岩井俊二監督と、
ほんとにつくること。

対談「これでも教育の話」より。

第6回
ただの「人」に戻る。
(岩井俊二さんのプロフィールはこちら)



糸井 岩井くんって、
どこで生まれたんでしたっけ?
岩井 ぼくは、仙台です。
糸井 東京と仙台の距離って
どのぐらいあるか知らないけど、
仙台にいるとき、
東京が大人に見えませんでしたか?
岩井 いやぁ〜、見えましたよ。
糸井 ねぇ?
岩井 ええ。
糸井 ぼくは群馬なんですけど、
東京は、
来ようと思えば来られる距離でした。
もう、何回もどこかで話しているんだけど、
『おそ松くん』という漫画の
チビ太の持ってるおでんって、
見たことがなかったんですよ。
でも、全国にばらまかれてる
漫画というメディアの中で持ってるおでんは
あれだ。あれが、おでんだって、
漫画の中の人たちは認め合ってる。
おでんの記号として、
あのチビ太が持ってるおでんが
普遍化している。
それはおれにとって
大人であり、全国であり、
ナショナルだったんです。
そして、小学生のとき、東京に来たときに、
屋台のおでん屋で、あれ
見ちゃったんですよ。
岩井 存在したんですか!
糸井 おれのいとこが
それを普通に持っていたときに、
ガーン。
岩井 ハハハハ!
糸井 自分のいる場所が
リアルだけど認められてなくて、
どこかに認められている世界があって、
という、そういう距離感がある。
例えば「大人」もそうですよね。
思春期の子どもからみれば、
「大人はセックスしていい人」です。
子どもは「してはいけない」
「したことない」が、リアル。
だけど、「大人」という、
認められている社会というのが別にある。
社会と自分との断層みたいなものを
飛び越すときに、
いつもわくわくするわけよ。

いま、自分がもうこんな年になっちゃっても
まだうれしいんだよ。
つくった広告が出たとか、
自分が発言したことを「覚えてます」と
言われたとか。まだ欲張っています。
そうじゃないと、この仕事は
やめているとさえ思うんです。
岩井 そうですね。何なんだろうなぁ。
糸井 それは「上昇志向」という
名前をつけてもかまわないし、
「向上心」という名前をつけても
かまわないんだけど、
ぼくにとってはもっと
プリミティブなことなんです。
年をとっていても、幼い子でも、
「大人にジャンプする」、そんな気持ち。
形のないメダルのような。
そんなことを、教育された覚えはないよね。
岩井 ないですよね。
ぼくは、自分でこれから映画を撮れるぞ
という状況になって、最初に思ったのは、
「長続きするのだろうか」
ということなんです。
だって、ぼくがつくりたかったものって
「映画」なんですよ。
糸井 フフフ。
岩井 映画をつくっていけるという状況があって、
それぞれの映画が自分の作品になっていく。
そこに自分は興味があるのだろうか?!
糸井 ハハハ!
それで、その答えはどうなったんですか。
岩井 ううーん。いまだに、
「どうしよう」というかんじはあります。
糸井 ぼくは、なにかの仕事をし終えるごとに
絶えず「ただの人」に
戻ってるんじゃないか
という気がするんですよ。
だから、また「行きたい」んじゃないかな。

映画が上映されている時期の映画監督って、
みんなが「今日、見ましたよ」とか、
言いますね。そういうときは、
映画をつくり終わっていたとしても、
映画監督です。
だけど、その映画が終わってしばらくして、
次の映画を準備しているときは、
人から見たら「ただの人」で、
自分自身も、
ものを考えてるだけの「ただの人」。
その「ただの人」に戻れるという場所が
あると、次がつくれるんじゃないかなあ。
ぼくが映画監督だったとして、
全国を監督として講演旅行したとしたら、
次の作品はできないような気がするな。
ただのお父ちゃんになってしまったり、
友達同士で「岩井!」って呼ばれたり。
それをキープしてないと、
「自分」が来ないでしょう?
岩井 そうですね。
まあ、ほとんど日曜はそんなかんじで
すごしてます。
糸井 オーラが消えてる時間って、
ものすごく大事ですよね。
岩井 そうですね。ぼくは学生のころ、
映画研究会にいたんですけど、
そんなところですら
「ガッチガチの映像屋だぜ」という人は
少ないんです。
だからあんまり認識されてなくて、いまだに
「何者?」というポジションなんですよ。
30人くらいのなかで、
「あいつ、何なの?」
「ああ、あの人は岩井っていって、
 映画撮ってるんだよ」(笑)。
糸井 いや、わかる、わかる(笑)。

<つづきます>

2003-04-24-THU

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