YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson160 わたしの中の森


こう見えても、気が小さい。

「あの人に、ちょっと会いたいなあ!」と思っても、
妙に気をつかってしまう。

忙しいんじゃないか、とか。
忙しいなか、わざわざ会ってもらって、で、
わたし、何かいいものを相手に提供できるの? とか。
やっぱり、断られたらさみしいし。

そんなことを一通り、ぐじぐじ考える。

「山田さんみたいに、物怖じしない人はいいよなあ!」
と、人からは、よく言われる。
忙しい人だろうと、恐い人だろうと、
私が、アポイントをとって、どんどん取材に行くからだ。
目的があれば、驚くほど、積極的に人に会いに行ける。

ところが、なんの目的もなく
「ちょっと会いたいんだけど……」
みたいなことが言えない。

で、何かに、かこつけて、会ってもらうのだ。
相手が好きそうな、映画とか、コンサートとか、
相手と共通の仲間を呼んで集まったり。
それなら相手も、忙しい時間を割いてきて損した、
なんて想うこともなかろうと。

ちょっとだけ目的をねつ造するのだ。

それでも、会って話しているうちに、
やっぱり、目的なんかなかったな、
わたしは、やっぱり、いま、
ただ、この人に会いたかったんだ、と思う。

先日、友人とメールで、ちょっとしたいさかいをした。
メールがゆえの誤解で、
そのこと自体は、ちゃんと解決できる、
ちいさなことだったのだけど、

いつもより、ちょっとだけ語尾が攻撃的になっている
自分が気になったのだ。最近私は、ずいぶん、
人に対して「優しいモード」だったから、
何でだろうなあ、と。

よくよく思い返したら、昨年暮れあたりから、わたしは、
無性に、その友人に会いたかったことを思い出した。

ただ、わけもなく会いたかったのだが、

あっちが忙しかったり、こっちが忙しかったり、
会う時には、かならず他の仲間がいたり。
そんな状態が、ずっと続いて、なんとなく
タイミングをはずしてしまった。

だって、別に用事はないのだ。
忙しいとこ、無理にあってもらう口実もなく、
そんな気も起きず、自分から努力もせず。
数ヶ月間、
会いたい気持ちをだましだまし、しているうちに、
やがておさまり、どんなふうに会いたかったか、
何を話したかったか、感覚さえも忘れていった。

ところが、どうやら、そのことが、
無意識のストレスになっていたようなのだ。

しかし、何の用もなく、
友だちに会えなかったぐらいのこと、
なんで、ストレスになっているのか、
自分でもよくわからなかった。

先日、平田オリザさんの『演劇入門』を読んでいるとき、
この言葉に、くいっと胸をつかまれた。

「伝えたいことなど何もない。
 でも表現したいことは山ほどある」

これだ! と想った。

それは、ベルリンの壁がくずれ
いまの演劇には、伝えるべきテーマ、つまり、
主義主張や思想、価値観など、何もないのだということ。

でも、個人の内側には、
自分の内面にある混沌とした想いに、
何らかの形を与えて、外に表したいという衝動が、
とめどなくあふれ出ているのだと。
「私に見えている世界」、「私に聞こえている世界」を、
ちゃぷっとつかまえて、
ありのままに外界に向けて示したい。
それをありのままに記述するのが、
いまの演劇だということが書かれていた。
そういう要求なら、演劇をやらない私にも、
常にあると想った。

つまり、自分の内面にあるもやもやに形を与えたい。

わたしは、想い違いをしていたことに気がついた。
目的があって人に会いたい時よりも、
なにも目的がなくて人に会いたい時のほうが、
深刻なのだ。

それは、自分の中のもやもやに形を与え、
外に表出したいという
衝動がつきあげているときだからだ。

会う人によって、自分の中から引き出されるものはちがう。
わけもなく、ある人に、会いたいとき、
たぶん、そのとき、
自分が見ている世界、自分に聴こえている世界を、
ありのままに語れるのは、その人しかいないからだ。

別の人に会えば、また、もやもやの「別の側面」が、
引き出されるだろうが、
その人に語ろうとした世界は、封印しなければならない。
まるで心の中に、「あかずの間」ができるように。
それが、ストレスとして残っても不思議はないと想った。

会いたい人には、会いたい時、会わなきゃダメだ。

別に用事はないけど……という人の想い、
自分の想いに、もっともっと敬意を払わなければと思った。

出会う人によって、形を与えられる自分の森、
そして、たわいのない会話にこそ、
相手の中の森が、かいま観えるのだろう。




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2003-08-13-WED
YAMADA
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