YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

イメージはどこからくるのか?


ついこの間まで、
あんなに持ち上げていた政治家を、
今や、一転して、
こき下ろすのはなぜだろう?

何かが単純すぎる。

そう思いながら
テレビを見ている私には、
思い出す光景がある。

フリーランスになりたてのころ、
所属や肩書きがないと、
石っころみたいに扱う人はいるもので、
その時の私も、傷ついていた。

腹立たしさが消えないまま、
次の仕事である講演先に向かうと、
そこでは、とても大切にされ、
スーツを来た社員が、お車で迎えにきてくださった。

自分は何なんだろう?

昨日、「どこの馬の骨だ」扱いを受けていた自分と、
今日、「センセイ」と呼ばれている自分と。
どちらも偽らざる自分の現実である。

じっと、からだを意識してみる。

この肉の皮で囲まれている、小さい自分の身体ひとつ。
そこに詰まっている成分、
昨日と変わりはない、
私はわたしだ。

なのになぜ、人の扱いはこんなにも変わるんだろう?

今、テレビでこき下ろされている政治家を、
みんながさんざん持ち上げていたときも
彼の身体のどこかには、
少しズルイ血も流れていたと思うし、
今、こき下ろされている身体の中にも、
時代のヒーローに成りえた何かが潜んでいる。

私たちが人に憧れて、
自分の夢や希望を託した後で、
サッと冷め、
今度は一転して、こき下ろすとき、
次のどっちかが間違っている。

その人に過剰な期待をしてしまっていた自分か、
あるいは、今、その人を過剰に悪く見ている自分か。
たぶん、両方が、少しずつ間違っているのだろう。

人は、いくらかの想像で、相手をくるんで見る。

いったん悪いイメージを持ってしまうと、
その人が、何をしても、何を言っても、
悪く聞こえ、
何から何まで、そして顔まで、
いやに見えてくるから不思議だ。

私は、そういうモードに入ってしまったときは、
じいーーっと目をこらして
相手を見るようにしている。
相手の表情や、目の動きや、
手のシワや、シャツの柄や、
つけている時計のデザインや…、
じいーっと、じっと見る。

しばらく見ていると、
「この人の言い分の何もかもがイヤだ。
耳が受けつけない、顔も見たくない」
と思っていた相手の言葉が、
ひとつ、また、ひとつ、と
耳に入ってくるようになるから不思議だ。

完全な悪玉も善玉もいないなら、
相手を心のシャッターで切り捨てるより、
もってるものを生かせたらと思う。
でもイメージに支配されてしまうと難しい。

私たちが、人に対して抱くイメージは、
どこからくるのだろう?

例えば、
まだよく知らない人に
急激にひかれていくようなときだ。

その人の瞳も、
言葉も、
ちょっとした動作も輝いて見える。
それは、今まで出会ったことのない、
そのくせ懐かしいような美しさに満ちている。

この人なら、自分の深い孤独も
もっと深いところでわかってくれると思える。
今までだれとも共有できなかった感覚も、
この人となら通じ合う予感がする。
そして、この人は、
まだ形にならない自分の夢の、
もっとずっと先を生きていると思う。

でもこういうイメージは、
たいてい裏切られる。

よく知ってみると、
その人は、自分の抱いたイメージとは
全く関係ないところで生きている。
それで、ゲンメツすることもあるし、
イメージとは全然ちがったけど
その人はその人として素晴らしいこともある。

とにかく、
恋愛の初期衝動のような状態で、
心に描いた人は、
どこにもいないのだ。

今まで出会ったことのない、
そのくせ懐かしい美しさに輝く、
自分と孤独感が重なり、
深いところで通じ合える、
自分の夢の先を生きている、
あの素敵な人は、どこにもいない。

では、そのイメージはどこからきたんだろう?

相手の中にない、よそにもない。
だったら、自分の中?

その人に出逢わなければ、生まれなかったイメージ、
相手によって引き出されたのは事実だ、
でも、引き出されて出てきたのは、
まぎれもなく、自分の中にあったものだろう。

よくもまあ、
あんな美しいイメージが、
この身体から湧き出てくるな、と思う。

小説を書いたこともなく、
映画を撮ったこともない、
自分の身体のどこに、
あんな素敵な人物を描き出す力が眠っているのだろう?
記憶か、感覚か、創造力か?

恋愛の最初のときに、
相手に抱くイメージを何か作品にでもできたら、
きっと自分が見えてくる、そんな気がする。

相手の実体がよくわかってくると、
最初に抱いたイメージは消えて、2度と戻ってこない。
いや、消えてなくなるのでなく、
バラバラになって、
自分の身体のどこかに、また眠るのだろう。

人は、いくらかの想像で、相手をくるんで見る。

それが、最悪なものでも、
うつくしいものでも、
薄っぺらいものでも、
複雑に編まれたものでも、
イメージの製造元は自分だ。
そのイメージをつくりあげたものは、
自分の身体のどこかに眠っている。

人に近づく前の、
イメージの中にある素敵な人物像、
どこにもいないのなら、
いつか自分が生きてみたいと思う。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-02-13-WED

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