というものを、
一発でわかってくれたからだ。

それだけでなく、実に斬新な切り口、洗練された言葉で、
小論文の地平を切り開いて見せてくれた。

言うこと、言うことが、ぴたっ!ぴたっ!と
わたしの問題意識にはまる。

「とにかく、そのプロデューサーの言うことが、
いちいち、私が想っていたことと一緒なのよー!
こんなに、おんなじことを考えている人間が
世の中にはいるんだなー!
社外の人の方が、よっぽどわかっている!」と、
会社に帰った私は、興奮して、同僚に
その人のことを絶賛しまくったのを覚えている。

おかしい。

と思いはじめたのは、3回目のミーティングからだった。
まず、私が気づいた。

結果的にその人は、
発想は散らかすけれど、それが、
いっこうに具体的なものづくりに落ちていかない、
というタイプの人だった。

地道でも10年、コツコツと実務経験を積んできた私には、
それが明白だった。

結局は、状況を、あれこれと、
実に時代にはまった、見てくれのいい言葉で、
切り取って、説明して見せるだけで、
何一つ、企画は積み上がっていなかった。

当時、業界には、
プロデューサーだの、アドバイザーだの名乗って、
実にかっこいいところで、
かっこいい発想だけ散らかすだけで、実のない、
ウサンクサイ人もいるのだと、後から先輩に笑われた。
私が、世間知らずだったから、なめられたのかもしれない。
とにかく、

さんざんかきまわされ、
ふりまわされ、期待させられたあげく、
仕事はまるまるふり出しに戻って、
どっと私のもとに、戻ってきた。
しかも期限は目前に迫っていた。

どうしよう。

一緒に企画を担当していた後輩は、
編集においては新人で、
危機感を共有しようにも、
この状況さえまだ、飲み込めていなくて、
まだ無邪気に、夢を語っていた。

管理職である上司にも
プロデューサーの発言は
いまだ頼もしくうつっているようだった。
無理もない、むこうもそれなりにプロなのだ。

助けてくれる人どころか、
いま、この危機感を共有する人さえ
自分にはいない。
追いつめられて私は考えた。

いったい自分は、どうして、
仕事の未来を、知り合ったばかりの人に
託そうとしたのだろうか?

そこに最大の誤算があるような気がした。

そこには、いま自分がやっていることを、
いまの自分のまんま、
丸ごとわかってくれる人が、どこかにいるはずだ、
という甘えがあった。

10年仕事をする中で、
さまざまな幻想ははがれていったのに、
それでも、わかってくれる人がどこかにいる、
しかも、どっか遠くにいる、
というような甘ったれた幻想が、
まだ自分の中に捨てきれずあったのだな、と。
いまさら気づいてひどく自分を嫌悪した。

会社という組織にいても、
ささやかでも10年、同じ仕事をやっていれば、
それなりにプロの視点は育つ。それは独自のものだ。
自分が、10年かけて、コツコツと経験し、
やっとつかみ、育ててきたものを、
その背景に根ざしてこその、問題意識、志を、
自分と同じありようで抱き、
大事に想っている人がいるなんて、ありえない。

自分は独りなんだ。

そのとき、ようやくはっきりと
ありありと、受け止めることができた。

この企画は自分が立てる、と強く想った。

予算も時間もなかったが、そこから一息に立てた企画は
結果的に大成功だった。

孤独が呼び出した、最後の幻想が打ち砕かれたことで、
私は、そのころから、仲間も増え、
社内や社外のいろんな人と協力して、
一緒にものをつくりあげていくことがうまくなったと思う。

「となりの人は、最大の顧客である」ということを
会社にいたとき、よく聞かされた。

社内認知をとることの大切さとか、
となりの席の同僚にさえ
通じないものが社外に通じるか、とか、
そんな意味だと思っていたけれど、
そこに、もっと厳しい意味があるのを知った。

上司や同僚、仕事仲間は、親でもなければ、友人でもない。
家族でないことぐらい、だれでも知っているが、

一歩進んで、仕事で関わる人は、すべてお客さんなのだ。

たとえ、気心の知れた仕事仲間、上司や後輩と言えども、
その関係性を考え抜き、彼らが何を求めているか、
そこに、自分のやっていることをどう伝え、
どう共感を生んでいくか、工夫しつづけていく必要がある。

これは、なあなあわかってもらえるという甘えを取り去り、
「自分は独りなんだ」と完全に受け入れることだ。

それは、一瞬、寂しいことのように感じる。
でも、決してそうではない。
そこには、他者との間に、仕事を通してこそ結べる、
ダイナミックな信頼の絆が待っているのだから。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-08-11-WED

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