YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 63 企業の芯にあるもの


さいきん、あちこちで、
「上司の横暴」みたいなのを目にする。

上が、下を、力で押さえつけ、
自由にものが言えない空気にしてしまう。

人は生かさなきゃ、いけないのに。
押さえつけたら、もったいないのに。

古い、固まった感じの会社でも、
時代の最先端をいく企業でも、おなじように
起こるからふしぎだ。

年功序列がまだ残る地方から、
実力主義の東京へきた私は、最初、
ものすごく呼吸しやすかった。

能力によって、自由に競争でき、
実力のある人が、いいポジションにいく。
この考え方が進んでいけば、
いわゆる「石頭上司の横暴」みたいなのはなくなる
と思っていた。しかし、

この考えには、ひとつだけ、大きな誤算があった。

先週に引き続き、この問題を考えてみたい。

ファシズムという言葉をホントは、あんまり使いたくない。
こういう言葉を出すと、そこで思考がとまっちゃうからだ。
ひらたくいうと、こうだと思う。

一つの考えだけが正しいと思う。
そこで、みんなの思考がとまる。
ちがう考えを排除する。

例えば、旧いタイプの会社では、
年功こそ、正しいモノサシだと言う。
「上は下よりエライ」
そこでみんなの思考がとまる。
「実力があれば、年齢、立場、関係ないじゃないか」
という考えを認めない。

一人のカリスマがいる組織で、
「その方のおっしゃることこそ正しい」と、
そこで、みんなの思考が止まったとしたら、
これも、問題だ。

カリスマや年功がいけないんじゃない。
ぜんぜん、悪くない。悪いのは、

尺度がひとつになること、
そこで、みんなの思考停止がおきること、
反対の効力を失わせることだ。

なんで、それがいけないかというと、
そういう組織が、とても脆いからだ。外から見ると、
みんな同じ一本の糸に引かれて進んでいる。
その糸を、チョキンと切れば、全滅。

逆に、向かう方向が、
複雑にあちこち散らばっている組織だと、
つぶすのは、すごくむずかしい。

一本化しやすい尺度をもつ組織では、
それを笠に来た上司の横暴が生まれやすい。
年功序列とか、カリスマとか。
だけど、新しい自由な考えの企業で、なぜ? 起きる?

● 組織の中心は何?


大企業の真ん中には何があるんだろう?

『ほぼ日刊イトイ新聞』の真ん中には、
「糸井さん」がいる。
まぎれもなく、一人の人間として、そこにいる。
だからみんな、中心を見失うことはない。

政府の真ん中には、「小泉さん」が、
沖縄の家族の真ん中には「おばあ」が。
ゾウの群れの真ん中には、「賢い雌ゾウ」が。いる。確かにいる。

企業の真ん中は、社長じゃないのか、と言う人がいる。
でも組織が、一定以上に巨大になったら、
たとえ社長といえども、一人の人間の力では、
どうにもならないことが出てくる。証拠に、
社長以下、役員、重役、そっくり入れ替わったところで、
企業は企業として、そのまま生きていくのだ。

企業理念ではないのか、という人がいる。
でも巨大で、新陳代謝の激しい企業で、
それは形骸化しやすい。ある日CIという名のもとに、
企業のイメージ、フィロソフィー、そして「社名」までが!
そっくり脱ぎ変わったとしても、
それらを作ったのが、外部の人だとしても、
やっぱり企業は生きていく。

とても心の通じ合う上司にめぐり会い、
愛社精神みたいなものが芽生えても、
ひどい上司に、自分が大事にしてきたものを、
踏みにじられ、会社をうらんでも、
次の人事異動でリセット。
翌日からは、また違った風景が展開する。

こうみていくと、
美輪明宏さんの芝居に、美輪さんが出てないと意味がないとか、
糸井さんがいないと『ほぼ日』じゃない、
みたいな、「真ん中」は、大企業では考えにくいのだ。
大企業の真ん中にあるもの、それは、

