YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 8  自分を表現する

あなたは、
何か自分を表現し、人に伝えることをしてますか?
何もしてない、という人がいたら、
その人は、どれ?

1 いつか何かの形で自分を表現して人に伝えるつもり。
2 自分の内面を形にしたいが人に見せるつもりはない。
3 一生、受け取る側でいたい。

次々に仲間がホームページを立ち上げる。
路上には音で、自分の世界を表現するミュージシャン。
表現することが一部のプロのものでなく、
一般人の中にも広がっているように見えます。

なぜ、自分を表現するのだろう?
なぜ、人に知ってもらうのだろう?

今回は、問いをひとつ根っこに戻し、
そもそも表現する必要があるのか?
そこから一緒に考えてみたいと思います。
あなたの知恵を貸してください。

●殺人は表現か?
17歳のバスジャック事件について、
読者の東京王子さんからこんなメールがきました。

あの事件の根っこは、
先の「サカキバラ事件」と同じところにあるんじゃないか
ある女子高生が「サカキバラ事件」を評して
「殺人も表現のひとつだと思う」と言ったそうですが
そういう表現欲から殺人という形も生まれ得る。

(無論、そういう欲望が、とても屈折していて
自己満足、自慰行為以外の何物でもないことは
大いにわかるし、決して殺人を擁護するわけでは
ないのですが)

これは、分析とか解釈を越えた、ある種直感のようなものです。

シンクロして読者のKさんから爆笑問題の太田光さんが
事件について書いているとメールが。
太田さんの意見を引用の範囲で紹介する
と−太田光「天下御免の向こう見ず」
『TV Bros.』(東京ニュース通信社)より抜粋。
文中の省略は山田

「(前略)自分の漫才は風刺ではないし、
 社会批判でもない。
 何のメッセージも意味も無い、単なる"笑い"
 そう言いながらふと思った。
 少年達の起こす、"理由の無い殺人"に
 何処か似ているかもしれない。
 
 (略)
 
 私たちは、意味は解るがつまらないものよりも、
 意味は解らないが面白いものを目指すようになった。
 しかし、実は、このシュールほど、
 表現の仕方によっては単純でつまらない、
 自己満足な表現に陥りやすいものはない。
 よほどの表現力と技術が無ければ、
 何も人に伝わらないのだ。
 (略)
 
 正確に言うと意味が無い訳ではない。
 伝えたいメッセージが一言で言えるような
 単純な事ではなく、言葉では表現出来ないような
 複雑な感覚であるという事だ。
 その感覚を正確に人に伝える為には、
 自分の中の漠然とした複雑な感覚を誰にでも
 解る具体的な"見えるもの"に変える作業が必要で、
 それが、芸だと私は思っている。
 
 (略)
 
 少年達は、自己表現のつもりで、犯罪を犯している。
 彼等は意味もなく人を殺す事を刺激的な
 表現だと思っている。
 私には彼等が幼稚で、未熟な表現者に見えて仕方がない。
 
 (略)
 
 人々が見るのは、彼等が起こした事件であって、
 少年自身ではない。
 彼等は自分の表現によって、
 自分の存在を無視される事になったのだ。
 人間の中の複雑な感覚や思いは、単純な表現方法では、
 人に伝える事は出来ない。
 少年達は、"表現する"という事を甘く見ている為に、
 何も伝えられずにいる。」


私は、自分でも気付かぬうちに「表現したい」
という強い衝動を抱えた時、その発露を知らず、
技術も磨いていなかったらどうなるんだろう? 
ということを考えました。

あなたは表現したいという
欲求にかられたことはありますか? 

●私は「あなた」を知っている、
 あなたは「私」を知らない
 
編集者のタマゴのころ、私はある日、
作家の方々との、ズレを発見しました。
私は、すぐさま旧知の間柄のように信頼をよせ、
心の距離を近づけようとするのですが、作家の方々は、
さほど私に親しみは感じていないようです。

この差は何なのだろう? 

いまから思えば、実に当たり前のことです。
作家の方々は、文章・写真・絵などで、
自分の内面を表現しています。
それを受けとっているから、
私は、相手の内面がよくわかり、信頼と共感を
寄せるのです。
一方、作家側は、特に自己表現していない
私の内面について深く知ることはありません。
だから、物理的に顔をあわせても、
互いの内面の理解の速度、深さがちがうんです。

これって、なんか、似てるなー、と思ったら、
片思いの「思う方」と「思われる方」の関係、
スターとファンの関係です。

思う方は、相手の好みから、おいたちから、
ものの考え方まで
よく調べあげて(あるいは想像して)いますが、
相手はどうなのでしょうか?

