YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

プライベートメール


Subject: 山田から友人5人に宛てた近況

Date: 2002年7月6日
*「みどり」は山田の本名、以下同。

こんにちは、みどりです。
われながら、わけのわからない文面になってしまい。
すいません。どうということはないメールです。
メールださせてくれてありがとう。

この前、日経夕刊にちょっと面白い記事がのってて、
それは、窪塚洋介とか、松田龍平、伊勢谷友介、
といった、いまどきの人気俳優さんが、
え? 仕事に不自由しているの?!
っていうものです。

彼らは人気絶頂だし、監督や作品にも恵まれているし、
降るほどの仕事から、いくらでも選べる立場です。
なのになんで? とおもったら、

とても単純な話、たくさん仕事がくること
=自分がやりたい仕事がくること、ではない。

彼らは、感覚もいいし、もう10代から、
すごい作品や、人に出会っているから、
そうとうに目も肥えている。
もう、権威や、金や、人気にも、
あまり興味がないと思うし。
何百というオファーがきても、自分が「これだ!」と
思える作品にめぐり合うことは、
役者としての器が育つほどに、難しくなる。

この図式の典型は、マリリン・モンロー。
彼女は、知的で、感覚も鋭く、役者としての自分のキャパが
生かしきれる仕事をもとめていた。
でも、ハリウッドでは、色っぽい
頭の悪いエンタテイメント作品のオファーしかこない。
降るほど仕事はあっても、たった1作、
自分の女優としての才能を生かす作品にめぐり合えない。
このジレンマが彼女を追いつめていった。

で、ここから、本題なんだけど、
いまの若い人は、負けていない。

窪塚くんは、「凶気の桜」を、
自分からヒキタクニオの原作を
東映の映画プロデューサーに売り込んで、
企画にも自分から入っていって、
クランクインにこぎつけた。

伊勢谷友介にいたっては、
「カクト」を、自分で監督・脚本・主演、
松田龍平も、20歳の男の子と、
デジタルで短編を撮り始めた。

この記事の中に、キネ旬編集長のこんな言葉がある。
「積極的に他のジャンルに人脈を広げ、
 自分から企画にかかわらなければ、出たい映画に
 出会えないという、今の映画界の事情がある。」

マスマーケティングによるエンターテイメント、
魅力的な企画が少ないというのは、
いまにはじまったことではないけれど。

そういう映画界に、傷ついていったマリリンモンローとも、
なら、自分で会社つくっちゃおうぜ、
という石原裕次郎とも、
全共闘世代のように、体制に反抗するのとも、
いまの若い人の動きはちがっているように思う。

「いいものがないんなら、自分で考えちゃおうぜ」
「作っちゃおうぜ」
「あ、俺、こんなの、もうつくっちゃったよ」
そういう、自然で、頭と身体のすばやい動きが見える。

さまざまな技術が進んだり、
安価で、素人がものづくりに挑んでいける環境が
整っているせいもあるんだろうけど。

ここのところ、リトルキヨシくんや、福田遊太くんといった、
まだ、デビュー前の音楽とか、
若い監督の映画をたくさん観ている。
どんな完成度の高い作品より、
今の自分をかきたてて、力をくれる。

逆に、マスマーケティングで
完成してしまったものに触れても、
びりびりこないというか、そういうものが、
何かを決定的になくしてしまっている気がする。

私は、閑古鳥が鳴くライブだって、
彼らの才能を信じている。自分の感覚を信じている。
こんなに確かな時間はない。

彼らの共通点は、自分の創りたいものを、
自分ではっきり知っていて、
そこに、自信と強い衝動を持っている。
やすやすと、何か明け渡すことをしない。

チャンスをあさるとか、
ビックなプロデューサーを頼みにして、
引き上げてもらおう、というのとは、
対極の生き方のように思う。
彼らが頼みにするのは、自分だ。

自分の表現をすることは、早く確実に売れることより、
ずっと大事だということを、
自然に知っているような気がする。

そういう人たちにかきたてられている日々の中で、
会社にいたときから今まで、
出会ってきた若い人の生き方と、関係性を追いたいなあ、
という衝動がつきあげてきて、
それには、絶対、映像がいい。
でも、その技術がまったくないことに、
どうすればいいんだろう、
(今になって、園実ちゃんの気持ちがとてもよくわかる)

自分は何で、こんな腰が重いんだろう?

