YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

就職したら、上司が17歳だった!

友人ルートでこんな情報を聞きつけた私は、
昨夏、取材にすっとんだ。

その17歳とは、清水貴規(しみずたかのり)くん。
ネットで出会った23歳の社長と、
会社を立ち上げたばかりらしい。

彼は、学校へ行かない中学生だったころ、
インターネットを使ったビジネスを思い立つ。
夢というよりもっと、
やりたい、おもしろい、
というシンプルな感覚だったそうだ。
それを十代で、もう形にしつつある。

やりたいことへ向けて
一歩踏み出すために、何が必要か?
踏み出してみたら、実際どうなのか?


今週・来週にわたって、清水くんに聞いてみたい。

今日は、まず、2000年8月、
会社ができたてのころの清水くんに聞いてみよう。


Lesson42 自分のフィールドを発見する
(1)やりたいことが重なる人は、どこかにきっといる




PHOTO by BRUCE OSBORN

●ネットで、やりたいことの先輩に出会った

−清水くんは、どんな仕事をしているんですか?


まず何の会社かと言ますと、
いろいろやってはいるんですが、

ひとつは、
インターネット上でWEBサイトを立ち上げたいが、
ノウハウがないという企業に
コンサルティングをすることですね。

それから、映画のプロモーション
宣伝をお願いされた映画作品について、
インターネットを使ってどう宣伝を展開していくか?
企画を立て、その映画の公式サイトをつくり、
自社や他のインターネット媒体にパブリシティを打って、
情報を配信し、たくさんの人に観ていただけるようにする。

自社では、映画サイトやメールマガジンを運営し、
映画祭などのイベントも主催しています。

その中で僕は、
企画・制作、それから営業も担当しています。
今日も、午前中はネクタイ締めて、
代理店の方とお会いして、
午後はTシャツ姿でWEBデザインをしてるって感じです。

−仕事をはじめたきっかけは?

14歳の時に、はじめてインターネットに触れて。
僕はチャットっていう、文字の会話から入っていって、
で、全国各地とか、世界に友だちができて
いやー、面白いなって。

で、映画のホームページとか、
いくつか作って遊んでいました。
そのころ本で、アメリカの
ネットビジネス
のことを知って、
日本もそうなるかな、
やったら面白いと思うようになりました。

で、僕がちょうど15歳になったとき、
「シネマ・ド・シネマ」という
映画のメール・マガジンに出会ったんです。
これがうちの会社の原点になるんですけど。
1997年に、社長の浜田が一人で始め、
僕は、読者でした。

で、メール・マガジンで
毎回スタッフ募集してるんですよ。
僕は映画も好きで、よく観てたんで、
なんか面白そうだなーって、
応募したら浜田が、
「ライターやってみない?」って。
で、文章書いてるうちに、
「ホームページ作れるんだら作ってみない?」
「編集やってみない?」
「営業やってみない?」
って感じで、ずるずると引き込まれて。
仕事の面白さを覚えてしまって。

当時の浜田はアメリカから帰ってきたところで、
ほんとに大学生みたいな人間で、
でも話を聞いてみると、ネットベンチャーみたいなとこで
やりたいことをいろいろ企画してやっていて、
ぼくがやりたいなあ、と思ってたことを、
一歩先でやってた
んですね。
あ、この人は面白いなあって。

で、遊んだり、仕事もしたりしているうちに、
お互いに、
だんだん考え方も理解できるようになりました。

そのとき僕らは、ボランティアスタッフという形で、
お金とかは一切いただかないでやってたんですけど。

2000年になって急に仕事が増えまして、で、
「これはやっぱりボランティアじゃあ、やってけないよ」
って。
もともと将来は会社にしたいと言っていたので、
「じゃあ、やりましょうよ」
ということになって。

2000年6月に会社ができて、
僕は正社員という形で加わってます。
社長の浜田(23歳)と僕、
編集の30代の女性、フリー編集者の
4人をメインスタッフにスタートしました。

−じゃあ今、いちばん影響を受けているのは社長?
志とか?


浜田とは2年くらい仕事をし、たくさんのことを学びました。
彼はアメリカに行ってホテルマンやってみたり
日本に帰って、店員やってみたり、通訳やってみたり
いろんな職業について、いろんなルール、
いろんなマナーを知ってるんで、
本当の意味で社会人なんですよね。

でも、志は影響を受けてないと思うんです。
やり方は学んだけど、
「やりたいこと」は学んでない。

ぼくはもう、中学の時から
ずっとやりたいことのイメージはあった。
そのやりたいことが、たまたま一緒だったんです。

−趣味でやってたことが仕事になってしまったことに、
 とまどいはありましたか?


僕が、映画だけが好きだったら、
そこでギャップを感じたんだろうけど。
インターネットを使ってビジネスをしたいなって、
ずっと、中学のころから思ってたんで。
ビジネス的に展開していくのは、
ウェルカムな方向なんです。

だから、迷いはないですよ。
いま、通信制の高校に在籍してまして、
むしろそういう勉強してるときの方が、
「なんでこんなことやってんのかなー」
って疑問を覚えるんですね。

−あのー、中学は卒業されて?

