YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

ふしぎな都市論2
―― おとなの小論文教室放課後



今日こそ、
ちゃんとレッスンしようと思ったんですが、
先週の「都市の潜在意識」に、
思いがけず、
たくさんの反応をいただき、

「街にも人間の意識と同じように
表層意識な部分と潜在意識な部分がある」

という考え、
なぞが謎を呼びつつ発展中です。
どうなるか、私にもわからない。
で、急遽もう1週、
雑談続けます。では、行きまーす!

ズーニー 「街にも潜在意識がある」
そう思ってみると、
そこに片足つっこんでいる自分のことや、
住んでる街のことが見えてきて、
私はストンと腑に落ちたんですが、
読者のヤギダイさんは、どうお考えですか?
ヤギダイ 都市の意識は、
「動き」の中にあるのではないでしょうか?

人々の普段の暮らしとか、
コミュニケーションとか、
感情の動きとか。
物流や車やお金の動きとか、
あるいは天気・天候・季節の動きとか。

そんな流動的なものが「意識」を
作り出しているのではないかと思います。
ズーニー 動き! なるほど。
都市の潜在意識の言い出しっぺであるFさんは、
「動き」についてどう思います?
F ひゃ〜、どんどん来ますね都市論へのメール。
どうも、Fです。

「動き」っていうのは「変化」の原動力です。

動き、変化しつづけることは、
生命体も、地球も、人間関係も必要としています。
きっと都市にも必要不可欠な要素でしょう。
ヤギダイ 都市が、自分にあった
「動き」をもった人をひきよせる。
集まった人と、もとからの地がもつ「動き」が、
また、都市の意識に影響を与える、
そんなグルグル循環しているイメージがあります。
F おっしゃる通りだと思います。
都市が、そこの人々に影響し、
また都市も、住民たちによって
壊され造られていきます。
お互いがお互いに影響と変化を及ぼしあっています。

それでは
変化しつづける都市にどうして
なにかしらの特色が残りつづけるのでしょう?

僕は、重心と種(初期値)が
ポイントだと考えています。
ズーニー じゅうしん、と、タネ……ですか……?
F 都市は人々が集まってくる場所です。
そこには全体の総意の
「重心」のようなものがあると思います。

外観はアメーバのように変化していっても
重心の動く速度は意外と遅いものです。
なんか抽象的ですいません。

次に「種」ですけど、
これは、そこの土地の地理・気候であるとか、
宗教であるとか、
一番最初にあった(あるいは発生した)要素です。

遺伝子と同じで、
ちょっと違えば別の人間になるように、
初期値が違えば異なる意識が
育っていくのではないでしょうか?
ズーニー 「種」って、ほぼ日にたとえると、
糸井さんでしょうか。
初期値が別の人物であれば、
まったく違うサイトになりますね。
別の読者の方、まあちゃんさんは、どう思いますか?

まあちゃん:
きっと人が居心地が良いと感じるところに
集まってくるんではないでしょうか?
中国の風水なんて
これを研究した学問ではないかと思います。
F 風水のことはよく分かりません。
人間はばい菌と一緒で、
手狭になってくると外へ外へと広がります。
ズーニー ば、ばい菌っすか?
F そう。
西部の開拓者なんかは金を求めて、
「そんなとこ住めねえよ」みたいな場所を
どんどん切り拓いていきました。

我々には環境を変える力があります。
住みやすい場所に人は集まりますが、
みんながみんな良い場所に住めるわけではないので、
そんなとき、
自分達の力で住みやすい環境を作ってしまいます。

さて、ここで問題は
そうやってできた数々の都市の中で
どれが大都市に成長するんでしょうか?

僕は先週、
金と権力が大事って話をしましたが、
はたしてそれだけでしょうか?

海や川に近いといった
地理的な環境は重要な要素でしょう。

それから大都市が2つ続けて並んでるってことは
あまり無いようです。
適度な間隔が必要そうです。

最初にできた街が大きく成長するのでしょうか?

確かに世界を見渡すと、
大都市の多くは歴史ある街であるケースが多いようです。

……なんて、いろいろと大都市になるヒケツを考えたら
町おこしに役立つかも。

ところで、
日本の都市(どこか外国でもいいです)を
大きさ順に横軸に並べ、
縦軸に
人口をとって、
それを対数グラフ上にプロットします。
そうすると不思議なことに
直線状にプロットされるという現象が
報告されています。
はてさてこれはいったい
何を意味しているのでしょうかね??
ズーニー え? 私に聞かれても。
これ、宿題にしましょうか。
えっと宿題です。
他の読者の方、先週の感想は?
モリタツ まちとしての骨格がしっかりあるところは
何気ないところ
施設の呼び名だったり
職員の名札、名刺のデザインだったり
それこそマンホールのフタのデザインから
メッセージが伝わってくるように思います。
千鶴子 人々が呼吸する空気や
運河の水や、電柱の表面、店の看板なんかにも
その成分が紛れ込んでるんでしょうね。
僕はつねづね
写真家の撮ったたった一枚の写真から、
絵描きが描いたたった一本の線から、
その人の人生の系譜やら思いやら
すべてが読み取れるんじゃないかと思っています。

