YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson101 意見がかみ合わないときは?


あたりさわりのない話をしているかぎり、
人間関係は、おだやかです。

でも、一歩深い話に踏み込み、
相手と意見が分かれると、
ギクシャクしたり、感情的になったり、
家に帰ってもまだ、
自分は、何か執着してるなと感じることがある。
いったい何に? 執着しているんでしょうか?

相手と意見がかみ合わないとき、
分けて考えたほうがいいことがあります。

自分の意見は、だれにとって? そう言えるのか?

自分にとってそう言える、のか?
相手にとってそう言える、のか?
大多数の人間にとってそう言える、のか?

たとえば、結婚観を語っている人たち、

A 「ダンナにするなら、
   家庭のことを第一にしてくれる人よ!」
B 「やだ! 男には、
   自分の夢を追っかけてもらいたい。」

これを分けて考えてみましょう。
「男には、夢を追っかけてもらいたい」という
Bさんが言いたいのは、次のどれに近いでしょうか?

「私は、夢を追ってる男と結婚したい。」
「Aさんは、家庭第一でなく
 夢を追ってる男を選ぶべきよ。」
「ほとんどの女は、
 夢を追ってる男がいいと思っているものよ。」

この3つは、こどもにいくほど、未分化です。
つまり、「わたしが…」と
「Aちゃんが…」と「世界が…」が、
こん然一体となっている。
こどもは「自分の中に世界がある」から、
どこへ行ってもマイ・ワールドです。
これがやがて、めくれて、
「世界の中に自分がいる」と気づくのが、おとなです。
広い世界には、自分とはちがうAさんもいる、
自分とはちがう、たくさんの人間がひしめきあって、
自分の都合に関係なく生きている、
自分は、その中の1人に過ぎない。
だから、おとなの会話では、よく、こんなのを耳にします。

C 「家庭第一の男を選んでも、それはAさんの自由。
   私は、個人的には、
   夢を追ってる人がいいんですけどね。
   ま、あなたはあなた、私は私、で、人は人、
   生き方は個人の自由ということで……。」
D 「私は、結局、家庭第一の男と一緒になって、
   それで、まあ、しあわせだけどさ、
   Aさんには、合わないわよ、
   刺激求めるタイプだからさ。
   3日で、亭主がうっとうしくなる。
   賭けたっていいわよ。」
E 「人はだれでも、
   自分の人生をちゃんと生きてないと、
   他人とは暮らせないものよ。
   自分や他人の多くの失敗を見て、
   私はやっと気づいた。
   おおかたの女はね、家庭第一の男じゃ、
   そのうちつらくなるのよ。
   もちろん例外はいるけど。」

上の3つは、いちおう、自分と相手の区別、
自分と自分をとりまく世界の区別がついているという点で、
「おとなの会話」と言えます。
たぶん、このように、
自分の立場に踏ん切りがついていれば、
むやみな軋轢(あつれき)が生じることはないでしょう。

一方こどもは、
自分・相手・世界の区別がないのですから、
AちゃんとBちゃんの対立は、
大ゲンカになる恐れがあります。
こういうケンカでは、主語があいまいで、
「テニヲハ」がおかしい。
「テニヲハ」は、自分や、相手の位置付けを示します。
ちいさなこどもが、泣きじゃくりながら、ケンカ相手に、

A 「えっと、えっと、
   Bちゃんがー、えっと、Bちゃんにー、
   …………。Bちゃんはー、
   みんながー、わたしにー、いじめてる」

のような表現をしてるのを聞いたことはないでしょうか?
泣きながら、自分の中にある世界、
その秩序を模索しているように私には思えるのです。
「世界の中の自分」が見えてくるまで、
この葛藤は、つづいていくのではないかと思います。

相手と意見がかみ合わず、
何か執着しているようなときは、「相手が」というより、
自分が、どうしたいのか? 
立場がつかめてない場合が多いのではないでしょうか?

自分にとってAである、と言っておきたいだけなのか?
相手にとってAである、とわからせたいだけなのか?
人間普遍の真実みたいなことを語りたいだけなのか?

この3つを問いかけてみてください。
いえ、すっきり問題解決できるから、
おすすめしているのではありません。

たぶん、自分に、この3つを問いかけても、
先にあげたCさんのように、
「私は私、あなたはあなた、人は人!」
と、すっきり割り切れることは
少ないんじゃないでしょうか。
3つのどの立場をとっても、
もやもやと割り切れない「あまり」が残る。

たとえば、AさんとBさんが友人なら、
「おたがいの結婚観なんて、ちがっていてもいいじゃない。
 AさんはAさん、私は私。」
と、いったんそう言ったあと、
Bさんの中に、何とも割り切れない
モヤモヤが残るのではないでしょうか。
それは、Bさんの中に、Aさんに対する、
何かの感情、想い、願いがあるからです。
それは何だろう? と考えてみてはどうでしょうか?

「私は私、あなたはあなた、世界は世界」で、
割り切れないもの。
そこに、「関係」が見えてきます。
自分と相手との、
自分と世界との関係を考えることができます。

ほっておいても、
自然に自分の中にわきおこってくる「考え」、
あなたは、その「考え」で、
相手とどう関わりたいのでしょうか?
世の中と、どう関わっていきたいのでしょうか?



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-06-26-WED

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