YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson191 選択

就職活動の学生さんを応援するコラムを書いたとき、
編集者さんに、彼らはどんな様子かたずねた。
すぐさま、こんな答えが返ってきた。

「とにかく、疲れている。」

学生さんたちは、
ともかく会社の資料だけでも取り寄せておこうと、
100社、200社と、資料請求する。
送られてきた山のような資料を前に、
また、疲れてしまうのだと。
それを聞いて、ある高校の先生の言葉を思い出した。

「選択肢は増えたけど、選ぶ自分はいるのかい?」

いま、就職に関する情報も、カタログも充実している。
就職の「選択肢」は増えた。

では、「選択の自由」は広がったか?

豊富な選択肢を「選ぶ自分」は育っているのか?
いや、それ以前に、
多すぎる選択肢、情報にふりまわされ、
「どこに目をつけて、
 どう選んだらいいか、だれか教えてくれ!」
と叫びたくなる人も多いんじゃないだろうか。

それでたとえば、「就職の本」だけでなく、
「いい就職の本を選ぶための指南書」の類いが求められる。

就職に限らず、旅行するにも、学校に通うにも、
「多すぎて選べないほど充実したカタログ」と、
「それを撰ぶための指南書」、
この二つがまえで、私たちは問題に向かっていることが多い。

「選ぶ自分はいるのか?」

そう問われて、ドギマギしない人は少ない。私もそうだ。
そういうとき、
「自分がやりたいこと」をしっかり持っていれば、
情報の洪水に振り回されず、
カタログもうまく選べて、後悔は無い、かのように思える。

だけど、どうしてだろうか?

私が、フリーランスになって、
自分ひとりで、なんとか、この社会に居場所をつくり、
自分で生きていかなきゃいけないというときに、
さまざまな仕事の選択をしてきた基準は、どうも、
「私がやりたいこと」
というようなニュアンスでは表せない。

なんか、もっと必死の、生きていくことなのだ。

いま、思えば、はじめのころ、
どうしてあんなに、一つの仕事を受ける、受けないで
悩んだのかと思う。

仕事があまりないとき、やっと飛び込んできた仕事さえ、
それでも、断ったことがあった。
「一度仕事を断ると、次はこないよ」と先輩から言われ、
断った日は、不安になって、
しかたがないのに家族に電話したりした。

まだ、フリーランスを生きてみたことがなかった私には、
肩書きも、実績もなく、それゆえ、
「自分は何者か?」輪郭そのものが曖昧で、
それは、ちょっとしたことで縮んでしまう。

だから、やった仕事が、そのまま自分になってしまう。
やった仕事に自分を、規定されてしまいそうで、恐かった。

そうやって、ひとつひとつの仕事を独り、ギリギリの、
祈るような気持ちで選択してきた。

そういう孤独感を、
ふと、もといた会社の同僚にもらしたとき、
「山田さんが、
 やってて楽しいかどうかで選べばいいのよ。」
と、あっけらかんと言われ、呆然とした。

そう言えば、私も、
そういうことを自分にも、他人にも、
臆面もなく言えた、ころがあった。
いまは、そこから、あまりにも遠く、
あまりにも緊張感のあるところに流されてしまって、
もう、その感覚が共有できない。

フリーランスとして丸4年が立ち、
経験も追いついてきて、依頼も増えた。
でも、そのことで、新たな迷いも生じるようになった。

「選択肢は増えたけど、選ぶ自分はいるのか?」

少し前まで、私もそれをつきつけられていた。
次の本の依頼を12社からいただいた。
私は、本は、想いと時間をこめたい。全力投球したい。
だから、多作はではないし、
何冊か、並行して書くこともできない。
選択しなければいけない。

何を基準に、どう選ぶのか?

「会社」「人」「テーマ」というキーが浮かんだ。
出版社で選ぶのか?
それよりは、編集者さんではないか、と思った。
出版界は、人の動きがはやく、
編集者さんも、会社を辞めたり
他の出版社に移ったりと、めまぐるしい。

では、「人」はどうやって選ぶのか?

編集者さんは、一人一人かけがえない。
どの人が、一番実績があるかとか、
どの人が、段取りがうまいとか、部分、部分は
それは比べる気になったら、比べられるかもしれない。
でも、総合力として、人からどんなものが引き出せるか、
というようなことは、比べることなんかできない。
ともに仕事をしてみるまでわからないものだ。

では、「テーマ」か?

私がまさに「いま、書きたいテーマ」がその中にあった。
ところが、どうしてだろう、もう1つ踏み切れない。

相談できる先輩がほしいと思った。
出版界に詳しい、フリーランスの経験も長い、
そういう人に、アドバイスをしてもらえたら、
いい選択ができるんじゃないか、とまず考えた。

でも、相談もまた、選択肢を増やすことではないか?
相談を受け止め、そこから、「選ぶ自分」はあるのかい?

ちょうどそのころ、外に出て、講師をする機会に恵まれた。
大学と、雑誌『編集会議』の主催する
プロライターへの講義と。
毎週毎週、講義をした。

プロライターへの講義は、本当に感動的だった。
とにかく、生徒はプロで、「言葉の力」が素晴らしい。
どんな課題をふっても、相当難しい課題をふっても、
意図は充分満たした上で、そのままじゃ面白くないと、
人を楽しませるパフォーマンスにまでしあげてくる。

人が、言葉を磨き、自分の想いを自在に表現できる、
自由とはこういうことだと、生徒に見せつけられた。

一方で、いまの大学生も、
内面にとても良いものをもっていると思った。
自分の頭で考えることや、自分の想いを表現することに
とても真摯で、粘りもある。

それなのに、考える・書く・話すという、
ごくごく初歩的なコミュニケーション技術に躓いている。

ちゃんと機会を与えられ、トレーニングすれば
ちゃんとできるようになる学生たちが、
多くは、その機会さえ与えられず、
自己表現において、
不自由な状態におかれてしまっているのだ。
そこに憤りを覚えるとともに、
コミュニケーション技術のごく基礎的な躓きが、
就職にもダメージを与えていることに、
強い危機感を感じた。

