YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson111 アイドルを探せ


あなたは、いま、
ものすごく好きな、ミュージシャンとか、
作家とか、俳優とか、アーティストとか、
入れ込んでいる人物がいますか?

そういうのなんていうのかな、アイドル? カリスマ? 

そういう人物が一人でもいると、生きていて、活気が違う。
「血道をあげる」っていう言葉があるけど、
体中をアドレナリンがかけめぐる感じ。

「おっかけ」とかいうと、
あんまりいいイメージもたれないけど、
無条件に心が向くものには、まっすぐ、
まわりからみて、ちょっとおかしいくらい、
命燃やしてもいいんじゃないかと私は思う。
逆に、クレイジーなところまでいかないと
趣味は趣味として終わってしまい、
ものにはならないんじゃないだろうか。

ただ、好きで好きで、追ってるとき、
夢中で吸収する知識とか、
ひらかれていく感覚とか、
できていく人間関係とか、
教育効果っていうのに換算すると絶大な気がする。

こんなことを言うと、
すぐ「ストーカー」を持ち出されて、
反対をくらいそうだけど、
そういう人に教えなきゃいけないのは、
好きな気持ちをせきとめることや、
何かを好きにならないようにさせること、ではないと思う。

好きな気持ち、その持つ莫大なエネルギーを、
陽なたに向けて、燃焼させていくための、
方向性と、具体的な方法ではないかと私は思う。
好きになったら、すごく内面がかきたてられるから、
なにかしなきゃ、いられなくなるから。

私も、人数は少ないけど、
まじめな性格から、深く一途におっかけた人物はいる。

一番最初に好きになったのは、小学校のとき、
ルネ・シマールくんという11歳くらいの
ボーイソプラノの歌手だった。
田舎で、コンサートに行くことも、
おっかける術もなく、
好きな気持ちをどう表していいかわからないから、
雑誌の写真を見て、
ひたすらこの子の顔をスケッチしていた。

次に好きになったのが、ブルース・リーで、
好きになったときは、もう死んでいたから、
作品も、本も見つくしたら、
あとはどう、おっかけていいかわからず、
ヌンチャクをもって歩いていた。

でも、人生の中で、
いちばん、傾倒し、いちばん影響を受けたのは、
20代のときで、
この時代に生きている芸術家だった。
展覧会があるといえば、
遠くまで1人、新幹線で観にいった。
見ることができる作品は全部見つくして、
手に入る著作は全部読み尽くした。
それでは、足りないので、
こんどは、著作にでてくる、
この人がいいというものに手を伸ばす。
この人がいいと言う音楽を聴き、
いいという映画を観、
よかったというところを旅して追体験する。

それまでの人生で、ほとんど芸術に関心がなかった私が、
著作に出てくる、いろいろな芸術家の展覧会に、
何かに突かれたように足を運ぶようになった。

いったい自分でも、
どこからこんなパワーがでてくるのかわからない。
短い間に、ものすごい距離を移動し、
ものすごくたくさんの情報を吸収し、
この芸術家ゆかりのたくさんの人と知り合った。

それでも、まだ、力あまって、
自分でも作品をつくりはじめた。
いままで、芸術の「げ」の字もしたことなかったのに。
それでも、まだ、力あまって、
会社の後輩や友達にまで作品をつくらせていた。
いまだに、自宅や友人宅には、
このときつくった、たくさんの作品がころがっている。
まきこまれた後輩たちは、これをつくってたとき
私のことをどう思ってたろう?

そんなふうだから、
生き方や考え方も、すごく影響をうけていた。

これを「ファン心理」というなら、
もう、その「ファン心理」度メーターの針が絶頂に達し、
ふりきれるくらいのときに、ちょっとした事件が起きた。

この芸術家のマネージャーという人から電話があり、
私に話があるから、次の番号に電話してくれという。

ほとんど舞い上がって、よくわからないまま、
番号を押すと、ほんとうに、その芸術家が出た。

マネージャーがやめるのだが、
私にどうか、ということだった。
この少し前、イベントの感想を書いたハガキを
私は送っていた。
(向こうからみれば、単なるファンからのハガキだけど。)
深い意味はなく、
単に、前任が辞めるちょうどのタイミングに
ハガキが届いたのと、
何か文面が気にとまったらしかった。

ファン絶頂で血がのぼってるとき、相手から声がかかる…
映画ではあるけど、自分に起きたらどうなるだろう?