と、一瞬めげました。でも、
そこは、たくさん仕事をしてきた大人として、
やるからには経験に恥じないものを作ろうと思うから、
動くのに時間かかるんだ、と
彼らにパワーをもらいつつも、一歩も物怖じせず、
自分にしかできないことをやろうと思います。


さて、7月7日、昌子ちゃんの家で、
「サロン・ド・マサコ プロジェクト」
第一弾をスタートします。
(プロジェクト名は、いま、
 適当におもいつきでつけただけです。
 昌子ちゃん、ごめん)

まえまえから、昌子ちゃんとはメールで、
いろんな人があつまって、
話して、食べて、
深いところから、創造のエネルギーをくれるような、
そんな、時間や空間が、
定期的にもてたらいいね、と言い合っていました。

昌子ちゃんが、思いもよらず一軒家に引越したことや、
7月は書きもので、
思うようにメンバーが集まらなかったことから、
「ゲストを考えようか?」
ということに、なりました。

1回目の今回は、
自分でものをつくっていたり、
ものづくりを現場で支えている人がいいね、
ということになって、
昌子ちゃんと、私のつてで、
未来の映画プロデューサーと、
「隣人はひそかに笑う」
でプロデビューした脚本家の方を
お呼びすることになりました。
どちらも、昌子ちゃんと同世代の女性で、
会社勤めからの転身です。

ゲストを呼ぶのは、
みんながそろったときに、という考えもあったのですが、

人の縁、時の運。

参加できる人が、そのときどきの出会い方をして、
人の縁をひろげ、
いい時間をもっていくことは、めぐりめぐって、
そこに足を運べなかった人にも、
つながっていくんじゃないかと思います。

いろいろな、ものをつくったり、
面白かったり、楽しい人が、集まって、
さらに、面白い人を連れてくる、
みたいな動きになるといいなあ、
と、私は勝手に夢を広げています。

そんな、ささやかな動きが
起こっていることをお知らせします。

今後も、いろんな方面の、ものをつくったり、表現する人、
ものづくりをかげながら支えるスタッフの人など、
楽しい人の縁をつないでいけたら、
と思っていますので、
面白い人、逢いたい人がいたら、紹介してください。
今後また、都合と興味が合うときに、
ご一緒できるのを楽しみにしています。

みどり


Subject: 悦子からの返信

こんばんは!

おお、なんか、すっごく面白いことになってきたねえ。
色々なおもしろい人たちが、時々集まる空間、機会って、
偶然を待っていたらそうなかなか頻繁にはないものね。
わくわくするなー。

集まる人たちみんなに、すっごい貴重なおみやげを
手渡すことのできる集まりになりそう!
で、そのおみやげがいつか、でっかい実を結ぶ。
わおー。
そしてそのおみやげ、一番欲しいのは、わ・た・し。

わたし最近、書いた作品を、本当にコンテストとかに
出したいのかなーって、考えています。
どこかのコンテストに出して、
審査されて、文芸誌に載って、
っていう過程が、本当に望みか?
(そういうことは賞を獲ってから
 言うものかも知らんが。へへ)

なんか、違うなーって。

今書いているもの、何枚になるかわからないけど、
書き上げたら、例えばメルマガとかで、外に出して
しまおうかとも、考えています。

だって、はっきり言ってわたし、文壇とか全然興味ないし、
文芸誌だって、読んでもそれほど魅力感じないもんね。
「アナクロだなー」と思うこともあるし。デザインとかも。