スターとファン。
スターは厳しい世界で自分を表現し、
伝える努力をしているからファンに愛されている。

もし本気で好きな人に近づきたいなら、
何かの方法で、
自分の内面を相手に知ってもらわなければなりません。
「自分はどういう存在か」を伝えることは、
「好き」という気持ちを伝えることより
もしかしたら先かな?

この順番が逆になると、相手からすれば、
「よく知らない人に好きと言われた」
ということになります。

あなたが想う対象は、
どれくらい、あなたの内面を知っていますか?

●表現されない自己はないに等しい?

たくさんの情報があふれ、
人が何をするにもたくさんの選択肢から
選ばなくてはいけない時代に、自ら発信しないこと、
選択肢にさえのぼらないことは、
存在の危機なのでしょうか? 
アートプロデューサー山口裕美さんは、
『TOKYO TRASH』(美術出版社)の
冒頭でこんなことを言っています。

「世界に対して、
 日本が文化のブラックホールと化している」
 
 (略)
 
 あらゆるものを貪欲に吸収するが、
 まったく発信しない。
 何も発信しないということは、何も考えていないことと
 同じだ
 
 (中略)
 
 それでは、東京は/日本は/私たちは、いったい何を、
 どうすればいいのだろうか(後略)。」

21世紀の情報の海、もしも、もう一人のあなたが、
別の土地にいたとして、そのあなたは、あなたを、
どうやって見つけますか?

●自己表現の敵はなんだろう?

ささやかでも何か自分を表現したいが、
できないという場合、
それをさまたげているのはなんだろう? 
書き出してみてはどうでしょうか?
例えば、こんなふうに。

さまたげになっているもの<例>

<環境>
・基礎教育の段階で、圧倒的に
「考える・つくる・発信する」よりも、
「受信する・理解する・覚える」が多かった。

・人に自分について知ってもらう機会がない。

<恐れ>
何か恐い。
・自分の想う表現ができないこと。
・自分の表現が相手にされないこと。
・自分の表現が批判されること。
・自分の正体を知ること。
それによって自尊心が傷つくことや、人に嫌われること。

<表現というものへの固定観念>
・「表現」というと、絵や音楽、
 パフォーマンスという枠組みをつくってしまっている。
 いきなりハードルが高くなる。

<習慣性>
・「速くて、手がる」に手に入るものを消費することに
 慣れてる自分。
 犠牲をはらったり、時間のかかることをやりたくない。
 成功が保証されないところで、ムダをしたくない。

あなたが、もし、自分を表現したいとき、
さまたげているものは何ですか?

●ブレークスルーポイントを発見する

上の条件を一つずつひっくり返してみると。

・「考える・つくる・発信する」という環境を
 求めていくか、自分で整える。
・人に知ってもらう機会を自分でつくる。
・勇気を出す。失敗を経験して恐れへの耐性をつくる。
 伝わった時の歓びを描く。
・表現というものへの固定観念をなくすために、
 多様な表現のあり方を知る。
 例えば、今日着る服、1通のメール、話すこと、
 生活をつくる、人間関係をつくるなども、
 自己表現である。
・便利で手軽には手に入らないものを、
 リスクをとって手に入れる習慣性を養う。

あなたは、自己表現をさまたげているものを
どのようにひっくりかえしますか?

●自己表現へのプロセスを考える

何かやってみようという時、
どんな風に一歩を踏み出したらいいんでしょうか?
その手続きは、教えられていないので、
自分で工夫することに価値があります。

<例>
自分の内面を表現したり、
人に伝えたいかどうかを考えてみる。

すると決めたら、

何を伝えたいか?  志をイメージする。
どんな方法で?   自分にふさわしい表現方法を選ぶ。
だれに伝えたいか?   伝えたい対象を考える。
どんな手段で伝えるか? 機会のつくりかたを考える。

やってみたとして、

自分の納得いく表現が
できるかどうか
できなかったとして、
どう磨いていくか?
自己否定にどう立ち向かうか。

↓納得いく表現ができたとして

伝わるかどうか? 伝わらなかったり、
たたかれた時、
傷にどう立ち向かうか。
リスクをどうとるか。
リスクがとれる自分に
どうやってなっていくか。

伝わったとして

さらに伝える内容や技をどう高めていくか?


あなたは何か表現するとして、
どんな手続きでそれを実行しますか?


あなたにしかできないタイミング・方法で、
あなたを発信する。
未来で待つ友達と
情報の海の中、しっかり握手するためにも

2000-07-19-WED
YAMADA
戻る