「たまねぎの芯」だ。

むいてもむいても、実体がない。
何もない。
なんにもない。

そして、この「たまねぎの芯」に、
みんなが「ある」と思っているものがある。
それが「利益効率」だ。

この目で見ると、先端企業で、どうして一時代前のような
上司の横暴が起きるのかわかりやすい。

いうまでもない、「利益効率」を上げるのは、
企業にとって大正解、いいことだ。私も本当にそう思う。
ということは、
尺度が一本化しやすい。
思考停止がおきやすいということだ。
真面目で、優秀で、要領がよい人がそろっている会社ほど、
一本化のスピードははやい。
不況になると、これ以外の価値も認めにくい。

昇進も、
「利益効率」というモノサシ一本だと、
頭の回転がよく、生産効率のいい若手が上司になる。
でも、経験とか、人を生かす力、という尺度でみたらどうだろう。

だから、部下がついてこない。
ついてこなかったら、不安になって努力すればいいんだけど、
自分は、「利益効率」をあげ、
誰の目にも明らかな実績をあげて抜擢されたんだぞ、
おまえたちより優秀なんだぞ、と思ってるから、
それはすばらしいんだけど、
それじゃ、人は動かせないんだということを認めない。
だから、部下が反発する。
抑えようにも、経験とか、年輪がないから、
もう、力で押さえつける以外、
その人に他にどんな道があるだろう?

だから、こういう上司もまた、
「利益効率」という一つの尺度に苦しんでいるのだ。

昇格を決める人の中に、
せめてもう一本、違う確固としたモノサシがあれば、
こういう人事はしないだろう。

実際には、その「もう一本」を出すのがとても難しいのだ。

企業で、「実力競争」が行われている、というのは、
私の誤算で、本当は、「利益効率の競争」だと思う。

だから、編集の実力がものをいう、ではなく、
本当は、実力が上がることによって、
どれだけ利益を上げたかで、
評価されているのだ。

不思議なことに、ある一定までは、編集の実力向上と、
利益効率は重なる。

けど、つねに右肩あがりということはありえない。
自分の向かう市場で、
お客さんをとれるところまでとり、
利益をあげるところまであげたら、

今度は、質みたいなところにむかいたくなる。

けど、企業はそれを許さない。
そういう力のある人は、
また、ちがうマーケットで、
同じように、ゼロから、とれるところまで数字を取ってほしい、
と異動させるか、
管理職にまわって、「利益効率のいいやり方」を
社員に伝授、監督してほしい、ということになる。

まてまて、
「企業はそれを許さない」っていう言い方はおかしい。
たまねぎの芯だ。
だれも、鎖でつないだりはしない。
でも、
「利益効率」という鳥かごがあって、
みんな自分で、入ってくるように見える。
鍵はかかっていないのに、
出て行こうとしない。
そういう感じなのだ。なぜだろう?

日常の仕事の隅々まで、
「利益効率」という尺度に人を閉じ込めてしまう張本人、
皮肉なことに、それは「自由」だと思う。

自由競争っていうものが、
とにかく、いてもたってもおられぬくらい不安だからだろう。
何をよりどころにしたらいいのか、
どういうやり方をしたらいいのか、
自由ほど重く、苦しいものはない。

だから、どれだけ、短い時間で、効率よく、利益をあげたか、
っていう、わかりやすい尺度に、
落ち着きたくなる。

でもやっぱり、利益効率一辺倒じゃあ、息苦しい。
そこで、バタバタともがく。
このカゴからは、どうやって出ればいいんだろう?

戦う相手は、いやな上司か?
いやいや、同じ鳥かごの中にいるのに、
争っても、勝ってもしょうがない。

「利益効率」か?
そんな大事なものは、否定できないし、
する必要もない。

会社か?
そこは「たまねぎの芯」、実体のないものと戦っても
空振りになるだけだ。

空洞化した中心に、
どんな新しい価値を創って、入れ込むことができるか?
もう、自分の向かうべき敵は、そこにしかないと思う。

尺度が一つになるのは息苦しい。
人は、複雑に、いくつもの動機でがんばれる存在だからだ。
呼吸するためには、もう自分で「創る」しかないだろう。
新しい尺度を創り上げて、
だれの目にも明らかな形にしていくことだ。
そのためには、やっぱり何ものにもとらわれない自由な発想、
そして「創る力」が必要だ。

中心のない企業では、自分たちこそ実体だ。
自分だったら、たまねぎの芯に、どんな想いをこめるだろうか?

2001-09-26-WED

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