もっと、違う形で出したいんだよなー。
具体的な案が、今のところメルマガしか思い浮かばないのが
情けないんだけどさ。

ミュージシャンがインディーズでレコード出すみたいに、
本、出せればいいんだけど、
今の「自費出版」てさ、
やっぱどこか感覚が違う気がするー。

小説だけじゃなくてさ、絵とか、音楽とか、映像とかが
一体になった、複合的な大きな作品の中の一部として書く、
とかさ。

そういうことを日々考えていたので、今回の
「いろんな面白い人が集まる空間を意図的に作る」案には
正直、待ってました! って感じ。

それなのに、7日は本当にまだどうなるか不明です。
ごめんねー。

でも、何かを始めよう!って気分が、
勝手に盛り上がっているんですけど。

えつこ



Subject: 園実からの返信

お元気ですか?
ご無沙汰しています。園実です。
7月1日〜11日まで北海道に帰省してました。
両親の日常や、過去の転勤先、母親の手料理などを
ビデオにおさめてきました(4日間だけだけど)。
親が生きているうちに、軌跡をたどる
ホームビデオを撮りたいと思ったのでした。
北海道人は本州からの移民(?)が多く、父親は名古屋人。
自伝的なビデオを作りたいと思ってやってきました。
まだまだ撮るものは多くて半分にも満たないけど、
まあこっちの方はぼちぼちやっていこうと思ってます。

悦ちゃん、自分が満足できる作品が書けて、
尊敬している方に褒められるなんて、本当にスゴイです。
私も読んでみたいと思います。

>>>そうそう、第1回、サロン・ド・マサコは、
>>>大・成功といえるのではないでしょうか。
>>>
>>>いい会だった。
>>>みんなまた、それぞれの分野でがんばろうと思える。
>>>面白くて、活力がもらえる会でした。

この会、
とってもクリエイティブな感じで、素敵!です。
昌子ちゃんの一軒家というのも、いい感じです。
一軒家がポイントです。
「クリエイターが集まる港」
楽しい奇跡が起こりそうな感じ。

>>>やっぱり受け手が目の前にいる時は特に
>>>それだけやりたいことがハッキリしてないと、
>>>波動がちゃんと伝わらないんだよね。
>>>それは、作品の表現でも、なんでも同じだと痛感。

真裕美ちゃんのこの言葉、とっても重いです。
今というか、このところ、人と話をするのが苦手です。
私のいいたいことが伝わっていないような、
言い過ぎているような、誤解されているような、
浮いているような、
何を話しても嫌われてるんじゃないかとか。

と、マイナス思考になっているので、
9月から始めようかと思っていること添付します。
気が向いたら、読んでみてください。
平行して「戦争遺跡」の記録を撮りたいと思ってます。
企画書はまだ書いてない。
でも、こっちは、どうしても今やっておかなけば、
無くなってしまうから。

>モノ造りのための「ため」の時期。
>自分の中で何かがじっと一杯になるのを
>自分とじっくり向き合って考えたいな。と
>思わされました。
>そういうものって、人との関係の中で、
>触発されて育っていくもの。
>サロン・ド・マサコのような場所は、
>素敵な空間になりそうだよね。
>
>>これも2年前の夏、みんなにあった
>>久世塾からつながっている流れだと思うと
>>本当に生きてるだけで面白いなあって思います。
>>
>>調子に乗って
>>どんどん回を重ねていきたいと思っています。
>>そのうち名古屋や広島でもできたらいいな!!

うん、是非広島でやってください。
広島の面白い人探しておくから。
次回の予定が立ったら教えてくださいな。
機会を見つけるので、参加させてもらえると嬉しいです。
ではまたね。



Subject:山田から園実への返信

まず、いちど、ちゃんと謝っておこうと思います。

3人で秋葉原に行った日、
「なぜ、自分でカメラを回すか?」
と言った私は、サラリーマン体質が
抜けきらない、バカヤロウだったと思います。
あのとき、園実ちゃんが言っていたことこそ、
人の心に近い、確かなものだったと私は思うし、
園実ちゃんのやってることに、私はいま、
すごくはげまされています。

>今というか、このところ、人と話をするのが苦手です。
>私のいいたいことが伝わっていないような、
>言い過ぎているような、誤解されているような、
>浮いているような、
>何を話しても嫌われてるんじゃないかとか。

これは、気にしなくていいんじゃないだろうか?

