YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson127
考える方法をならったことがありますか?
――(3)「問い」が立つ頭になる


暗記学力と、
自分で考える頭って、
なにがいちばん違うの?
と聞かれたら、私は迷わず、

まず、「問い」が立つかどうかだ。

と答えます。
あなたは、「問い」が立つかどうか?
ためしに、あとでカンタンなテストをやってみるのもいいです。

用意するのは、紙、ペン、時計です。
お題は、そうですね……たとえば、「携帯電話」にしましょうか。

紙の真ん中に、「携帯電話」と書いて丸でかこみます。
3分計って、
携帯電話について、思いつく限りの「問い」を、
書き出してみてください。

いくつ書き出せますか?

わたしも、いま、やってみましたが、
「携帯電話で、恋愛はどう変わったか?」
「携帯をいつまでも持たない人の共通点は?」
「携帯電話は、忍耐力に影響するのか?」
という具合に、正直に、10個書けました。

研修で、社会人にこれをやってもらうと、
個人差が激しいです。

多い人で、20個、これはめったにいません。
聞いてみると、その人は趣味で文章を書いている人でした。

3〜7個という人が多いです。
ところが、

1個も問いが出せない、という人がいるのです。

その人は、もちろん講義も受け、
何度か練習もするのですが、
「問い」が立たない。

仲間からもさんざんアドバイスされて、
やっとのことで、その人が書いたのは、
たとえば、
「電車の中でケータイってうるさいんじゃないの?」
というように、「意見」の語尾を疑問形にしただけのものでした。
でもこれは、もう自分の中で結論が出てしまっている。
これは「問い」ではありません。

つまり、その時の、その人には、
そのテーマについて、
わからないから知りたい不思議、
解きたい謎、
「おや?」「ヘンだ?」と思う疑問が、
わき起こってこなかったということです。

問いが立たないというのは、
思考停止に近い状態です。
生徒の小論文でも、
まったく「問い」が立たない症状の子がいます。

「問い」が立たない子が
無理やり文章を書け、つまり、「自分の頭で考えろ」
と言われて、つい、やってしまうのが、
わたしが「悪魔の小論法」と読んでいる論法です。

「あることの大切さを言うために、
極端に悪い例を引っぱってきて裁く」

たとえば、「命について20枚の論文を書け」と言われ、
問いが立たぬ頭では、とうてい字数が持ちません。
それで、命の大切さを言うために、
凶悪殺人とか、自殺とか、
わざわざ、極端に悪い例を、
自分であれこれと引っぱってきては、
裁いたり、怒ったりする。
動機があって本気で凶悪殺人を考えたい人とは違うのです。
この子たちにとって、殺人はどこか遠い。

悪魔だって、呼び出さない人の前には、
そうそうカンタンにあらわれません。
それをわざわざ遠くに探しにいくから、「悪魔の小論法」。

「命」とお題を与えられて、「凶悪殺人」を持ち出せば、
だれもが「悪い」と意見を言える。
でもそれは、わざわざ、自分が言わなければならないことか?

それよりも、自分が生きてきた中で発見した
ささやかな命の価値を考える方が、
何倍も難しいのです。

「悪魔の小論法」をとる子は、問いが立たないので、
自分がぜひ「考えたい」ことと、
テレビなどで見た「刺激が強いこと」との
区別がつかないような気がします。

レポート提出を求められると、
インターネットの他人のホームページを
コピーアンドペーストして、
自分の意見としてだしてしまう人がいる。
こういうケースに出くわすと、
自分の潜在力をドブに捨てたな、と思います。

悪魔をわざわざ探しにいくのも、
「出前」を取るように、人の意見で間に合わすのも、
自分という「考える畑」が、
やせて枯れてしまっているからです。
カイワレ大根1本はやすことができない、
いや、雑草さえもはえなくなったら、
何より、生きていて、おもしろくないなあ、と思いませんか。

あるテーマで論文を書く、
あるテーマで考えごとをする、というからには、
借り物ではない、
自分の「考える畑」でつくった、
自分の「意見」を出す以外にありません。
たとえ、それが、やせてゆがんだきゅうりだろうが、
なりそこないのペンペン草だろうが。

考える、最初のハードルは、
自分の「問い」が立つかどうかです。

独創的で、読み手に訴える論文には、
必ず、その人オリジナルの「問い」が立っています。
「命」について書け、と言われても、
考える力がある子は、
そのままバクゼンと書き出したりはしません。

たとえば、
「人と人との関係がどうであれば、
自分や他人の命が重いと感じられるのだろうか?」
というように、自分の「問い」を絞り込んで書き始めます。
論文では、文章全体を貫く問題意識を「論点」と言います。