卒業はしましたが、
中学はほとんどいかなかったんです。

●中学の時は敵対的に、いまは前向きに

ひとことで言えば、学校が面白くなかったんです。
ひきこもってはいなかったんですけど、
中1、中2っていうのは、ほとんど家族以外の人とは
遊んだり、深い話もしてなかったんで。
今思えば、内にとじこもってたのかなあ。
だから、中3になって仕事で外に出るようになったのは、
リハビリ的な期間でした。

−学校に行かない間、何を考えていましたか?

あんまり特殊なことじゃなくて、
たぶん今の17歳とか18歳とかが、
落ち込んだ時に考えるようなことを
ずーっと考えていんだと思います。
でも、まあ本を読んだり映画を観たりして、
いろんなことあるんだろうなー、とか
でも、なんで自分はできないんだろうなー、とか、
そういうジレンマで。
ふさぎこんでた時期もあったし、
親に迷惑かけてるなーという実感もあったし。
すっごい悩んだし。
自殺とか、考えなかったわけじゃ、もちろんないですし。
でも、それをリアルなものとして認めなかったのは、
やっぱりどこかで
自分を第三者的に考えてたのかもしれないですけどね。

いまは、すべてに対して、
前向きに付き合っている気がしますけど、
中学3年間は、
すべてに対して敵対的に向き合ってた気がする。

ただし、まちがいなく中学時代の方が、
感受性もすごく豊かだったし、
センスもまちがいなく冴えてたと思うんですけど。

いま、中学の時に蓄積したものを、毎日削って、削って。
ときどき一日お休みもらってそこで充電して、
また削って…、
なんか、そういう感じがしますけどね。
でもなんか、じぶんとして
こう社会に出してる気がするんで、
いまは、全部が好きですね。

−実際に社会に出てみて、
中学のとき思っていたのとどうでしたか?


世の中は、思っていたより、ものすごく面白いですよね。

やっぱり人と会ってる時がいちばん楽しい。
相手が40歳、50歳のおじさんでも、
ぼくは会社を代表し、
一人の人格として認められて
ミーティングできるわけじゃないですか、
存在を認められるっていうこと。

あと、机を並べてだれかと仕事ができる、
自分と同じことに向かっている人間がいるっていうのは、
すごくうれしいですね。

中学の時は、他人を見ても、
自分と同じ考えをもっているっていう前提
があったんですね。
もちろん、ほんとは全然ちがうんですけど、
だから、その人が、
自分の考えたようなことしなかったとき、
すごく裏切られたような気分になったんだと思うんです。

こうやって、いろんな人にあってみると
ほんとに人間ってみんなちがうんだなあ。
なにも前提にあるものってないんだなあ、
いろんな人がいて面白いんだなあ…って、
ほんとそう思うんです。

−やりたいことに踏み出すには、なにが必要ですか?

僕は、自分自身、一般的なケースだとは思ってないですし、

特殊なケースだとも思ってないですし。
単純に、こういうことをやったら、
こうなりましたという話はできるんですけど。
これが正しいからみんなこういう形でがんばりましょう、
とは言えないですね。

でも、ひとつだけアドバイスできるのは、
人と絶対会わなきゃダメですよ。
何かやろうと、もし、ちょっとでも思ったんなら、
まちがいなく、同じことを思ってる人は
どっかにはいる
わけで、
どうにかして出会わないと、それは、できないですよね。
別にビジネスの話じゃなくて。

何かそれをしたいと思ったら、
協力者を求めるべきだと思うし。

−そうか、清水くんの場合は学校に行かなかっただけで、
インターネットを通じてその期間、人と会っていたわけだ。


うん、そうです、そうですよ。
だから、人と出会うのに
インターネットを悪だとは、思ってないですし、
例えば、出逢いサイトで出会ったら、
それはじゃあダメなのか?
僕は、絶対それはありだと思いますし。
人と出会う方法って
実はいろいろたくさんある
と思うんですよ。

出会えないとしたら、それは、
たぶん自分自身に問題がある、
なにかやり方を間違えてる、と思うんですけど。
基本的にそういう人って、
拒否しようとするじゃないですか。
自分と違う部分に対して。
それは、まず、やめないと。

ぼくも、今、会社のチームと会って、
自分とはちがうなあと思っても、それは受け入れますし、
それでもちがうなあ、と思ったら、
単純に、違う考えなんだなって認識する。
なんで違うんだろう? 
じゃあ、その人と
どうやって付き合っていったらいいんだろう?
と考えたりとか。
なんか、自分をある意味第三者的に考えるのが、
ぼくは好きなんで。
そうやって見てくと、面白いと思うんですよね。

人生で、志が重なる人と、絶対出会えないっていうのは、
僕は絶対考えたくない。
そう思うんです。




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このように、
清水くんは、ずっとやりたかった
ネットビジネスに向けて第一段階を超えた。
「当面の目標は?」とたずねたら、

・僕ができることをやっていって、
 会社を順調に軌道にのせる。
・メールマガジン会員数を10万人にはしたい
 (2000年8月時点で45000人)。
・サイトでは、熱のある展開、
 ユーザー同士の交流がもっと活発になってほしい。
・自分自身はもっとかっこいいページを作りたい。

などの豊富を語ってくれた。

さて、この時点から7ヶ月。
2001年3月、清水くんはどうしているだろうか?
会社は軌道にのったのか?
メールマガジン10万部は達成されたのか?

次週は、清水くんのいま、をお届けする。

2001-03-21-WED
YAMADA
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