YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

*今回は、編集部のご厚意により
『PHPスペシャル3月号』からお届けしています。
以前から、この内容をほぼ日の読者に
紹介したいと想っていて、実現できてうれしい。
みなさんありがとう。
―山田ズーニー


119essay 「早く元気になって」という暴力

「早く元気になって。」

苦しんでいる人に私たちはそう言う。
若いころ、早く元気にしてあげることだけが、
「癒し」だと思っていた私は、

この言葉に潜む暴力性に気がつかなかった。

それが、「おや?」と思いはじめたのは、
こんなきっかけからだった。

母を元気にした意外なことば

私の母は、入退院を繰り返していた。

姉が結婚で、私が大学で、家を出てしまったころから、
母は心臓を病んだ。
子育てという唯一の生き甲斐を失った寂しさに、
がっくりきたのだろう。
心臓病という不安が、母の心に住みつき、
家族に伝染し、家族全体が暗くなっていった。

母が入院するたび私は、おしゃれなパジャマ、
小型テレビ、しゃれたフラワーアレンジなど、
次々と華やかなプレゼントで見舞った。

明るくピカピカしたプレゼントで、
吹き飛ばしてしまいたかったのだ。

長患いで染み付いた母の老いも、
不安も、この世のうさも何もかも。
会社員になってまだ数年の私は、
決して裕福ではなかったが、
お金なんか、いくらつかったってかまわないと思った。
自分にできることなら全力でして、
一日も早く、元通りの明るい元気な母にしてあげたかった。

私は、あらん限りの希望の言葉をはいた。
「元気になったら、海外旅行に行こう」
「いつか大きな家を建てて呼ぶから一緒に暮らそう」
「子どもは3人は生むつもりだから、
 子守り、よろしくね」。

そんな家族の愛情を一身に受けて、母は退院するのだが、
家に帰れば孤独な生活に逆戻り、
しばらくすると、また病気が悪化して、入院してしまう。
この繰り返しだった。

しだいに、華やかな見舞いにも、励ましにも、
母は「迷惑かけてすまない」を
繰り返すようになっていった。
病気は悪化し、早く元気にという私の努力は空回りし、
次第に焦りや苛立ちへと変わっていった。

ついに母は食事も取れず、
立ってトイレにもいけなくなったので、
専門病院に移すことになった

この新しい病院で、母は回復の契機をつかんだのだ。
その契機とは、お医者さんの、
あまりにも意外なひと言だった。それは、

「(心臓病になったのだから、治療しても)もとの
 (健康体のときの)ようには、元気になりません。」

母は、この言葉を大事に胸に抱き、
ことあるごとに自分にもまわりにも、言い聞かせた。
そのときの母には、何か内なる決意を感じた。

それから母は、みるみる回復し、
今は入院することもなく元気だ。

私には、わけがわからなかった。
母には希望の言葉だけを吐き、
暗さをみせないようにしていた。
ところが、お医者さんの言葉は、
それをだいなしにするものだ。

なのに、なぜ? 母は元気になったのか?

癒された手紙の言葉

それから何年かして、こんどは私が不治の病を宣告された。
といっても、薬を一生飲み続ければ、
日常生活に支障はない。
だが、病気をしたこともなく、
全力で夢を追っていた私にはショックで、その瞬間、
社会的弱者へと人生が暗転したような気がした。

逆境は、まわりの人を2極化して見せる。
人の痛みがわかる人と、わからず返って傷つける人と。
この中間がいないような気がする。
この時もそうだった。

いちばんつらかった言葉が、「健康がいちばん」だった。
私の病気は、どうやっても治らないのだ。
人がいちばん大事だという「健康」はもう、
私には永久に手に入らないのだ。
「健康第一」と言われるたびに、
私は周囲から切り離されるような痛みを覚えた。
孤独だった。

そんな私に、一通の手紙が届いた。
私が仕事上でも、人生の師としても
尊敬している先生からだった。
そこには、こうあった。

「不謹慎と思われるかもしれませんが、山田さんの病気、
 私は、お友だちが1人増えたような気がしています。
 これからは、山田さんと、病気と、私の3人で、
 しっかりと肩を組んで歩いていきましょう。」

身体の芯からすべてが癒される気がした。
実際数ヶ月後、別の病院で、
その病気ではないことがわかった。
誤診だったのか、本当に癒えたのかわからない。
でも今、私は、健康に暮らしている。

先生からの手紙で、私は、
母に対しておかしつづけていた間違いにやっと気づいた。

元気、出さなくてもいい

「早く元気になって」という言葉には、
「元気でない状態はよくない」という価値観が
無自覚なまま入り込んでしまう。
それが、すぐには元気になれない人を威圧する。

私も、「お母さんは大好きだけど、
お母さんについた病気は忌まわしい、大きらい」
と言っているようなものだった。

母と病気は切っても切れないのだ。
母は、どんな気持ちだったろう。
自分の一部を忌み嫌われたような寂しさを感じるか、
早く元気になろうとして焦り、
元気になれない自分を責めたに違いなかった。
申しわけなかった。

一方、「もとのようには元気にならない」
と言った医師の根底には、
病気のある日常もまた自然のこと、
と受け入れる価値観がある。

だから母は安らぎを覚え、
焦ることなく、病気のある現実に向き合えたのだろう。

人を癒す力

例えば、仕事で失敗を繰り返し、
つらくなっている人がいるとしよう。
その人に必要なのは、早く元気にしてあげることではない。
根本的な問題を自分で解決することだ。

何かその人に原因があるから、
仕事が失敗するのだろう。
それに気づいて、自分で改めるまで苦痛は続く。
だからつらい気持ちもまた、いいのだ。
すぐに立ち直れなくてもいいのだ。

痛みや、つらい出来事、そして病気でさえも、
何か大事なことに気づいたり、自分を変える機会になる。

人の苦痛を忌み嫌い、取り去ろうとするのではなく、
苦痛を得た人は、人生の大事な契機を与えられた人だと、
尊敬してはどうだろうか。
その人自身の持つ回復力を、もっと信じてはどうだろうか。

 「早く元気になって」とは、自分は何も変わらず、
「相手に変われ」ということだ。
そういう言葉を押しつけるだけでは、人は動かない。

つらい人に対して自分が唯一できることは、
自分自身が、いま向かうべき自分の課題から
目をそらさないことだ。

そうして自分自身がまず、苦しみに耐え、自分を変え、
周囲の状況を切り開いてみせることだ。
うなだれている人の肩をゆすって励ますよりも、
自分のそういう背中を見せることの方が
何倍も癒しの力があると私は思う。

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山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-10-23-WED

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