YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson130 SKILLとWILL


東大生の主催する座談会にいったときのことだ。

キョーレツな一人のおじさんのために、
私たちの班は、ぜんぜん本題に入れなかった。

あのおじさんは何をしに来たのか? 今もわからない。

とにかく、学生たちに、
東大出身者であることが、いかに社会に出て厚遇されるか、
息子が東大に入っただけで、親が昇進した話とか、
そういう学歴がないことで自分がいかに冷遇されたかとか、
とうとうと話すのだ。

でも、その現実は、
私が見てきた現実とはすごく違うものだった。

少なくとも、私がもといた企業では、
実力競争主義、その点ではとても平等で、
出身大学で何か決まるなんてありえなかった。
学歴でなく、結果が厳しく問われ、
望まれた結果をだせなければ、
高学歴だろうが、何だろうが、ポジションは交替だ。

東大といえば、
四の五の説明しなくても信頼してくれる人間は多いから、
コミュニケーションの入り口は
ショートカットできることがある。
それは、便利なことだ。
でも、その先は、実力がないとどうにもならないのだ、
というようなことを、私は言った。

間にはさまれた格好になった学生さんたちは、
自分たちの位置付けが、
ほんとのところ社会に出てどうなのか
まだ、働いて試してない。
経験を振りかざす大人2人に対して、経験がないから、
何か言いたくても、何も言えないという感じだった。
その中の一人の学生さんが、私に、

「よく、スキルが問題にされますが、
 ぼくは、ウィルも見てほしいと思います。」
とだけ、しずかに言った。

SKILL と WILL

このとき聴いた、
“WILL” という言葉の響きがとてもきれいで、
新鮮な印象だった。
以来、私はずっと、このとき受けた
「スキルとウィル」の印象を、
わかりやすく説明できるものはないかな、と探していた。

「スキル」は、会社ではよく使う。
「わたしのスキルが活かせる仕事だ」とは、
「わたしが経験でつちかってきた腕と技が活かせる仕事だ」
ほどの意味になる。
SKILL = 熟練、技量、腕、(特殊な)技術、技能

じゃ、“WILL”は?

暮れにテレビを見ていたら、うってつけの例があって、
うれしくなった。知っている人も多いだろう。
アルピニストの野口健さんが、
亜細亜大の一芸入試を受けたときの話だ。

受験生が次々と、自分の「一芸」をアピールする。
「私は、インターハイで優勝しました!」
「私は、国際コンクールで優秀賞を受賞しました!」

やっぱり「一芸」で大学に受かろうとするだけあって、
輝かしい経歴の持ち主がそろっている。

野口さんは、はじめ、びびった。
このとき、まだ2つ大きな山を
ようやっと登った、というだけで、
登山家として誇れるような実績も技量も、なにもなかった。
「こんなすごい受験生の中で、
 自分は何を言えばいいのか?」

ところが、えんえん、
輝かしい「一芸アピール」を聴かされているうち
うんざりしてきた。

「これは自慢だな。」

みんな過去の輝かしい実績を自慢しているだけだ。
過去がすごいからどうなんだ。
自慢もえんえんと聞かされると、お腹いっぱいになってくる。
「試験官は?」と見ると、
やっぱり、自慢にあきている。

野口さんの番が来た。
野口さんは、「これまで」でなく、
「これから」のことを書いた。
自分が大学に入れたらこうなる、と。

1992年 9月 オーストラリア、コジアスコ登頂
1992年12月 南アメリカ、アコンカグア登頂
1993年 6月 北アメリカ、マッキンリー登頂
1994年12月 南極、ウィンソンマッシーブ登頂
1996年 1月 ロシア、エルブルース登頂……

実績がないから、それしかしようがなかったのもあるけど、
明らかに、他の受験生とはちがうプレゼンに、
試験官もくいついた!

野口さんは、見事合格!
その予告どおり、
亜細亜大入学後に、
史上最年少で7大陸の最高峰を制覇した。

野口さんの話だと、このとき「自慢」組は試験に落ちた。
試験官は、受験生たちの輝かしいSKILLではなく、
野口さんのWILLに賭けた。

これぞ、まさに“WILL” !

野口さんは高校まで、
勉強はすごい落ちこぼれだったと言ったが、
私は、野口さんの頭のよさにまいってしまった。
小論文という視点から見ても、
すばらしいプレゼンだ。

まず、他の受験生の「根本思想」を、
「自慢」と適確に押さえている。
見事なひと言要約だ。「要約おかん」だ。

そして、試験官に対する印象を変えるには、
「根本思想」を変えなければいけないことに気づいている。
まったくそのとおりなのだ。

どんな言い方をしようと、自慢は自慢。
聞き手の印象をガラリと変えるためには、
話の内容とか、言い方くらいを変えてもだめで、
「根本思想」を変えなければならない。

「根本思想」、つまり、話し手の根っこにある想いは、
どんな言い方をしても、色濃く聞き手に伝わってしまう。
「根本思想」は言葉の製造元だ。
ここにメスを入れることで、聞き手に与える印象は、
ガラリと変わる。

「ぼくの“WILL”を買ってください。」

これが、「僕の夢を聞いてください」
ではなかったところがミソだ。
いかにでっかい夢を語ったとしても、
単なる夢物語として受け取られたら、
説得力がない。

「ぼくの夢は、7大陸の最高峰を制覇することです。」
「へぇー、すごいね。」で終わってしまう。

野口さんのプレゼンには、
夢 と “WILL” を分けたポイントがある。
それは、「時間」を刻んだことだ。

時間の「決め」はおっくうだ。

たとえば、時間を入れなければ
私たちはわりと自由に願望を語れる。
「わたし、絶対自分史を出すわ!」
「両親をヨーロッパに連れていくぞ!」

では、それに日付を入れてください、というと、
大抵の人は無口になる。

企業にいたとき、
「事業計画とは、夢に日付を刻むことだ」
と教えられた。
最初はこの意味がわからなかったが、
自分で企画を立てる段になって、
アイデアをスケジュールに落としていくところで
本当に苦悩した。そのかわり、日程が組みあがっただけで、
ほぼ、仕事の全容が見えた気がした。

日時の決定がおっくうなのも、
日程が見えれば全体が見えるのも、
それだけ、時間の決定には、
さまざまな要素が絡んでくるからだ。
さまざまの小さな「決め」をしないと、
適切な時間の「決め」ができない。

また、人生の中で、時間という資源は限られている。
時間は、まるで命の単位だ。
だから「決め」には勇気がいる。

だからこそ、時間を刻んだ
野口さんの “WILL” は、
どんな人にもわかりやすく、ブレがなく、説得力がある。

私もひとつだけ、夢に日付を刻むとしよう。
わたしの“WILL”。

あの座談会の席で、
学生さんは、こう言いたかったのではないだろうか?
「学歴があるからどうの、まだ経験がないからどうの、
実力があるかどうか、なんて、そんなの知ったこっちゃあないよ。
自分が未来に何をしたいか、
何ができるかを見てくれ」と。

2003年、あなたの“WILL”は?


(注:上記、野口さんのが入試のとき書いたという登頂年月の資料は、
 野口さんの談話をもとに山田が再構成したもので、実際のものとは違います。)






『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2003-01-15-WED

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