YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson107  はだかの言葉


やきもちを焼いた。

十何年ぶりに、夜も寝られないほどやきもちを焼いた。
それは、人に話せば、
冷蔵庫のヤクルトを取ったの取らないの、
飲んだの飲まないの、
というくらい、本当にたわいのないことだった。

いま、自分で考えても、おっかしー!
っていうか、ばっかばかしー! 

その、たわいのないことに、
まんじりともせず夜を明かした。

自分はなんなのか?

昼間、講演で、
生徒に向けてあんなに偉そうなことを言い、
仕事では、もっともっと深刻な局面で、
ふところのでっかいところを、仲間に向けてアピールし、
この「おとなの小論文教室」では、
人の心の矛盾点を、「考える」ことで、
冷静に解きほぐそうと、
あれほど理屈っぽく言っておきながら、

このくらいのこと、なんなんだ!

と自分を叱るんだけど、
いっこうにだめ、というか、
ジェラシー感じちゃってるんだよね。

しまいには、すねたり、ひねくれたり、
何でもなかったようにしたり、
かと思えば、急に感情高ぶらせては、また、スネ、
とうとう朝がきた。

それで、何を考えたのかまた、
その焼きもちを焼いたともだちに、
正直にそのことをメールした。

嫉妬して、すねて、ひねくれて、眠れなかったと、
かっこわるいところを、そのまま書いてしまった。
こんなことは今までなかった。

わたしは、けっこうプライドが高いから、
かっこ悪いところは、なんとしても人から隠し、
すずしい顔をしていなければならなかった。

メールをもらう友達は、
私をヘンに思うことは充分想像がついた。

「あんたに死ぬほど嫉妬した」なんて、
言われて、私のことを好きになる人はいないだろう。
ずいぶん心の狭い人と思うだろう、
愛想をつかされるんでは、とも、覚悟した。
私が、ふだん偉そうなことを言っている分、
ゲンメツしたときは激しいだろう。
そればかりか、憐れまれるんじゃないかとも思った。
わたしのいちばんきらいな同情。

友達は、怒るか、ゲンメツするか、
あきれるか、同情するか?

それでも正直に書いたのは、
たぶん、この友達には、
どうしてもうそをつけないような気がしていたのと、
ここのところ、感覚の鋭い、それゆえ、
人のうそにも敏感な人たちとつきあっていく中で、
自分がかわりつつあるからだと思う。

この夏、生まれてはじめて
フジ・ロック・フェスティバルに行き、
これまた初めて、
ハイロウズの甲本ヒロトの言葉を生で聞いた。

言葉のリアル感に、
全身、打たれた。

彼は、決して難しい言葉を言っているわけではなかった。
たとえ、なにか、かっこいい言葉を言ったって、
炎天の午後2時。野外ステージ。
言葉は、ジュッ! と焼け飛んでしまって
踊り疲れ、消耗しきった観客の身体には入らなかったろう。
彼は、ありふれた、ひらたい言葉を、
ぽつっ、ぽつっとつぶやくだけだ。

「死んでたまるかー」
明るい声で、彼がつぶやくと、
目の前の女の子が、
「なんか、すごくよくて、泣けてきたー」
と涙ぐんでいる。
それみて、その子の友達もほろっときていて、
後で見てたわたしも、泣きそうになる。

この夏は、私も、
あまりにもいろいろなことがありすぎた。
ひとつひとつは、とても素敵な出会いであり、
心を揺らす出来事だったけど、
その中で、思いもかけず、心にちいさな傷が
いっぱい出来ていることに、そのとき気づかされた。
素敵なこと、というのは、その分、
痛手を負うものかもしれない。

甲本のうそのない言葉が、
真っ赤に焼けた身体に、じーん、じーん、と染みて、
身体のなかから、えたいの知れない力がこみあげてくる。

まわりを見渡すと、
焼けだしそうな高原に、
男の子も、女の子も、不良も、ロッカーも、
たくさん、たくさん、集まってきて、
甲本の不思議な言葉の力に、
濃く、深く、満たされ、傷の奥から力を搾り出している。

この人の言葉がなんでこうもしみるのか?

わからない。けど、この人は、
どんどん、脱いでいっている人だなと思った。

はだかの言葉、とでも言うのかな、
独りの人間が、心の衣や、
身に貼り付けたものをどんどん脱いでいって。

生で生きてる。
生の声をあげている。

それだけのことが、本当にたくさんの人に、
勇気を与えるのだと思った。

最近、別の友人からのメールに、
「何を言っても、自分が浮いているようで、
相手から嫌われているようで,恐い」
とあって、その気持ちが、痛いほどよくわかった。

このほぼ日を書くときにも、
人から嫌われることが、恐くてしかたがない時期があった。
たとえば、都会がいい、と書くと、
田舎の人は、いい気はしない。
それは、あらかじめ予想がつく。

そこで、「都会はいい」と書いておいて、
「だからといって田舎が悪いわけではない」というような
予防線を張る。では、結局どっちなの? というような、
はぎれの悪いものを書いていた時期があった。
どうしてか、こういう腰がひけたときほど、
読者からは、厳しい指摘がくる。

そういう日々の中で、
私は、「これを書いたら、人に嫌われるのではないか?」
と、人に向けていた質問を人に向けるのをやめ、
自分に返すようにした。
「では、自分はどうなのか?」
「それは、うそ偽りなく、
 自分が心から書きたいことなのか?」
「それを書いた自分を、
 自分では好きなのか? 嫌いなのか?」

そう、自分に聞いてみて、
「それは、自分が心から書きたいことだ」
「それを書いた自分を、自分は好きだ」
と思えたら、まず、背筋を伸ばして生きてみよう、
その先に進もう、と思えるようになった。
不思議なことに、読む人が引いてしまっても、
これはどうしても、自分が書きたいと思って、
書ききったことには、批判がこない。

そういうふうにして、進んでいると、
心と皮膚の、心と言葉の距離が、
どんどん縮んでくる気がする。

いま、自分の心を揺さぶられているのは、
1分1秒、自分であることに
忠実であろうとしている人たちの、
はだかの言葉だ。

冒頭の、私が、焼きもちを焼いた友人も、
自分であることに衣を着せない人で、
彼女の書くもの、言動、
その脱ぎっぷりのよさにいつも私は打たれている。

さて、彼女は、私のメールを読んで
あきれたのか? 愛想つかしたのか? 憐れんだか?
予想もしなかったことに、彼女の返信には、
私のアホ丸出し、かっこわるーいメールを読んで、

「ぐっときて涙ぐんでしまった。」

とあった。つづいて、
「きっと、わたしの中にも同じような切ないモノが
あるんだと思う。」とあった。

あのときの焼きもちは、もう、思い出しても戻ってこない。
そのくらい、たわいのないものだった。
この歳になって、そんなたわいのないことに、
あれほどムキになった自分は、本当に愚かで恥かしい。
でも、どっか、敬意の気持ちさえあるのだ。

聞き分けのよい穏やかな老人になっていくよりも、
老いとともに、自分がはりつけた衣やプライドが、
どんどん解体していって、どんどん脱いでいって、
こどもの感覚に近くなっていって、
彼女とは、90になっても、
取っ組み合いのケンカができたら楽しいだろうなあ。

あなたはどうだろう?
あなたの言葉は、このところ、着込んでいますか?
脱いでいますか?





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-08-07-WED

YAMADA
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