なぜかって、
一本の線を描く手の動きには
その人のいままでの経験が
すべて反映されているからです。
それと同じで街の中の看板や建物、
マンホールの蓋……そんなものから街の様々な
部分が読み取れるような気がします
(気がするだけですけどネ)。
NATSU
HO
私が今住んでいるのは、
「研究学園都市」と謳われるつくば市です。
何もなかった場所に、
いきなりドーンと大学や研究施設を作って、
その関係者を集めてできた街です。
はっきりいって愛着をもてる予感がしません。

大学の人か研究関係者かその家族か、
それをターゲットに商売しているたちばかりの
気がしてたまりません。
「多様性」や 「雑然」の対極にあるような街で、
息苦しく感じます。
ここも年月を重ねるうちに、
深みが 出てくるのでしょうか。
きっと中心が一つだからなんですよ。

中心がいくつかあると楽しみがあるんですけどね。
だんだん中心が増えてくると
勝手に中心を作ってしまえるような
環境もできてきます。
東京なんかは「俺が中心!」って感じで
勝手に中心になってしまえるチャンスが
それなりにあるからいいんでしょうね。

是非筑波に中心増やしてください。
NATSU
HO
私がもといた街は、川崎市。
川崎ときけば、
「工業」か「公害」のイメージが
強いと思われますが、
私にはそこがまぎれもなく故郷です。
少し野暮ったくて生活の匂いがある、
流れる空気が「暮らしやすい」というのは、
とても大切なことだったんだなあ、
と筑波に来て切に感じています。
暮らす側の立場からしてみれば
暮らしやすいというのは
最も重要なファクターだと僕も思います。

でも、暮らしやすいから
住んでいるという人ばかりではなくって、
仕事でしょうがなくて住んでる人もいるだろうし、
美しいと思ったから住んでいる人もいるでしょう。

実際、川崎の工業地帯の
うらびれた雰囲気(すいません)を
愛してやまないアーティストの人もいます。
彼にとってはカワサキの工場から
がんがんヤバそうな
煙が出てることが魅力的なわけです。
都市の趣きや、ひいては暮らしやすさは
そんな様々な意見を持った人の総意から
生まれるんじゃないでしょうか。
Sumi 人の顕在意識が
多くの場合、幸せになることを
目指しているのに対して
潜在意識は、もっと別の、
自らでは考えがおよばないようなものであるように
都市の潜在意識も、
都市そのものの支配下にはなく
表面的な都市からは、
考えもできないものだと思います。
おっしゃる通りだと思います。
でも、この狭い街では、実際のところ
表面的な部分より潜在意識な部分の方が
面積的(?)には
ハバを効かしているような気がします。
普通に生活していると
そんなことに全然きがつかないのに……
フシギですねえ。

でもちょっと考え方や見方や歩き方を変えると
いろいろ見つかるかも知れませんね。
Sumi また人の数だけ、潜在意識の面があるかと、
たくさんの面を持つ立体が
とても複雑であるように
東京のような都市の潜在意識も
また複雑なのでしよう。
僕は人の数より
もっともっとフクザツだと思います。
数十文字の「あいうえお」で
無限の物語が作れるみたいに。
100人いたら100人の関係性の可能性は無限大です。
Sumi 私が生まれ育ったまちは、
何もない所に約百年程前に開かれたまちです。
大人になって、そのまちを離れて、戻ってきた時に、
あることに気がつきました。

恐ろしいくらい、そのままで変化がないことです。
あまりにもかわりばえがしないので、
「このまちは変化を拒んでいるのか?」
と思ってしまいました。

まちの発展や変化を望みつつも
どこかに、それを否定し
いつまでも同じ姿でありたいとか
いつまでもそこにとどまっていたいという思いが
まちのどこかに隠れているような気がしました。
我々の中には生きる
スピードみたいなものがあると思います。

ゆっくりな人もいればいつも急いでいる人もいます。
基本的に人間は生活がそれなりに安定していれば
それほど変化を好むものではありません。
なぜなら必要以上に変化することは
リスクを伴うからです。

大きな街は変化のスピードが速いようです。
我々自身の作り出した環境が、
我々自身に、競争し新しいものを作り出し、
変化することを強いています。
変化は都市のダイナミズムそれ自体です。

田舎はそうでもないですね。
なぜならそうする必要が無いからです。
止まっているものを動かすのは
大きな力がいりますからねぇ……。
あきらめが先にたっちゃってたりする感が
なきにしもあらず。
まぁ、でもゆっくり進むのもいいものです。

忙しい人が集まるから大都市になるのか? 
大都市だからみんな忙しいのか?

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再びズーニーです。
今週もまた、
こんなふしぎなまま終わる失礼をお許しください。
来週はレッスンなるか?

2001-10-17-WED

YAMADA
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