自然に自分の「論点」が立つ人は、
まず最初のハードルはクリアです。
そうでない人は、以下のトレーニングをすると、
「問い」が立つようになります。

トレーニング方法は二つ。
自分で「問い」を書き出すワークをすることと、
達人の面白い文章から「論点」を抽出する演習をすることです。

ここでは、
「問い」を書き出すワークについて説明しましょう。

冒頭でやったように、
与えられたテーマや、考えねばならない問題を、
紙の真ん中に書いて、
3分で、書き出せるだけ「問い」を書き出すのです。
グループでやって、まわし読み、
ディスカッションなどするとさらに効果的です。

もう一つの方法は、
これも原始的な方法ですが、
テーマについて、
とにもかくにも100個、「問い」をつくってみることです。
いいかげんに言っているのではありません。

数は質を凌駕(りょうが)するからです。

たとえば、「携帯電話」について、
なれない人が、
100個の「問い」を書き出すのは苦しいです。
それで、

「高校生の何割が携帯をもっているか?」
「中学生の何割が携帯をもっているか?」
「高齢者の何割が携帯をもっているか?」

というように、最初は、
おなじ視点から、目先をちょっと変えただけの問いで
数をかせごうとします。
上の問いは、どれも、普及率という同じ視点からの問いです。

ところが、このやり方、せいぜい30個もやると、
ネタがつきてしまいます。
そこから先はどうしても、
視点そのものを変えざるをえなくなる。

今度は、たとえば、
「携帯が出てきて、コミュニケーションはどう変わったか?」
「携帯が出てきて、時間の感覚はどう変わったか?」
「携帯が出てきて、行動範囲は広がったか?」
というような、視点のちがう「問い」が立ちはじめます。
おわかりのように、上の3つは、
携帯電話がない時代と、
ある時代の比較という視点からのものです。

このように、無理やり数を出すことは、
視点そのものを、広げる力があります。
また、頭が、だんだん、「問い」を探すように
切り替わり、慣れていきます。

それでも100個、出すのは大変ですから、
学校でならった「5W1H」なんていうのも、
使ってみます。

WHEN   携帯のありがたみを一番感じるのはいつ?
WHERE  携帯がいちばん使われている都道府県はどこ?
WHAT   携帯コミュニケーションのいちばんの問題は何?
WHO    携帯が最も必要なのは、だれ?
WHY    人はなぜ、携帯を持つのか?
HOW    高齢者は携帯をどんなふうに使っているか?

「5W1H」だけでも、すくなくとも6個は問いがつくれます。

これでも行きづまったら、
今度は、「歴史軸」に視野を広げて見ることです。

携帯の歴史は? いつ生まれ、どのように発展してきたか?
5年後には携帯のコミュニケーションはどうなっているか?
10年後には、電話はどうなっていてほしいか?

というように、歴史背景をたどってみたり、
過去から現在、そして未来へと、
流れる時間軸に、「問い」を立てていくのです。

これでも行きづまったら、
今度は、「世界軸」に視野を広げて見ることです。

携帯が最も普及していない国はどこか?
日本と、ヨーロッパの高校生の携帯のつかい方は違うか?
メールのような安さ手軽さで、世界中と携帯電話で話せる
ようになったら、何がいちばん変わるか?

自分の身のまわりから、しだいに社会に目を広げ、
日本とはギャップのある地域や国々へ、そして、
思いきって世界へと、目を広げ、「問い」を立ててみます。
「問い」は一気にひろがりを見せはじめます。

そして、どんな人でも、たくさん問いが出せるのは、
「自分の軸」です。
いままで生きてきた自分、今、そしてこれからの自分に
「問い」を立ててみる。

自分は、なぜ携帯を持った(持たなかった)のか?
自分の携帯にまつわる体験で、もっとも印象深いことは?
携帯を持つことで、自分は何か変わったか?

こんなふうにして100個、問いを出していく。
苦しいところを過ぎると
発見があったり、面白くなってくる人も多いと思います。

考える力のスタートは「問題発見力」です。
つまり、「問い」が立つ、
ふつふつと立つ、ことが出発点。

さらに、問いが多方面から立つようになると、
視野は広がりはじめます。
例えば、自分軸・歴史軸・世界軸のように。
多方面から問いが立つ、これを「多角的考察力」と言います。

さらに、問いと問いを筋道立てて配列できるようになると、
思考はダイナミックに発展していきます。
これを「論理的思考力」と言います。

さて、書き出した100の問い、
これが、書くにしても、自分でテーマを考えるにしても、
あなたの「論点」の候補です。

この中から1つを選びましょう。
つまり99を捨てるということです。
「論点」は、仮でもいい、途中で修正してもいいから、
この時点で1つに決めましょう。

生徒の文章を読んでいると、
この「論点」の選択で失敗している子が少なからずいます。
数ある「問い」の中から、
何を基準に、「自分の問い」をひとつ選び取るか?

次週は、このシリーズの完結編として、
問いの「選び方」、そして「配列のしかた」を
お話しようと思います。

(つづく)




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-12-18-WED

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