そのとき、私はちょうど会社を辞めるかどうか悩んでいた。
16年近い会社生活で、その年は、唯一、
編集現場を離された一年だった。
「編集者を殺すのに刃物はいらぬ。
3日、編集の仕事を干せばいい。」
会社から帰ると、編集の仕事がしたくてしたくて涙が出た。
そのころ、自分は地方におり、
たとえ現場にいたとしても、
なんとなくこの先、編集者として
どう伸びていけばよいか、先詰まっていたと思う。

そこへ自分がもっとも傾倒してる人からの誘い、
運命の出会いというべきか、チャンスというべきか。

なのにどうしたことか、
頭や心は、いや、全身がそっち向かってるのに、
口がさっさと断ってしまった。
「口をついて出る」とはこのことだ。一瞬だった。
そのあまりの速さと、意外性に、
電話を切ってから、もう、私の全身が、
自分の言ったことをせめていた。
「信じられない! なんで? なんで?」

でも、何かの「想い」が自分の中に、
ふっ、とよぎったのだ。
そのあと、「ちがう」という意味のことが口をついた。

その時は、ものすごく後悔した。
これでよかったのか?
自分はとんでもなく大事な人生のチャンスを
逃したのではないか。
ことあるごとに、不安になって、つらくて、
泣いてしまった。
かなり長いこと、これでよかったのか、
クヨクヨ、かっこ悪く、引きずっていた。

他のことで、気を紛らそうにも、
自分の部屋も生活も、あまりにも、この芸術家一色で、
何を見ても、何を聞いても、この人ゆかりのもので。
必死で集めた本や作品。自分でつくった奇妙な作品。
そのすべてが、こうなってしまっては、見るのもつらい。
仕事は相変わらず、先が見えない。

その翌年、思いもかけず職場が東京に移転することになり、
私は、編集の現場に呼びもどされ、
そこで開発をして、天職ともいえるような
編集媒体に出会った。
仕事をはじめて10年たったころだった。

いまは、あの時の選択をまったく後悔していない。
ファン心理というのは、人さまざまだが、
自分はファンになった人に何を求めてきたか、
今は、よくわかる。

好きは好きで、分析などする必要がないのだろうが、
自分の場合は、ファン心理の絶頂期に、踏絵のようなことを
させられたものだから、つきつめて考えざるを得なかった。

私はスタッフとしてその人を支えたいのではなかった。
ただそばで働きたいわけでも、
弟子としてその人のノウハウを学びたいわけでも、
ましてや、恋人になりたいわけでも
結婚したいわけでもなかった。

自分が、その人になりたかったのだ。

つまり、その人のように、他に真似のできない
自分のオリジナリティーを発揮して、才能を開花させ、
私も、自分独自の人生をかっこよく生きたかったのだ。

あのとき、スタッフになっていれば、
物理的なその人との距離は縮まったかもしれない。
でも、自分の天職みたいなものからは遠ざかり、
人間としての距離は、遠くなるばかりだっただろう。

好きなものには、あとから考えると理由がある。

その芸術家が放っていたメッセージは、
唯一無二の自分を生きるということだった。
当時、無意識のうちに自分が最も欲していた
メッセージだった。

あの電話口、一瞬の判断で
私が、唯一無二の自分の人生を手放さずに済んだのは、
まわりから見るとおかしいくらい、
この人の作品性を追っていたからだと思う。
やっぱりクレイジーなくらいまでいかないと、
趣味はものにはならない。

それをカリスマと呼ぶか、アイドルと呼ぶか?
人生には、時折、すごい魅力と求心力を放つ
人物があらわれ、ひきつけられ、幻惑されることがある。
でも、そのとき、考えてみてほしい。

自分は、なぜ、その人にひかれるのだろうか?





●ラジオで復習!伝えるための5大要素●

9月9日(月)朝9:05〜9:52
NHKラジオ第1(全国放送)
『ラジオいきいき倶楽部』
「ハートが伝わる文章を書く」
ナビゲーター:山田ズーニー


以前、このコラムで紹介した、
伝わる文章のための5大要素を、ラジオでお話します。
このコラムをずっとみてくださっている方は復習として、
最近このコラムを読み始めた方は、基礎がためとして
よかったら聴いてみてください。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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PHPショップhttp://www.php.co.jp/shop/archive03.html

2002-09-04-WED

YAMADA
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