軽くいってるんじゃない。
「ほぼ日」書くときも、私は、すごくこれを気にし、
また、ほんとに酷いメールで傷つけられたこともある。
私も嫌われたくなかった。怖かった。
それを、プロの作家や編集者に、何度ぶつけても
「あまり気にしない方がいいです」しか返ってこなくて、
この真意も、いまいち、私には、つかめなかった。

ところが、悦ちゃんと一昨年からライブ通いして
足掛け三年。
その間には、「いるだけで苦痛」の演奏者や、
店の前の雰囲気だけで、
いちかばちか入ってみて大当たりの日や、
かずかずの経験の果て、
やっと「リトルキヨシ」というアーティストに出会った。
私も悦ちゃんも、いま間違いなく
いちばん力をもらっているのは、たった23歳の、
デビューもしていない、この小さな男の子なんです。

この人の歌を聞いていると、
一瞬一秒、自分であることへ、
自分の想いでものを創ることへ、
かきたてられ、どうしようもないくらい力がわいてくる。

えっちゃんは聞くたびに泣くというし、
わたしも、気がついたら、この人のCDばかり聴いている。

たった23歳の歴史、私より二周り細い体、
でも、そこから繰り出される作品は、
もう、どの細部も、まぎれもなく彼自身であり、
それでいて、聴いてる私にとって、他人事ではなく、
まさに自分の衝動だ! と思わせる力があるのです。

繊細で、よく周りが見えている子だけに、
ここまで自分の内面を作品にさらけ出し、
人前でたった独りで演じ、
もろ、反応を受けるのは、すごく大変だろうと想像できる。

東京の人は、いいもの聴いても
「しらっ」とした顔しているからね、
決して、毎回、温かい反応ではない。

でも、その姿、なにより生き方に、
私はいつしか、マーケティングみたいな企業洗脳も、
人の反応への恐さも、ふっとんでいた。

この子の歌にこんな歌詞がある。

「長い、長い、道のりの中での、
 ほんの一瞬の苦しみだと、あなたは言う。
 でも、その一瞬の中でも、
 ぼくはぼくでありつづけたいのです。

 我が道をゆけ、

 我が道をゆけ、

 我が道をゆけ。」

自分として、人にかかわるのは、痛い。
でも、それを恐れたら、スタートラインにも立てない。
「この人は、私を嫌っているのだろうか?」と
相手にといかけたあと、
私は、いま、自分に、こう問い掛けることにしている。
「じゃあ、自分はどうなの?
いまの自分の言動、自分では、好きなの嫌いなの?
あれは自分がほんっとに想ったことなの?」と。

それで、「あれは間違いなく自分だったし、
自分はそうしたことが好きだ」と思えたら、
まず、それは良しとして
次の行動に移っていんじゃないかと。

企画書読んだ。
園実ちゃん、先を行ってる。
いまのとこ、負けっぱなしだ。

でも、私も、あとにつづくよ。勇気もらった、ありがとう。

園実ちゃんが、本気だと思うから、
私も企画を読んだ感想を本気で返すよ。
それが、この企画書を「尊敬」するということだから。
ひとつだけ、この企画書には「問い」がない、と思った。

「切実な結論」はある、そこに強い想いがつたわってくる、
そこに共感もつよく集まってくると思う。
けど、結論が出てしまっている。
「切実な問い」がない。

解きたくてたまらない謎、わからなくて、
知りたくて、追究せずにはいられない衝動をかかえた、
小さくてもいい、でも、確かなたった一つの問い、
園実ちゃんでしか切り取れない角度で絞り込まれた
「問い」がないような気がした。

この状態で、たくさんの教材を見ていったら、
「結論」にあう証拠をみつけていき、
つぎつぎに、その証拠を集めていくような、
予定調和にならないだろうか?

みどり


Subject: 園実からの返信

メール本当にありがとう。
みどりちゃんの言葉の一つひとつが
嬉しくって、嬉しくって、
出会えたことに感謝しています。

謝まるなんて、とんでもない。
それは私に説得力がないせいなの。
これが人と話をするのが苦手な理由にもなるんだけどね。
連れ合いから、言われてショックだったこと。
「ささ(旧姓で呼ぶ)は大人を説得できない。
 なぜなら、死ぬほど真剣に取り組んでいないから」
彼はいつも手厳しい。彼と話すと
落ち込むこともしばしばだ。
でも決して嘘は言ってない。だから信じている。
相手に正しく伝えることができないのは、
きちんと思考していない、
自分の思想になっていないということ。
だから私は説得できるよう、考えねばなあと思う。

