YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson10 自分への評価を読む
----会社評価イコール「自分」か?----



夏のボーナス、冬のボーナス、昇給の時など、
会社員は評価をもらう。
学生は、成績表。

あなたは今、どこから、どんな評価をもらってますか?
満足?

数字やアルファベットで表わされた自分の取り組み。
この記号は「自分」なの?

思うように評価してくれないと怒るのも、
自分まで否定されたようにがっくりするのも、
大喜びするのも、ちょっと早い。

というわけで、今日は、小論文流に
問いを分けたり、整理して、
自分への評価の読み方をやってみましょう。
ムダな落ち込みがなくなって、すっきりします!

会社員の頃、
ある発見をしました。その発見とは……、


●なんで評価でグラグラするの?

いい評価をもらったら、さりげなく自慢してる私、
思った評価がでないと、小さくなってる私、
自分は自分なのに、なんで評価でこうグラグラするの?
なんかカッコ悪い、と私は思っていました。
なんといっても、
いい評価にしてもらうために、
査定表の表現を、ちょっとでもいいように、いいように
書こうとしている私に気づいた時には、
自分ながら、うんざりしました。
これじゃ、自分を嫌いになる。

で、何にうんざりしているのかを考えたら、
気づいたんです。


●「うんざり」の正体

その正体は、「依存」。

全面的に自分の評価を外にあずけちゃって、
喜んだり、悲しんだり。
それって、「私のしたことの善し悪しを私は決められない。
だから、誰か決めてぇ〜!」ってことですよね。

「自分のモノサシ」がない。

これは、カッコ悪いと思った。
で、組織に依存せず、自立しているってどういうことか?

まず、自分の仕事を自分で評価でする軸を持つ、
ということ。

自分が自分の仕事についてどう思うかと、
組織が自分の仕事についてどう思うかと、
問いを分けたらどうか?

組織の評価軸からフリーになって、
人として、仕事人として今期はどうであったか?
自分の志において、
適切な方法で、必要な努力を払い
かつ、結果を出せたか?

ちょっと極端な例を挙げると、
例えば出版社が、中身はどうでもいい、
部数さえ伸ばせば評価すると言ってるような場合。
一緒になって中身はどうでもいい…、
となってしまうのは「依存」です。
会社は質まで面倒をみる余裕がないのだから、
質については、自分で軸をつくって、
自分で自分を鍛え、
自分で厳しく評価していこうというのが自立です。

また、学校の例をあげると、
数学のテストで、平均80点以上とればよい評価をする
という学校だったとして。
自分も点さえとれればOKというのは依存。
得点は学校の方で厳しくチェックしてくれるのだから、
今学期は、自分で数学の面白さをつかもうとしたか? 
できる努力をしたか? 
自分に合った勉強法を工夫できたかどうか?
で自分を評価してやろう、というように。

組織は、たくさんの人を相手にしているのだから、
おしなべて使える評価軸を用意します。
自分の能力や、成長段階、個性にピッタリあった
評価軸を用意してもらえると思っては幻想。
それは自分で用意する。

だからといって、組織の評価を軽視してよいかというと
決してそうではありません。
自己評価と会社評価の関係に注目してみましょう。
こんなことが見えてくるんです。


●評価は会社とあなたの距離

あなたに、あなたの志があるように。
会社にも、都合や大切にしたいことがある。

だから評価とは、
あなたと会社の距離でもある。

自分の評価と、会社の評価が重なる時、
自分と会社の距離は近い。
自分の評価と、会社の評価がわかれる時、
会社とあなたの距離は遠い。

大切なのは、その距離を自覚しておくことだと思う。
「おとな」は、距離のある組織に対しても、
きちんと勤めを果たすことができるし、
そんなことで、自分の軸はとられない。

ちょっと整理してみましょう。
あなたは、ABCDのどこにいますか?

       組織の評価よい 組織の評価悪い

自分の評価よい   A        B
自分の評価悪い   C        D

Aは、自分で納得いく仕事ができ、
かつ、組織にも評価された。
Bは、自分では納得のいく仕事ができた。
しかし、組織に評価されない。
Cは、自分で納得のいく仕事ができてない。
しかし、組織から評価される。
Dは、自分で納得のいく仕事ができてない。
かつ、組織にも評価されない。

BとCの人は、
自分と会社のこの距離は何なのだろう?

まず、モノサシ自体に問題があるのかも。
自分のモノサシに問題はないか?
傲慢になってないか?
自分の可能性を見過ごしてないか?
会社の評価軸に問題はないか?
あるとすれば、どんな提案ができるか?

また、モノサシに大きな問題がないとすれば、
互いの志に距離があることも考えられる。
どのように違うのだろうか?
距離を縮めるにはどうしたらよいか?

もし、自分に自信があるのに評価されないとしたら、
それを組織にどう伝えていくか?
あるいは、自分が組織に認めてもらえるように変わるか?
あるいは、自分の納得感に近いところで
自分を評価してくれる別の場で自分を試すか?
もし、評価されていても、自分で納得がいかないとしたら、
いちばん身近な存在である自分を、
あなたは、どのように高めて、納得させていきますか? 

そしてもう一つ、こんなモノサシもあるといい。

●いちばん評価してほしい人はだれ?

あなたが、あなたを、一番評価してほしい相手はだれ? 
その人は、今、あなたをどう見てますか?
自分と、組織と、いちばん評価してほしい人、
モノサシが3つになることで、
評価はより客観的になります。
自分の軸と、外の軸は、互いに影響しあっています。
自分も組織を構成するのだから。

存命中に評価されなかった画家が、
時代が変わると評価されたり、
逆に、自分の主観がどんどん現実とズレていって、
自分だけが正しい、組織は間違っている、
という考えに固執していく場合もあります。
だから自分で自分の信じた評価を出し、
外軸との関係を探りながら、
自分のモノサシを鍛えていくことが必要なんだと思う。
自分の納得感をおいてきぼりにしたままでは、
成功が成功に、失敗が失敗にならないのだから。

2000-08-02-WED

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