CHILD
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日野原重明さんに聞く
「これでも教育の話」より。

第7回 失われた1年間


こちらは日野原先生の近著です。

生きかた上手

日野原 重明 (著)
価格:¥1,200
ユーリーグ ;
ISBN: 4946491260 ;

糸井 日野原先生、ものすごくお元気なんですけれども、
お医者さんでもありますから、落ち込んだ人と
会われる時もあると思うのですが、
その時には、どういうことをこころがけるのですか?
日野原 それはね、音楽療法の理論と同じ方法です。
ぼくは日本音楽療法学会の会長なんですけれども、
ウツの人に、マーチはよくないの。
人の心を浮き浮きさせるような音楽はよくない。
もっと、マイナーで単調の、悲しい……。
糸井 気持ちと同じものを
溶け込ませていくという感じ?
日野原 ええ。
音楽と同じように
こちらも、悲しさに同調する。
そのほうが、心を支えるという原理があるんです。
そういう理論がね。
だから、一緒に悲しんであげないといけない。
「元気だしなさいよ!」とかいうような
プラスな方向に持っていくのではなしに、
ほんとに一緒に痛みを感じてあげて……
そのタッチで、患者とぼくの心が通じるんです。
糸井 さっき、日野原さんが
本でも読み聞かせるとおっしゃったけど、
似たような意味で、
自分の肉体にその人の心を通しているんですね。

日野原 そうですよ。
たとえば3か月療養している若者がいるとなると、
自分の二十歳ぐらいのころを思うんです。

ぼくは21歳のとき、医学部2年のときに、
結核で治療方法がなくて、
38℃の熱があって床につきっぱなしで、
8カ月トイレに行けなかった。
でも、そのときに、辛抱して詩を読んだり、
音楽を聞くことがとっても身にしみて感じられて、
病気のときに歌を詠んだりするというのは、
とっても感性が鋭敏にはたらくんです。

そういう経験があるから、
「何か好きなものとか、読みたまえよ。
 でも、君はまだトイレは行けるんだから、
 いいじゃないの。
 ぼくは8か月のそういう時期があって、
 そのあともほんとに困ったけれども、
 それだけに君のつらいのよくわかるよ。
 今度1週間後回診するから、
 そのときにあなた何か読んだものがあったら、
 これ読んだということをいってくれない?
 それ、ぼくも読みたい」
それで、肩をぐっと押して、
「じゃ、また来週来るよ」というと、
そうするとその青年は来週が待ち遠しい。
糸井 なるほどなぁ。
日野原 ぼくは、病む人に、未来を提供する。
1週間先には先生がまた入ってきて、
励ましてくれるんだなあ、というふうな未来を、
わたしは行動や言葉で残すように努力している。

そしてわたしが大学を1年間休学した頃、
同級生はすでに医局に入っていたわけです。
みんな秀才やなんかで、エリートなんです。
そうすると、医局に入るときには、
1年休学しているぼくがどんなに努力をしても、
1周前を走っているわけだから……
もう、抜けそうもない。
京都大学から東京に来るという動機はそうなんです。
糸井 へぇー。
日野原 もう1周目で倒れちゃったけれど、
「どんなに勉強してもそれは無理だ」じゃなくて、
「違ったところへ、
 白紙のところへ行った方がよい」
と思ったのね。

ただ、実は休んでいた1年があるからこそ、
患者にとっての「失われた時」という感覚が
よくわかるようになったわけで、
とてもよかったんです。あとで気づいたんだけど。

はじめは、1年は失なった時だと思っていた。
ところが、それがなければぼくは、
「患者学」を学ぶことができなかった。
医学は研究や教科書で勉強できるけど、
患者学はだれも教えてくれないもの。

1年おくれて、みんなより損をしているなあと思って、
「むだだった」と思っていたけれども、
後から見れば、病人を経験したことは、
医者としてはものすごく大切だった。

あれでよかったの。
あの方がよかったというか。
糸井 先生のお話は、全部、
不運とか、ピンチとか、そういうものを
ひっくり返す方法を、よく使っていますね。
日野原 肯定的になるの。
糸井 そうですねえ。
日野原 逆の発想になっちゃうの。
糸井 それってどこから来るんですか?
もともとは、親がそういうことを
教えたということではないですよね。
自分で身につけたものなんですか。
日野原 やっぱり、病気になったことですよ。
糸井 最初のきっかけは、自分のご病気ですか。
日野原 そうです。
糸井 それまでは、負けるというのは
つらいことだという……。
日野原 ぼくが小学校の1年生のときに、
学校の先生は母に、こう言った。
「こんな負けん子は、将来、
 偉くなるか、不良になるかどっちだ」と。
糸井 やっぱりそういう子供だったんですか?
日野原 お子さんは、うまくいければすごいけれど、
不良になるかもしれない。とても我が強い。

わたしには1つ上の姉がいましたが、
何かで学校に行く時間が遅れて、そして
子どもにとって、遅れて行くというのは嫌でしょう?
そうすると行かないといって泣いちゃうでしょう?
でも、姉は、最終的には
涙をふいてパーッと出ていくの。あきらめがいいの。
でも、ぼくは絶対にその日は学校に行かない。

そして、家の台所のしっくいの流しの
水が流れるところで、ズボンを無理やりにぬらしてね。
行けないようにするという。
糸井 それだけ負けん気の強い子どもが
病気になったというのは、やっぱり
相当のショックがあったでしょうね。
日野原 ええ。それはもう、大ショックですよ。
糸井 おれはもう一生勝ち続けていくんだ、
みたいに思っていたわけですね。
日野原 うん。だから病気になった時、はじめは、
このつらい気持ちはどうしたらいいかと思ってた。

(つづく)

2002-10-16-WED

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