>「この人は、私を嫌っているのだろうか?」と
>相手にといかけたあと、
>私は、いま、自分に、こう問い掛けることにしている。
>「じゃあ、自分はどうなの?
>いまの自分の言動、自分では、好きなの嫌いなの?
>あれは自分がほんっとに想ったことなの?」と。
>それで、「あれは間違いなく自分だったし、
>自分はそうしたことが好きだ」と思えたら、
>まず、それは良しとして
>次の行動に移っていんじゃないかと。

うん。私もそうしてみるね。
私は行動に移すとき何も考えない
(考えないようにしていた)から、
こういう振り返りは大切だ。

みどりちゃんや悦ちゃんが
刺激を受けてる若者の歌詞は、とっても滲みる。
作家のヤン・ソギルがある新聞に書いていた。
確か彼は「タクシー狂躁曲」まで
タクシードライバーで生計を立てていた。
45歳ぐらいまでだったと思う。
「自分は何者かになろうと思っていた。
だが、その思いを持続させるのが大変だった」と。
だからこそ

「長い、長い、道のりの中での、
 ほんの一瞬の苦しみだと、あなたは言う。
 でも、その一瞬の中でも、
 ぼくはぼくでありつづけたいのです。

 我が道をゆけ、

 我が道をゆけ、

 我が道をゆけ。」

なのだよね。

ありがとう。

最後に、

>「切実な結論」はある、
>そこに強い想いがつたわってくる、
>そこに共感もつよく集まってくると思う。
>けど、結論が出てしまっている。
>「切実な問い」がない。
>解きたくてたまらない謎、わからなくて、
>知りたくて、追究せずにはいられない衝動をかかえた、
>小さくてもいい、でも、確かなたった一つの問い、
>園実ちゃんでしか切り取れない角度で絞り込まれた
>「問い」がないような気がした。
>この状態で、たくさんの教材を見ていったら、
>「結論」にあう証拠をみつけていき、
>つぎつぎに、その証拠を集めていくような、
>予定調和にならないだろうか?

「切実な問いがない」
これは最初の連れ合いの言葉に戻る格好になるのだけれど、
私の思考が甘いせいだ。
途中までしか考えてない。
今、平和教育で先生が取り組もうとしていること。
それは「生徒と一緒に考えていこうということ」。
私も一緒に見ていく人たちと、
一緒に考えてやっていこうとしていた{つもり}だった。
でも、この企画書では、この方向で行きましょう!と、
無理矢理に人をひっぱってい くことになりかねない。
「私でしか切り取れない角度」をまず見つけること。
そう考える前に行動してしまう私の欠点だ。
予定調和にならないように、考えてみる。

私は本当に幸せ者だ。
みどりちゃん 愛してるよ!



Subject:山田から園実への返信

あー、いかん!
あーーー、くそー、
園実ちゃんのメール読んで、涙ぽろぽろ出てきたよう。
あー、また、涙おちた。

ううーしみる。

>これは最初の連れ合いの言葉に戻る
>格好になるのだけれど、私の思考が甘いせいだ。
>途中までしか考えてない。

いや、そうじゃなく、
広島にいったとき、いろいろ、資料見せてもらって、
話を聞いて、園実ちゃんは、
この問題、私のずっと先を行ってると思った。
そして、思ったの、生意気だけど、

「その先をいけ! 園実ちゃん」

と。
もう、充分、園実ちゃんの中に答えはあるのであって、
それを、もういっぺんなぞったり、
他の人の肩ゆすって、さあ一緒に、
っていう必要はないような気がした。

具体的な方法はわからない、
私だったらどうするだろうか、
いま思いつくことを乱暴にあげると、

私だったら、すでにある戦争教材を見て歩くのでなく、
もう、自分なりの、これこそ
「平和を問うものだ」っていう教材を
つくりはじめるかもしれない。

それを人は、不勉強だとか、調査不足だとか、
先走りっていうかもしれないけど。

でも、私は、もう40歳。

このまま準備の、助走のやってたら、
いったい何歳になるんだ?って気が最近している。
だれも言ってくれないから、
私が山田さんにいってあげてるの。
「山田さん、もう、準備十分だから、その先を行け!」
って。

みどり





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
bk1http://www.bk1.co.jp/
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2002-08-14-WED

YAMADA
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