講義が終わるころには、
私の中から、いっさいの迷いは消えていて、
この、若い人たちに向けた本を書くんだ、
と強く想っていた。

それは、「私がやりたいことをやる」というのとも違うし、
「やるべき」というような義務感とも違う、
「私はそれをやるんだ」
という事実が、疑いようなくそこにあった。

結局私は、出版社、それよりは編集者、
それよりはテーマ、
それよりは「読者」を優先して、今回の選択をしていた。
その選択が、正しいか、正しくないかではなく、
読者に引き出され導かれして、今日まで生きてきた、
自分にふさわしいと、納得感があった。

「選ぶ自分」はいるのか?

と問われたとき、いる、とも、いない、とも言える。
今回、自分の中を独りであれこれと掘っても、
いい選択はできなかったと思う。
どんなスーパーな先輩に相談できたとしても、
どんな指南書を読んでも、
今回のような選択はできなかった。

具体的に動いて、
人や世の中と関わってこそ、引き出された選択だった。

「選ぶ自分」はいるのか?

というときに、私が、仕事人生の中で、
「読者」と出会えていたことが大きいと思う。
メーカーの人にとっての「お客さん」、
お医者さんにとっての、「患者さん」のような
「他者」(=自分の仕事を待つ人=あなた)
が見つかっている人は強い。

私は、自分にとっての
「読者」(=あなた)を自覚するまで、
仕事をはじめてから10年くらいかかった。
それまで、悩みや迷いは多かったが、
そのことで、より自由になれた。
「他者」が見つかっていなかったら、
私は、仕事をしていて、とてもつまらないと思う。

私は今回、上手な選択をすることより、
「選ぶ自分」を知りたかったのだと思う。

本当に選ばなくてはいけないものは、
選択肢の中に並んでいるのだろうか?

最後に、前回の自己実現難民に寄せられた、
一通のメールを紹介したい。

<選択>

28歳の会社員です。
6年前の私は、まさに、先日の小論文に書かれてあった
「就職そのものをやめる若者」でした。

大学4年の時に、就職というものに疑問を感じ、
活動自体を辞めてしまい、
結局無職のまま卒業したのですが、
そのことを25歳くらいになってとても後悔しました。

一旦、卒業した後での就職活動、転職活動というものは
とても難しいものです。

大学を卒業した後の私は、
様々なアルバイトや派遣の仕事をしました。
でも結局、そこで「自分は何がしたいのか? 
何がむいているのか? やりたいことって何なのか?」
ということの答えは見つかりませんでした。

そして感じたことは、
そもそもそういう事って、働いてもいないうちから、
見つかるものだろうか?
ということでした。

私は4月から、
小学校の教師として働くことが決まっています。
大学を卒業した後に、資格をとり、
たまたま受けた採用試験に運良く受かったのです。
もちろん、不安はあります。
また、この仕事が自分に向いているのか? 
などと考えると、その答えは
はっきりとは、出ないと思います。

それに小学校の教師が「やりたいこと」なのかといえば、
それは果たしてどうでしょうか。
小学校の教師を自己実現のために選んだ
というわけではありません。
私がこの道を選択するまで
様々な偶然が重なっているだけで、
昔から教師になりたいと思っていたわけではありません。

大学時代所属していたゼミの教授に会う機会があり、
そこで教授の教え子が働きながら
小学校の教師の免許を取った、
というほんのささいな会話から、
興味を持ったのがきっかけでした。
そして勉強をし始めたうちに
いつしか、教師への思いが出てきたのです。
ほんの数年前まで、そして大学時代の私には
思ってもいない選択です。

社会に出て、働くことで様々なことが見えてきます。
人と接する事で気づくこと、失敗した経験から学ぶこと、
顔が赤くなるほど恥ずかしい思いをしたこと、
働き出してからの日々は、
それの繰り返しだったような気がします。

忙しい日々の中で、社会の現実と対面し、
自分の思い描いていたものとは全く違う生活だなと
考えたこともありました。
自己嫌悪に陥った事も。

それでも今、振り返ってみれば、22歳の時に、
就職活動は辞めたけれど、
アルバイトでも何でも社会に出て働いてよかった、
あそこで閉じこんだままでなくて
よかったと思うこともあります。

そこから見えてきたものがたくさんあったからです。
机上で考えていただけでは、
絶対に学ぶことができなかった事です。

社会に出てからのこの6年間、色々な事を知りました。
そしてこの年齢になって、どうにか
「自分がやってみよう」という職業に辿り着けた。

しかし、この職が自分にとって本当に向いているのか、
自分がどこまでやれるのかはわかりません。

これから先、新しい職場でまた、
自己嫌悪に陥ったり、つらい事もあるでしょう。
しかし、それを乗り越えていけば、
次に見えてくるものもあると思っています。

将来に対して不安を抱いている人や迷っている人も、
現実から止まったりしないで、あるいは、
自分の理想と違うからといって辞めたりしないで、
とりあえずは進んでいってほしいと思います。
社会に出てみて、現実の辛さを知り、
「このままでは駄目だ」と気づくことはとても大事です。

もっと他の道はないか、という迷いが出た時に、
真剣に悩めばいいのだと思います。

私も4月から、不安と期待が混じり合いながら、
また違う職場で新たなスタートを切ります。
がんばっていきたいと思います。
             (読者Kさんからのメール)

2004-03-31-WED

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