YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson125
考える方法をならったことがありますか?(1)



先日、高校生の文章を読んでいたときのことです。

読んでいくうちに、
「あれ、みんな同じ???」と思いました。
同じ文章が、2件、3件…と続くのです。

「いまの日本について」がテーマだと仮定すると、
いわゆる「いまどきの話題」をいくつも採り上げます。

たとえば、北朝鮮拉致問題、リストラ、
凶悪犯罪、児童虐待、自殺者の増加……などなど。

まず、その1つを採り上げては、
かいつまんで説明する。
たとえば、「いま自殺者は3万人を超え、
交通事故になる確率より、自殺する確率の方が……」
という具合です。
説明がおわると、あまり考えずに、
短いコメントで「オチ」をつけます。たとえば、
「彼らは命の重さを
 いったいなんだと思っているのでしょう?」
というような非常に一般的な、
「けしからん」という目線からのコメントです。

そして、「オチ」をつけると、
「それはそれ」として、
さっ、と次の話題に移ってしまいます。
前の話題と、次の話題の脈絡はありません。

次は、児童虐待を採り上げ、同じように、
「子どもの命をいったいなんだと思っているのでしょう?」
で、かたづける。そのコメントは、
「おさばき奉行」といった感じの高い目線からのものです。
(ほんとうに高校生? 
おじさんかおばさんみたい、と思いました。)
そして、また、次の話題へ移ってしまう。
字数がうまるまで、この繰り返しです。

この文章パターンが、目をうたがうほどのそっくりさで
次から、次へと出てきます。次の子も、また次の子も……、
10件、同じ文章が出て来たところで、
「もしかして、ある特定の先生が、
 あやまった指導をした結果、
 その高校の子がみんな同じ文章になったのでは?」
と私は考え、確認しましたが、
高校も県もばらばらです。
その文章は全国各地から応募されたものです。
顔も住む所も違う生徒が、同じ文章を書いているのです。

20件…、わたしはうんざりしてきました。
30件…、えたいがしれない塞がれた気持ちになりました。
40件…、私は、恐くなってきました。

この展開、このリズム、何かに似ている、
と思ったら、ワイドショーそのものだったのです。

ワイドショーは、
テーマを独自の切り口で紹介します。
そこで、出演者がいちいち深く悩んだり、考えたりしては
見ている方が困るから、
プロのコメンテーターが短いコメントで
バッサリとその問題を斬ります。プロだからできるのです。
限られた放送時間、
急いで次の話題へ移ります。そして次から、次へ、
番組づくりとして、
これは視聴者を考えてのこと。
ワイドショーが悪いわけではありません。

問題は、多くの高校生が、
ほとんど無意識に、この思考パタ―ンを
刷り込ませていたことです。
意見の受け売りではない、思考展開をです。

はじめから、ある方向から問題を見てしまう。
充分な分析や葛藤なく、
短いコメントでオチをつける。それも高い目線でバッサリと。
粘らず、深くつっこまず、脈絡なく、
さっさと次の話題へ移る。

しかも、この子たちは、
自分が、実は思考停止で、
思考パターンから、意見まで、
一般論や、マスメディアにのっとられているとは、
夢にも思っていません。
同じ文章が何十件と存在すると知ったら驚くでしょう。
自分の考えだと思って書いているのです。
自分はわりと社会のことに関心があると思い、
不正に対して本気で怒っています。

「仮面思考停止」という言葉が浮かびました。

思考停止とは、その名のとおり
「わたしは、このテーマについて
なにも意見がでてこない。
よくしらないし、どう考えていいかもわからない。」
という状態です。
本人がそれを自覚していればいいのです。

ところが、意見を求められて、
考える方法をもたない自分に気づくとか、
空っぽの自分を認める、というのは、
本当に勇気がいることです。

そういうとき私たちがついやってしまいがちなのは、
雑誌や、テレビや、ネットなど
どこかで、だれかが言っていた意見から、
自分に近そうなものをちょっと拝借してきて、
間に合わせるという方法です。
数日立つと、借りたことも忘れ、
自分の意見になっています。
しかし、それは、考えることとは180度違う行為です。

今回、そっくりな文章を書いてきた生徒たちも、
自分が、考える術をもたないことに気づく前に、
自分の空白にあきれかえる前に、
それらしいものを借りてきて、
カムフラージュしてしまったのです。

だから、その文章は、
一見、世の中のことをよく知っているかに見える。
一見、その子の意見が書いてあるかに見えるのです。
しかし、文章のプロが見れば、
一発で思考停止とわかる、
ある重大なネックをもっています。
だから、「仮面思考停止」です。

カムフラージュは、外に対しておこなわれるより、
自分自身が、「実は何も考えちゃいないのだ」と
気づくのが遅れるのが問題だと思います。

ここのところ、論理性の教育や、
考える力をつけようという新しい教育の中で
「ことしは、いままでよりいい文章がくるかな?」
と私は期待していました。
各地を講演していても、高校生の質問が、
近年、鋭くなってきたと感じていました。

ところが、140件以上を読み終わってみると、
10%の、自分の頭でものを考えられる子と、
90%の、自分の頭でものを考える術を持たない子の
構造は、昨年と変わらず。
格差は、より、くっきりしていると感じました。

自分の頭でものを考えられる子は、
どんどん、思考力を伸ばし、
そうでない子の思考停止、それによる
「みんな同じ」化は、昨年より、むしろ悪くなっている。

私が、もっともやるせなかったのは、
この90%の子が、
具体的に考える方法をレクチャーしたら
充分、自分で考えられる子たちなのに、ということです。

10%の子と90%の子を分けているものは教育です。
考える方法を習ったかどうか?
正しい指導を受けた子は、
新しい教育の流れの中で、
さらに力をつけ、伸ばしています。
しかし、あいかわらず90%の子が、
暗記と応用ではない、
自分の頭で考える具体的な方法を知らされないまま、
考えるスタートラインにも立てずにいます。

ただしいナビゲーションなく、
海に放り出されるように、
ただ、論文を書きなさい、とか、
意見を言いなさいとか、
ディスカッションをしなさい、というような
アウトプットだけを求められたら、その子はどうなるか?
新しい教育の流れで、
アウトプットの機会ばかり、やたら多くなったとしたら?

恥をかく前に、なにかもってきて
カムフラージュしようとする、
「仮面思考停止」の子は、
もっと増えるのではないでしょうか?

空白を埋めよう埋めようとし、
具体的に考える術はないのですから、
なにか、もっともらしい考えが、かざされたら、
頭までなびいてしまいます。
情報操作に弱く、うわさにもながされやすい。

高校生は、身体も大きくなり、
しだいに個を確立しようとします。
そういうときに、流行のコートを買うようにして、
他人と同じ、一般論の意見を着て、
それも思考パターンごと着て、
窮屈さを感じないわけはありません。
この子たちの文章を読んでいると、
自分が文面にでていかない、閉ざされた感じが
伝わってきて、こちらまで塞がれた気持ちになります。
この子たちは社会に怒っているけど、
実は自分に苛立っている。

一方、10%の考える子の中にも、
どうも、みんなから浮いてしまう。
なんだか、わからないけれど、
自分はまわりの子とあわない。かみあわない。
居場所のなさを感じている子がいます。

私は、何かせずにはおられない気持ちになりました。

そこで、原点に戻って、もう一度、
自分の頭でものを考える方法を、次週水曜日、
とくに、高校生のためにお話したいと思います。(つづく)




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-12-04-WED

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